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日本一時帰国前の気持ちってなんか複雑

海外に出て30年。 

思えば遠くにきたもんだ。 

私が学生時代にロンドンに1か月の交換留学ならぬ遊学に行った時には、1か月だというのに、家族全員が成田まで送ってくれた。 

どうしても、またイギリスに戻りたくて、母に相談したら、とっても背中を押してくれた。「女には学問は要らない」って言って反対した大正生まれの祖母の意見も押し切った母。 

父は、それほど関心があるでもなく、ないでもなく、でも下に4人子供がいる親にとって、私がイギリスに留学する費用はとてつもなく大変なことだったに違いない。 

あれから、イギリス留学中に1,2度日本に帰国し、あの時は、一番値段の安いと言われていたAir Indiaを利用。デリー、ニューデリー、ムンバイと3か所止まり、空港で時差ボケで眠くて、眠くて、ほぼ寝てしまい、気が付いた時には、ボーディングもとっくに終わっていて、最後のパッセンジャーとして、空港内を全速力走り、ギリ飛行機に乗り、滑り込みセーフ。 

留学後、東京に就職して、茨城の実家には、長期休暇の度に実家に帰っていたが、もうその頃には、私の両親は20年連れ添った夫婦生活にピリオドを打っていた。 

私が留学中に、両親それぞれから手紙が来て(当時はまだメールが発達していない頃)、それぞれの事情や気持ちや現実が書かれ、離婚したと告げられた。 

不思議と涙が出たりとかはなく、成人を過ぎた私はその場では納得していたようだ。 

その後、子供はいくつになっても、親が別れることにわだかまりが残ることがわかった。 

香港に単身転職をしてからは、飛行時間約5時間と近いので、独身の頃は、10か月に1回くらいの間隔で帰国し、他の休みは東南アジアや中国を友達と回ったり、一人旅をしたりした。 

祖母は、私の母の母ではあったが、私の両親が離婚した後も、何故か、ずっと死ぬまで、彼女にとっては義理の息子の父と暮らした。 

恐らく1番の理由は、孫たち全員が長いこと育った家を守りたかったのだろう。ひ孫5人。一番上が中学卒業まで育てた。 

父は、自分の母親を20代後半で亡くしているので、義理の母を本当の母のように思い、ずっと暮らしていたわけだ。

一方、私の母は、一番下(当時3歳)を連れて家を出たものの、そのあと直ぐに、一番下は産まれてから三年間賑やかな家で育ったせいか、その環境が直ぐに恋しくなって、戻ってきてしまった。 

母は、40代前半になって、初めて一人暮らしをし始めた。 とても寂しいことだったと思う。 特に今、自分に子供が3人いて、子育てをしていると自分の子供と離れることがどれだけ辛いことかは想像に難くない。

それから、母は再婚をし、私も結婚し、子供が産まれ、上二人が2,3歳になるころに祖母は亡くなった。丁度、東北大震災の前の年。

超がつくおばあちゃん子であった私は、祖母に会いたくて、祖母の喜ぶ顔が見たくて、ひ孫たちを連れて実家に泊まり、初日は、実家、次の日は母に会いに行くという、結構体力的にも神経的にも疲れる日本一時帰国がはじまった。 

私が長く勤めた人材紹介業の現地法人社長をやっていた時は16年間毎年、年に2回、本社への報告もあり帰っていた。 

祖母も亡くなった後は、震災で7割がた自宅が崩壊し、修理できる会社は、とっても忙しく、なかなか家を修理するための資材も回ってこなくて、父は、子供たちも皆結婚したり、仕事の都合で実家を出てしまい、広い家で一人になった。 

「家を大事にする人」と、「そうではない人」と分けるとすれば、父は断然後者で、家の掃除から庭の手入れ、盆栽を大事に育てていた祖母が亡くなり、父は1人暮らしにちょうど良いアパートに引越した。

昔、私たちも子供の頃に行っていた千波湖のSLの前で

なぜ、一時帰国が複雑な思いがあるのかは、長年、両方の親に会う時間をバランスよく工面すること。

喜怒哀楽の激しい母と父との間で、何曜日に父、何曜日に母と会うというアレンジをするのが中々大変だったりする。いや、してきた。 

母は、別れて何十年経っても、私を困らせるようなことを言う。「あなたはお父さんの方が好きなんでしょ」とか「あなたの好きなお父さんが●●●」とか。 

その母の気持ちや感情を抑えながら、このセリフが出てこないように母寄りに予定をアレンジする。

特に孫が生まれてからは、それはそれはの可愛がりようで、孫たち3人をとても大事にしてくれている。

祖母が亡くなり、5年ほど前に父が老人ホームに入り、コロナ明け、まだまだ元気な母とこれからも一緒に旅行したりできるなと思っていた矢先、去年、母は数週間で一気に痩せて、お腹が痛いと言って、救急車で運ばれ、大腸と小腸の間に癌が見つかり、大手術をした。

お正月は、「産まれて始めて」だと言って、病院で年越しをし、切除は出来たが、1月に入り、血の癌と言われている悪性リンパ腫が見つかり、2週間に一度、点滴3時間で抗がん剤治療をしている。

海外特にアメリカのように遠いところに住んでいると、こんなところがデメリットだ。

何かあっても直ぐに駆けつけることが出来ない。 

今は、ビデオ電話が出来るから顔を見て話が出来るのが良い。妹から様子も聞いていたので、それほど焦って帰国する心配はなく、今回の一時帰国で会うことが出来た。 

私の母は超が付くほどカラオケ好き、歌を歌うのが好きだ。 

癌になってこれからはもうカラオケに行くことが出来なくなるんだろうか? と思っていたが、今年も同じメンバーで行けた! 
妹と姪っ子も一緒に。 
2回行けて、1回はいつものメンバーで、2回目は息子も連れていくことが出来た。 

今年もカラオケに元気に行けてよかった

タイトルには、
「一時帰国前の気持ちって複雑」ってつけたが、毎回、沢山のエネルギーやアレンジで忙しいけれど、また元気そうな両親に少しでも会えたこと、兄弟とも中々lineではできない話が出来て良かったといつも思う。 

今年は、母の病気とのカラオケ
父の老人ホームからの墓参り
20数年と会っていなかった叔母(父に妹)との再会
弟3人、妹とそれぞれの家族との集まり

帰ることが出来て本当に良かったと思う。 



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