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ABCnote【C】Call Me By Your Name

「映画が趣味」って言うと大抵の人は「一番好きな映画は?」と聞いてきて、そのたびに返答に困ってしまう。けれど「一番影響を受けた映画は?」と聞かれたら間違いなく、2018年4月に日本で公開されたアンドレ・アシマン原作、ルカ・グァダニーノ監督『君の名前で僕を呼んで(邦題)』と答える。

観たことがない人のために、あらすじは映画.comより引用。

1980年代のイタリアを舞台に、17歳と24歳の青年が織りなすひと夏の情熱的な恋の行方を、美しい風景とともに描いたラブストーリー。83年、夏。家族に連れられて北イタリアの避暑地にやって来た17歳のエリオは、大学教授の父が招いた24歳の大学院生オリヴァーと出会う。一緒に泳いだり、自転車で街を散策したり、本を読んだり音楽を聴いたりして過ごすうちに、エリオはオリヴァーに特別な思いを抱くようになっていく。ふたりはやがて激しい恋に落ちるが、夏の終わりとともにオリヴァーが去る日が近づいてきて……。

まずこの作品の主題の一つになっている同性愛について。

私はもともと同性愛の作品には抵抗がなくて、というかむしろ好んで選ぶ傾向にある。(ケイト・ブランシェットとルーニー・マーラが主演の『キャロル』とか大好き。)現代社会において、特にこの数年はLGBTに対する目は寛容になってきているし日本でも特別珍しいことではないように思う。ちなみに私は同性愛者ではないし自覚している性と肉体も一致していてセクシャリティで悩んだことは一度もない。

ゲイの友人もいたしレズビアンの子もクラスにいたし偏見はないけど、あえて現実のLGBTの人たちを応援しようとかサポートしようとかまでして干渉しようとも思わない。じゃあなぜ同性愛の作品を好んで観るのか?それは私の創作のテーマ「正しいのに間違っていて、間違ってるのに正しいという人間の矛盾」を真正面から描けるテーマだからだと思う。

人を愛するのは正しいことのはずなのに、それが同性というだけで遺伝子的に、あるいは世間的に間違っているとみなされる。性を間違えて生まれてきてしまったのに、生きてることは正しい。とか、考え始めたらキリがないけど同性愛に限らず「人と違う」ということが生きる上で矛盾を起こしている。その矛盾は時代や文化、環境によって流動し、そのたびに人間は翻弄される。人間自身が作り出した矛盾によって。そんな矛盾に向き合い葛藤するのは人間にしかできない尊いことで、私はそれをこの上なく美しいと感じるのだ。(この話はまた【L】の記事にて深掘りしようと思う。)

話を映画に戻すと、個人的にはこの映画の全てが好きだ。同性愛、若さゆえの抑えきれない性衝動、いろんな意味で初めての恋愛と失恋。美しいイタリアの夏、フランス語と英語とイタリア語が交じる人々の会話、洗練された美術品。映画を彩る音楽は登場人物の繊細な心の動きを的確に表現する。全てに魅了され、映画公開中はできる限り映画館に通い合計6回は観た。サントラもパンフレットも買った。もちろんこの作品がきっかけで主演のティモシー・シャラメが大好きになった。

そして原作を買った。これが私の中でかなり衝撃だった。映画を先に観ていたせいももちろんあるけど、風景や心理描写があまりにも鮮やかすぎる。それでいて比喩表現が多く、ときどき難解でもありながらそれを読み解く快感がある。私は無駄に難解な表現が好きではないのだけど、この本の中に無駄な表現は一切ない。

訳者の腕もあると思うけど、地の文の中にこんなに繊細で複雑な感情をシンプルな言葉で乗せることができるんだと身の丈知らずの嫉妬もしたし、最後のページでは嗚咽がおさまらないほど泣いた。読み終わったあとは数時間放心状態になったほどだ。映画だけでなく、私の「影響を受けた本ランキング」にも殿堂入りすることになった。友人に言うと「大袈裟」と笑われるのだけど、私は本気でこの映画と小説が生まれた時代に生きていられてよかったと思った。

大学生の頃から私の創作のテーマは変わっていないし、書き方や言葉の選び方も大きく変わってはいない。でもこの作品に出会ってからはさらに比喩表現を意識するようになったし、できるだけシンプルな言葉にむき出しの感情をのせようというのは心がけてきたことの一つだ。

人の出会いと同じで、そのときに出会う芸術にも必ず意味があるはず。今このタイミングで出会うべくして出会ったんだと思う。だから、好きな作家の文章を真似したいとは思わないししようとしたってできっこない、でもこの作品を読んで感じたことは絶対に自分のこれからの作品にも生かしていきたい。


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