2022年11月の記事一覧
文芸批評断章30-33
30.
カズオ・イシグロの「遠い山なみの光」について。訳者の小野寺健は、この小説では人間が不条理な状況にいながらも希望が描かれているとするが、その希望は「強く明るい希望の光でも、逆に真っ暗な絶望の光でもなく、両者の中間の「薄明」」だという。確かに薄明である。それは希望であるのだから夜明けのそれである。しかも薄明性は希望のみに非ず。それぞれの登場人物を取り巻く重苦しい状況は、主に各人の何度もの語りを
文芸批評断章28-29
28
ツルゲーネフの『初恋』は、題名からも内容としてもロマン主義的であるが、その人物描写は辛口である。かのヒロインすらも、可憐にして純情なる乙女として描かれているかと言えば、必ずしもそうではない。主人公の母親にせよヒロインの取巻き連にせよ、俗物であり、あるいは冷笑的である。ヒロインは俗物ではないにしても狂気に近い奇矯ぶりが目に余り、時に冷笑的でもある。作者の筆致は、性格を丹念に描き出すところは写実
文芸批評断章23-27
23
山村暮鳥の詩集『雲』にあるいくつかの詩について殴り書く。
この詩では、人間が雲の世界を憧憬しているのであるが、この雲によって象徴される世界こそが暮鳥の究極的理想であり(さればこそ詩集の題名も『雲』なのである)、私のいうところの生物なき生命の自然なのである。この世界に詩人は焦がれているのである。生物がいれば生死があり、本能と闘争が不可避であり、ここからあらゆる苦悩が生ずるのであるが、生物がい
文芸批評断章20-21
20
島村抱月は『自然主義の価値』(6)において、次のように言う。すなわち、文芸の目的には快楽と実際的意義とがあり、両者を総括して美となる。一方に偏るのでは文芸ではない。道徳を説くだけでは単なる修身書であり、快楽のみを目的とすれば遊戯や飲食と変わらない。「両者は是非とも溶解して一になつてゐなくてはならぬ」のであり、「此の境を吾人はまず大まかに美と名づける」と。(現代日本文學大系 第96巻 文藝評論