こんなにワーママいうてるのに、フェミニストは名乗りたくない理由
どうも、まゆみっこです。
子どもが生まれてから、自分のアイデンティティのごとく、ワーママ、ワーママと叫んでおりましたが、「フェミニストです」とは名乗りたくない私。
どっちもヒステリーに女性の権利がー!!と叫んでいるのに、なんだろう、この抵抗感。笑
ちょっと考えてみました。
フェミニストはいつも何かに怒っている
フェミニストの第一印象はいつもヒステリックに怒っている。「怒る」の漢字の中にも女がはいっている。怒るの代名詞なのか。
政治家でも、当時の社民党とか、声高々に怒る女性のイメージが強かった。でも、一番衝撃的だったのは、カンボジアにて援助関係者が集まる、ある飲み会で、ヒートアップした会話だった。
NPO女性1:なんで、そこで道路作っちゃうのよ!それじゃ、人身売買が加速するじゃない!
某国際協力団体男性1:いや、そんなこと言われても、あの辺りは道路整備が全くされてなくて、経済格差生んでたんだし・・・。
某国際協力団体男性2:(ぼそっと)だから女はヒステリックで嫌なんだ。
え、そこでこんなにえげつなく怒っちゃうの・・?道路できても、人身売買止めるやりようあるじゃん。それをどうにかするのが、あんたたちの仕事じゃない?
えっ、こわ・・・。
はい、これがフェミニストのイメージです。怖いと近寄りがたい。私、あんな風になりたくないな・・・。
ワーママもいつも何かに怒っている
そうして私も時を経てワーママになった。分かったことがある。一方に分かってもらえないと、寂しい。ワーママの怒りは圧倒的な寂しさが根本にある。家事・育児・仕事の3両立が、体力的にストレスもあり、疲れているから怒るのもあるけど、やっぱり「どうして分かってくれないんだ」という寂しさからくる。
ママ:なんで、そこで帰ってきちゃうのよ!それじゃ、子どもが起きるじゃないの!
パパ:いや、そんなこと言われても、仕事も終わったし、普通に家に帰るんだけど・・・。
パパ:(心の声)だから女はヒステリックで嫌なんだ。
上のフェミニストの会話を入れ替えました。ただ、こういう家庭、きっとありますよね。
でも怒りの気持ちの裏には、育児の大変さを分かってもらえない女性の寂しさが詰まってます。何を分かってもらえない?下に書いてある通りです(いや、ほんとよく言語化してくれた)。
女性の権利のために戦う人、それがフェミニスト
少し日本の歴史を調べただけで分かるのが、なんと参政権が認められてから1世紀も経ってない。
・女性の参政権が認められたのが、1945年
・男女雇用機会均等法が施行されたのが、1986年
・育児休業法が施行されたのが、1992年
女性の性差別をよしとする理由はあったのか?
慣習であったから?当時の常識であったから?身体が異なれば役割も異なるから?そういうもんだから?
慣習とかロジカルさがないものに対峙するには、絶望的な時間と根気を要する。なので、怒りというメッセージを大勢で表現して、現状を変えれるよう突破する(デモとかね)。多分、それが昔のフェミニストだったんじゃないでしょうか。
フェミニスト本は、noteだとうえまつさんがよくまとめてくださってる。時間を見つけて、ちゃんと勉強してみたいな。
フェミニストに対する拒否感。それは、怒りに対するネガティブな感情。
フェミニストに対する一番の抵抗感は、自分はキレキャラというポジショニングなんだと思う。
自分でよくキレておいてなんですけど、やっぱり怒っている人は怖い。偉い人たち、怒ってるじゃないですか、故スティーブ・ジョブズとか、宮崎駿とか。んで、周りのみんながビビッて、それに委縮して合わせてしまうあの空気。
すっごい嫌だ。巷でアンガーマネジメントが流行るわけだよ。
ちなみに、住んでいたガーナじゃ、怒ることは、そんなに悪いことではなかった。みんなよくブチ切れて、怒りをオープンに表していた(エイ!っていう感嘆詞付きで)。でも次の日には、あっけらかんと何もなかったかのように、今までの仲に戻る(真実は不明だけど)。でも表立って、にちゃにちゃした後腐れはなかった。
まとめ:おかしなことに腹を立てるのは当然。怒りもまたコミュニケーション。
怒りに対するネガティブな感情があるものの、やはり、おかしなことはおかしいと、声を上げたい。怒りもまた喜怒哀楽の感情だもの。怒りだけ排除するなんて、私の気持ちが可愛そうだな。
怒りの根本は、(1)腹が減っているとき、(2)疲れているとき、(3)眠いとき、(4)寂しいとき、とよく言われている。
ワーママは主に(2)~(4)が当てはまる。怒りの原因はなんのか、ちょっと向き合ってみると、愛しい存在になる。
ただ、問題はいつも、分かってもらいたい人に、分かってもらえないことにある。
まゆみっこでした。
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