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私と私の子供の死

私は20代後半のころ、一度妊娠をしたことがある。

相手は日本に住んでいるやはり精神的に壊れた性質を持つアフロ系アメリカ人。

私と彼が出会ったころ、私はまだ結婚していた。しかも、異常なことに、彼にお祭りで声をかけられた時、私は当時の相方と一緒にいた。夫は私と同じくらいの毒親育ちで、私たち二人は男女の関係ではなく、2人の毒親サバイバー。いわば運命共同体であり、いわゆる男女の関係ではなかった。もちろん身体の関係も無かった。

私は、10代の頃、自分が性的マイノリティであることを薄っすら自覚はしていたのだけど、なにぶん昭和生まれなので、女性にしか肉体的な興味がないことを自分の中で異常であると、認識していたこともあり、性的にとても魅力のある男性だったらどうなのだろうか?という好奇心が抑えられずに、どこから見てもハンサムで、一時期は歌舞伎町の外人ホストとして沢山の女性から、車や金品を貢がれるような男性だった彼に並々ならぬ好奇心が湧いた。

そう言った生活にあぐらをかいて、女性の心を思うがままに操り自堕落な生活をする自分に嫌気がさし、金や身体だけの関係でなく、ピュアなものを探していた、という時にまさしく目の前に現れたのは他ならぬ私だった。彼は数々の嘘で女達を手玉に取ってきた男でしたが、私は彼にびた一文貢がなかったし、彼から金の無心をされたことだけはなかったのが救いといえば救いだった。

短い時間で私たちはお互いにどっぷりとのめり込み、そうしているうちに私は妊娠した。

彼との間に子供がいる女性はほかに2人いた。彼は私との間にできた命を育むつもりは到底なく、私に他の女にすがって作ってきたお金で堕胎するよう頼んできた。

私の中では、葛藤が続いていたが、目の前に堕胎のためのお金は既に用意されていることに、半ば抵抗することは不可能だった。なにせ相手の男が認知するつもりは全くなく、私はその当時経済的に困窮しており出口がそこにしか無かったのだった。

私はダメ元で、ひょっとしたら私の子供であれば、母も子育てに協力してくれて、この私に宿った命を一緒に愛を持って迎えてくれるのでは?と、甘い幻想を抱いていた。

母と私は、実家の公団近くのフランス料理屋で話し合いをした。母の顔は曇っており、とても不快な表情で、

「あんた、黒人の子供なんか絶対ダメよ。相手からお金もらって堕しなさい。」

と、にべもなく言い放った。

私の心は身体に宿った小さな命と一緒に一度死んだ。母の愛情にずっと不信感があったのが、ここにきてはっきりと具体化したのだった。

母が大切にしているのは、私と私の身体、子供ではなく世間体だった。

ここではっきりと現実化し、私は崖の下に突き落とされるような衝撃を受けた。数々の挫折があった私ですが、この時ほど大きな衝撃を受けたのは人生の中でやはりこの時だったのだと思う。
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