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「宿題」から見た教育改革 ~その①宿題の歴史とは?~

この記事は、日本学校改善学会誌に掲載された学術論文「小学校における宿題に対する教師と保護者の意識に関する考察 -フォーカス・グループ・インタビューの分析を通して-」(2022)と、教諭としての実践論文「宿題から家庭学習への転換 -2年間の学力向上部の取組を通して-」(2022)が優秀賞を受賞した筆者が綴る、宿題に関する考察と提言です。
学術と実践の両面から宿題について紐解きます。

「宿題」を知っていますか?

きっと全員が知っていると答えるでしょう。それだけ文化として根付いているものです。
しかし実は、宿題についての研究は数えるほどしかありません。そして、定義づけられたものもなく、文科省からの文言にもまったくと言っていいほど登場していない。もちろん、先生や学校を縛る法的拘束力があるものも全く存在していません。
みんなが知っているのに、実は漠然としている。
そんな不思議な存在が宿題です。

こんなに漠然としているのにも関わらず、全国的に計算、漢字、音読…と三種の神器のように反復的な内容で取り組まれています。
ベネッセ教育総合研究所の 「小中学校の学習指導に関する調査2021」によると、"宿題を毎日出す”先生は、97.1%に及びます。ちなみに2016年の調査では95.2%で、なんと毎日出す先生の割合が増えているのです。

ではこの宿題の歴史は、どのようなものでしょうか。
検索すると次のような記事が出てきますが、詳しく学術的に記述されたものは見当たりません。

私が学術論文において、明らかにしている歴史は次の通りです。

佐藤(1999)によると、現代の宿題が生まれたのは近代学校が発足した 30 数年後、つまり 1900 年代初頭であり、「国民的教養・技能」の質と量とが政策的・社会的に増大化する動向が背景となっていたという。学校での授業時間では、教授内容の必要最小限のすべてを確実に習得させるのはとうてい困難であり、繰り返しの練習で習得されるとみなされた漢字学習や演算については、家庭での練習が求められたという。また、ザラ紙・鉛筆・謄写版の普及により、宿題の頻発を可能にする条件が整い、さらに、内申書が導入されたことにより、学業成績を細かく判定する必要が高まり、宿題の恒常化が当然視されるようになったという。このことについて、佐藤(1999) は、学校での知識・技能の「教え込み」が当然とされるあいだは、宿題の課制も当然とならざるを得ない関係 にあると述べている。

宮崎麻世(2022)「小学校における宿題に対する教師と保護者の意識に関する考察 -フォーカス・グループ・インタビューの分析を通して-」学校改善研究紀要 2022: 27-41

ここに登場している研究者は、佐藤秀夫先生という教育学者です。佐藤先生は『学校ことはじめ事典』などを執筆されており、学校の文化を長年研究されてきた方です。様々な文献をあたったところ、この先生の記述に宿題に関するものを発見し、これが宿題の歴史に関する参考文献で一番妥当性があると判断しています。

また、この後宿題がどのような変遷をたどってきたのか、ということについても文献の調査を行いました。朝日新聞の記事データベース(聞蔵Ⅱビジュアル)から宿題に関する記事の抽出、国立国会図書館デジタルコレクションを用いて、宿題に関する論文や雑誌、出版書籍の検索を行い、全て洗い出した上で5年毎のグラフに整理しました。

宮崎麻世(2022)「小学校における宿題に対する教師と保護者の意識に関する考察 -フォーカス・グループ・インタビューの分析を通して-」学校改善研究紀要 2022: 27-41

佐藤(1999)が述べるように、1900 年初頭から宿題に関する記事や文献があったことが明らかになるとともに、1955 年から 1970 年にかけて、宿題に関する記事や文献が多く登場していました。これは、このころに「宿題廃止論」のブームがあったことを示しています。しかし何らかの影響を受け、 1970 年代には宿題に関する議論は、ある程度収束していきました。
宿題は、その存在について議論されることもありましたが、結局は淘汰され、1900 年初頭からあまり形を変えずに根強く存在していると言えます。
(※詳しい内容は論文をご覧ください。)

100年以上、ほぼ形を変えずに存在している宿題。
ここから見えてくる学校文化は一体なんでしょうか。
現在の日本の学校教育を紐解く鍵がここにあると考えています。

次回に続きます。


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