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私がわたしであるために、

「わたしが、わたしであり続けてもいいんだよ。」と
そう言い聞かせるように、
「あなたも、あなたであり続けていいのよ。」と
そう、言葉を贈りたい。

しかし、自分が自分自身であり続けることは、
容易なことではなかった。

例として、
社会に出るということは、
社会のルールに順応し、適応しなければならないということに等しかった。

また、組織(会社)に属することを選択した場合、
その会社の規則やルールに対しても順応し、適応する必要があった。

最低限、守らなければならない。
そんな状況下に晒されるのである。

私は日々、自分自身と葛藤している。

わたしが私であり続けるために、
自分と向き合おうとするその葛藤は、
あまりにも苦しいものだった。

「自我が強い。」
というよりかは、「頑固」という言葉が、より当てはまるのだろうか。

人から指図されることや、意見されることが、とにかく嫌いで、
昔から大嫌いだった。

「なんでそんなことを言われなきゃいけないんだろう。」
そんな気持ちが常々脳裏をよぎった。

悪いクセだった。

でも、治すことは不可能であると自負していたし、
治す気もさらさら無かった。

むしろ、それも個性であると自覚していたし、
変えてしまえばそれはもうわたしではなくなってしまう、と思っていた。

そんなことを思い始めてからは、ある意味開き直って、
むしろスッキリしていた。

社会に出てから、多くの大人に揉まれ、潰され、
綺麗な心を失った。

何がしたいのか、
何者になりたいのか、
どこに向かっているのか、
何故ここに居続けるのか、

徐々に自分自身を見失っていった。

ゴールのない迷路に紛れ込んでしまって、
迷子になっていた。
そんな感じだった。

気が狂いそうな夜が何度か訪れては、
その度に自分が孤独であるということに気付かされた。

悩んだ末に辿り着く場所はいつもそこだった。

ふとした瞬間に気付いてしまうその「孤独感」に陥ってしまうと
なかなか抜け出せなかった。

そんな自分自身と、向き合い、葛藤し続けるしか道はなかった。

苦しかった。

そんな自分と一生涯付き合っていかなきゃならないその事実が、
苦しかったし、辛かった。

離れられないこの生身の身体と心。

苦しみと
孤独と
葛藤と。

そんな感情を抱いては、とにかく歩き続けるしかなかった。

気持ちが追いつかなくても、
どれだけ辛い思いをしたとしても、
歩き続けるしか方法はなかった。

ずっと、そんな感じだった。

気持ちも、心も、頭も追いつかないまま置き去りにされて
足だけは前に進み続けていた。

いつか立ち止まる時が来るのだろうか。

もしも、そんな日が訪れたとしたら、
その時には答えが出るのだろうか。

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