岡本太郎、芸術は決意の問題だ。
芸術とは何であろうか。職人と芸術家の違いとは何か。
勿論どちらも社会に必要ですが、どう役割が違うのか定義を明確にしたいと考えております。
そこで今回は、1999年に出版された、岡本太郎氏の[今日の芸術]より一部引用させていただきました。
「きれいなもの、上手なものは、見習い、おぼえることができるが、人間精神の根元からふきあがる感動は、習い、覚えるものではありません。」という言葉が特に印象的です。
【芸術は決意の問題】
「芸術の場合は、違います。技能は必要ないのです。無経験の素人でも、感覚(センス)と逞しい精神があれば、いつでも芸術家になれる。
芸ごと(歌舞伎、長唄、それこそ大工など)、技能は思い立ったり、精神力だけでは、決してできるものではない。
ところが芸術の場合は、全く事情が違います。ゴッホ、ゴーギャンの初期の作品など、かなり絵の具の塗り方が、たどたどしい。
しかし、マイナスどころか、それが逆に精彩を放ち、素晴らしい作品担っているのです。
『芸術は、決意の問題だ』と前にお話しましたが、
決意さえすれば、その精神力で技術が支えられる。
だから、あなたも今日ただいまから、芸術家になることが可能です。
ただし。美人が抜け出てくるような美人画は、いくら決心しても、ムダです。それは芸ごと、技能の領分だからです。
ところが線を五、六本、思う存分にひいて、何でも構わないから表現するというのは、
あなたの精神力が優れてさえいれば、それに比例して新しい技術がおのずと発見されます。
そしてそれは、たとえ、うまそうでなくても、立派な作品になる。
また逆に、いくら腕があって、朝から晩まで絵ばかり描いて技能を鍛錬していても、まったく芸術にならないこともある。いや、むしろそのほうがほとんどです。
ここに芸術の凄さ、恐ろしさがあるのです。
きれいなもの、上手なものは、見習い、おぼえることができるが、
人間精神の根元からふきあがる感動は、習い、覚えるものではありません。
熟練だけのうまい絵というやつは、これはちっとも面白くないのです。」
岡本太郎氏の[今日の芸術]p224を一部編集
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