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怪作!映画『みなに幸あれ』……荒削りだからこそ尾を引く猛毒(微ネタバレ考察・感想)

節分も終わればもうじき三月三日、いわゆるひな祭りですが、雛人形が元々どういうものだったか知っていますか?
知らないの?
あなた、頭の中がお花畑なのね。

……なんて言葉を突然かけられたら、あなたはどう思うだろうか。
いや、何でもない。映画の話をしよう。

角川ホラー大賞を受賞した短編を長編化した映画『みなに幸あれ』を観てきた。
予告編の段階から異質な怖さ不気味さを放っていた本作、やはりとも、意外だとも思ったが『エクソシスト』や『リング』のような万人ウケするホラーエンタメではなく、確実に人を選ぶ質感。
こういった作風のものが大賞に輝くとは。
この手のテイストで、醜悪さをナンセンスに落とし込んだだけで終わらせない、というだけでもアングラ邦ホラーとして新機軸な気がしている。

簡単に冒頭のあらすじを書いた後、ネタバレ警告文を挟み、内容や描写にはあまり直接触れないが、より内容を踏まえての考察、感想を。
(フィルマークス投稿文に加筆修正)


■冒頭のあらすじ


東京での生活の合間に、久し振りに祖父母のもとを訪れた孫。
彼女は、困っている人に自然と手を差し伸べられる優しい若者であり、その性格もあってか看護士を志しているようだ。
田舎の村で、嬉しそうに孫を迎えてくれた優しい祖父母と、懐かしい家。しかし祖父母も家もどこか……おかしい……


※以下、作品の内容や描写を踏まえての考察・感想となります。公開直後なので現時点では物語やラストは直接書きませんが、新鮮な気持ちで鑑賞したい方にはネタバレになる可能性があります。ネタバレ注意!!


□『ミッドサマー』的?いや、この恐怖の本質は真逆である

明らかな異常さなのに自分以外は淡々と「当然の事」だとしている……といった“違和感”を滲ませ、そこから主人公の抱く“嫌悪感”や“罪悪感”へ繋げていく見せ方の妙は醜悪でありつつ恐ろしくも、巻き起こる事や行われている事がまるで当たり前の摂理ですよ、と語りかけるかのような、低温の啓蒙が充満した人々の生きている世界観の雰囲気に酔う。
まごうことなく重たい“悪酔い”であるのだが、近年のアングラホラーとして阪元裕吾監督が得意とする
「俗悪露悪バイオレンス×閉塞コミュニティの不気味感」
とも、因習系の雰囲気を用いる清水崇監督の村シリーズにある
「フォークロアの質感を着たパッケージングありき感」
とも異なる、生理的嫌悪や悪趣味描写を下地となる世界観に根深く絡ませた薄暗さと、キッチュを所々シュールに変換する気持ち悪さが強烈。

『呪詛』の記事でも触れたが、こういった“僻地に行ったら変な風習があったでござる怖い!”みたいな映画や“変な信仰してる場所に来てしまったでござる怖い!”みたいな映画があると安直に「ミッドサマー的」と表現する風潮が近年あるようで、実際印象として観客がそう感じる事(ミッドサマー観たときと同じ嫌さがあった、等)は感じ方として否定しないし、形容する語彙として便利でインパクトある映画がミームになったなとは思うのだが、本作をじっと観るに、この映画の恐怖は『ミッドサマー』のような質感で始まりつつも、むしろ世界観的な恐怖の質は真逆と思える。
近代的ないし文明的な、現代において多数派の文化圏に属する主人公が「未開・局地的な文化圏に迷い込んだ衝撃」が『ミッドサマー』の恐怖である。
だが本作『みなに幸あれ』においては、現代的・多数派・かつ人間的と思われた(観客と主人公本人がそう思っていた)主人公が、実は世界的な摂理を知らない「無知な未開の少数者であった衝撃」という立場の逆転が叩きつけられる。

やべー少数派の中に来ちゃった!な『ミッドサマー』とは反対に、やべーと思ってた奴らが多数派で少数派は自分だった!というのがこの作品の恐怖だ。
そして、少数派の上カルト的な妄言妄想に耽っているやべー奴ポジションが、常識や摂理に背いた迷惑者の伯母である。
なので、この映画を他の作品を出してたとえるならば『ミッドサマー』的というより、昔の『世にも奇妙な物語』の「ズンドコベロンチョ」的だ。

ナンセンスさと目を覆いたくなるショッキングさを繰り出す映像は猥雑かつ独特でありつつも、説明台詞で核心を語りすぎない脚本や、芝居がかりすぎずリアル狙いの一周回った平坦滑りもしすぎていない(ナチュラルか、単純に棒読み的かの二者の)演技の温度感も邦画には珍しく観やすかった。
目の大きな女優の顔芸と黄色い悲鳴に頼ってショックを表現していく従来のホラー映画とも違った、主演の古川琴音さんの演技も印象的。
彼女が演じた“赤の他人に対しての献身を生業とする”といっても過言ではない職を志し、困っている人に自然と手を差し伸べる主人公の人物造形にもしっかり血が通っており、物語の最初と最後で、そこでの振る舞いと表情で、ストーリー的な意味をいっそう感じられたのも良い。

モチーフやテーマ以上にメッセージ性があるとしたら、職業差別に“自己責任論”を沿わせ、イス取りゲームに勝つスペックが無かった者がいわゆる3K仕事なのだ、と声高な人々に似た理屈の排他性、綺麗事ではそこを論破しきれない歯痒さに似た感情を思い起こさせるこの感覚だろうか。

個人的に民俗学をかじってる身としては、俗習・信仰といった面で遠巻きながら幾つか思い当たるものもあり、村シリーズや『忌怪島』のように題材を直線的に用いてるのに大切にしていない作品よりはずっと刺さる巧みな嫌さがあった。
冒頭の繰り返しになるが、たとえば三月三日の“ひな祭り”の雛人形が元々どういうものだったかや(私が監督ならサンタクロース云々やお花畑云々のくだりに絶対にこの言葉を作品に入れてしまっていたな)。
おじろく・おばさと呼ばれ、人として扱われない、家のために使われるだけの家畜同然の扱いをされる人々がいた、現代から考えれば酷く非人道的な古い風習があった事や。
どうしても思い出してしまう因習がいくつかあり、故にとても和風というか、日本的な惨さを孕んだJホラーとして噛み砕いている。

やや荒削りで描写先行と思われるシーンも感じられるが、アイドルワーキャー頼みの近年のJホラーシーンに風穴を開ける、テーマの太さと確固たる個性と斬新な恐怖を纏った最“狂”傑作。
監督にはこれからもホラー映画を作り続けて欲しい。

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