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闘病記 vol.2

こんにちは、紗月皐です。
闘病記は毎週火曜日更新などできたらいいなと感じながらのんべんだらりと書いています。

と言いつつ、先週火曜と違って服薬を再開したことで病状が安定しており、なかなか書くものもないなあと思いましたので、過去の話でもしようかなと。少しセンシティブなことも書こうと思うので、そのあたりからは有料にさせていただいちゃおう。読んでね。

さてここから本題なのですが、実は過去のエピソードは私の他の記事にて多少記述しております。
(その記事はコチラです)

この記事にも書いた通り、私は小さい頃から精神的な成熟が早かったらしいです(短気ですが)。まだ一歳くらいの頃に日本語を自分で読めるようになり、小学校入学前には高卒レベルの一般漢字を覚え、父の書斎にある本を勝手に読んだりしていたそうです。また、とにかく新しい知識を吸収するのが好きで、同世代の遊びや流行についていくより自己の世界に耽るタイプだったように思います。
会話をするのは大人との方が楽しかったし、子供たちの言い分はなんて理不尽なんだと感じることも少なくありませんでした。
また、自分に非が無いことに対する苛立ちを感じやすかったために周りと折り合いが悪かった部分もあったのかなと。もっと柔軟に考えられる性格ならよかったのですが、良くも悪くも根は真面目で硬い人間に生まれてしまったし、それが自分の一つの美学だと思っている節がありました(今もですが)。

幼稚園年中頃には教員になる夢を持ち、小学校低学年で大学までの進路を想定し、程よく気の合う友人と遊び、勉強に向き合う。そんな毎日の中で、だんだんと家族からの期待が大きくなるのを感じました。常に周りと比較され、満点をとれなかったら叱られ、そしてそれは学問だけではなくスポーツでも求められるようになっていきました。それと同時に、上記のような性格なので同級生には調子に乗っていると虐げられ、何かをできなければ仲間外れになる日々の中で、自分の存在価値について考えることが増えていました。自分は間違っているのだろうか、自分は生きていていいのだろうかと自問自答した末に、これ以上苦しみたくない、自分が消えた方がみんなが幸せだ、という発想に至りました。小学2年生の頃でした。
中学受験をするように勉強させられたにも関わらず、直前にやめろと言われ(そもそもあまり行く気はなかったが)、中学時代に全国上位数%になっても褒められる訳ではなく、むしろ私生活での怠慢に文句を言われて来たので、高校は県外の私立高などを選ぼうかと思いきや担任などに止められ、しぶしぶ当初の予定通りの学校に進学しました。当然学業モチベーションは皆無だったので、進学校ながら全く勉強せず部活に精を出していたところで前十字靭帯の損傷と膝蓋骨脱臼というそれなりの怪我をして、そこで完全に心が折れてしまいました。

それまで何とか保ってきたものが決壊してしまったのと同時にうつ病と自律神経失調症を発症し不登校、そしてその病気たちと未だに戦うことになるのです。

振り返れば戻る場所はあったかもしれないし、もっと柔軟に、穏便にコミュニケーションがとれる人間である努力をすればよかったと思います。
素直に伝えることだってできたと思うことばかりですが、それでも人生です。
今は家族の理解も得ることができ、周りの人達にも恵まれて何とか生きることができています。
そして辛かった自分を救う力を持っているのは自分自身だと、強く信じて生きていこうと思います。

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