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OKANE と JIKAN

本を読んでいたり、Youtubeを見ていると、ふっと素敵な言葉に出会うことがある。もちろんnoteにも。

そんな時、『きっと、この言葉を伝えるためにここに来たんだな。』って思う。

昨日読み終えた吉本ばななさんの「違うこと」をしないことの中にも、素敵な言葉がいくつかあり、また、素敵な本を紹介されていたのでシェアしたいと思う。

「アップルを創った怪物 もうひとりの創業者 ウォズニアック自伝」の中で、ジョブズと自分の人生観の違いをこんなふうに語っています。
「片方は成功者。会社を経営し、いつも目標の売り上げを達成し、利益を出し続けるんだ。もう一人はのらりくらりとしてて、お金もあんまり持っていない。ジョークが好きで、世の中でおもしろいと思うこと、変わった装置とかテクノロジーとか、なんかかんかを追いかけ、ただ笑って人生を過ごすんだ。物事をコントロールする人より、笑って過ごす人の方が幸せだって、僕は思う。それが僕の考え方なんだ。僕は、人生で一番大事なのは幸せであり、どれだけ笑って過ごせるかだと思うんだ。頭がちょっとイカれたやつの方が幸せなんだ。僕は、そういう人間だし、そうなりたいとずっと思ってきた。

「違うこと」をしないこと P108引用

この文章を読んで、スティーブ・ウォズニアック氏にとても興味が沸いた。
そこで、「スティーブ・ウォズニアック」で検索をしてみると、こんな言葉にも出会った。

教育にとって重要なのはお金より時間、子どもたちのそばにいる時間だ。だから教師という仕事は尊い。お金が余ったからとコンピュータを学校に寄付するよりも、自分の時間を子どもたちのために使うほうがずっと難しくて価値がある

スティーブ ウォズニアックの名言集より引用

何が正しいとか分からないけれど、わたしの中にずっとあるモヤモヤが「家族と過ごす時間」だ。
現代は親も忙しければ子も忙しく、家族で過ごす時間が少ないような気がしている。塾や習い事に通い、知識と教養を幼いころから身につけられているのかもしれないけれど、家族との時間が蔑ろにされている気がずっとしていた。

朝早くから制服を着て、小さな体に大きなランドセルを背負った子が電車に乗って通学する姿を見ていると、なんか違うような気がしていた。

仕事帰り、電車の中でチョコレートを食べている塾帰りの子を見ているとなんか違うと感じていた。

いい大学に入れば、いい会社に就職出来て、一生安泰というお決まりのコースに違和感を感じていた。

もちろん、わたし自身がまったくそのようなエリートコースを歩んだ訳ではないので、良いか悪いかは分からないのだけれど、ただ違和感を感じていたし、今も感じている。

きっと、みんな不安なんだろうなと今思った。
何が正解か分からないし、一人の人間の人生を左右することだからテキトーって訳にはいかず、マニュアル通りのエリートコースにのせてやることが親として子供に出来ることだと思うのかもしれない。
そう思えばそれも愛なのかもしれない。

塾や習い事の費用を捻出するために、親が必死に働いてこどもとの時間を持てないことにずっと違和感を抱いてきた。

* * *

入社3年目の頃、人事制度が変わり階級制になった。
大卒の新入社員の方が、高卒の3年目のわたしより階級が上だった。

右も左も分からない大卒の新入社員に仕事を教えているにも関わらず、彼らの方が階級が上(もちろん給料も上)ということに納得がいかなかった。

それを1年下の短大卒の友人にこぼすと「そりゃ、それまでにかけてきたお金(教育費用)が違うもん。」とさらりと答えた。
正直、ショックだった。

給料(階級)というものは、それまでにどれだけお金をかけたかで決まるものなのかと。

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