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【怖い商店街の話】 靴屋

その商店街の靴屋には、雨の夜に現れるという女の幽霊の噂があった。

ある雨の日の日没過ぎ、わたしは家に帰る途中にある商店街でお弁当を買っていた。すでに空は薄暗く、街灯の明かりがつき、閉店準備をしている店も何軒かあった。
アーケードとは違い、傘を差しながら買い物をしなくてはならないため、夜になるとほとんど人は歩いていない。
わたしも傘を差したままお弁当を受け取り、自宅に向かって歩き出した。

ふと前方にある靴屋の前で立ち尽くす女の姿が見えた。
その日は差している傘に雨音が響くほど雨が降っているというのに、女は傘を差さずにただ靴屋を向いて立っていた。
髪も服もずぶ濡れで、雨が滴っているようだった。

わたしは不憫に思い、傘を貸してあげようと近づいた。けれど、わたしがふと足元に視線を落とした時、女の足首から下が消えてなくなっている事に気づき、思わず足を止めた。

すると、雨に濡れた女はわたしに気づいたのか、こちらをゆっくりと振り向いた。
わたしの心臓の鼓動は早まり、息を飲んだ。
雨に濡れた女は、わたしを見つめたまま何も言わずに消えてしまった。
恐怖からなのか、それとも雨で冷えたからなのか、わたしの体は震えていた。

「あんたにも見えたかい」

靴屋の中から聞こえた声に、わたしの肩が震えた。
靴屋を覗くと、靴が並ぶ店の奥に椅子に座った白髪のおばあさんがこちらを見ていた。

「あの子は何もしないから、そんなに怯えなくても平気よ」

おばあさんはあの雨に濡れた女の事を知っているようだった。

「あの女性は一体、何だったのでしょうか。わたし、あの人と目が合っちゃったんですけど、呪われます?」

苦笑いをしながら、わたしはおばあさんにそう尋ねた。

「そんな事、するわけないよ」

そう言って、おばあさんは首を振った。

「彼女、足首から下がなかったみたいですが……」

わたしがそう言うと、おばあさんはわたしに手招きをした。
店の中に入ると、おばあさんは椅子を用意してくれて、彼女のことを教えてくれた。

それは、今から一年ほど前の事。
その日も朝から雨が降り続き、夜になっても止まなかった。
商店街に客が来たのは昼間だけで、日没にはほとんどの店が営業を終えていたが、靴屋は、客がいなくて定時まで店を開けていた。

椅子に座ったまま、おばあさんはお茶でも飲みながら外を眺めていた。

「よく降るわ」

そう呟いた時だった。
ぴしゃぴしゃと水溜まりを歩く音を立てながら、店の前に傘を差したスーツ姿の女性が現われた。
社会人になって間もないというような、そんな初々しさがあった。

「すみません」

店に入って来た彼女の足は素足で、手にはハイヒールを持っていた。
その足は雨に濡れたせいで泥や砂で汚れていた。

「あらあら、どうされたの? 綺麗な足が真っ黒じゃない。こんな雨の日に足を冷やしては風邪ひくわよ」

「駅を出たところでヒールが折れてしまって」

彼女が持っていた靴のヒール部分は、綺麗に折れて無くなっていた。

「ホント、今日はついてないですよ。会社に行く途中で自転車にぶつけられるし、会社ではミスをして上司に怒られるし。駅から出たらヒールが折れるし」

彼女はため息をつきながら、店に並んだ多くはないハイヒールの中から一つを選んだ。

「今、履いて行くのかい?」

そう言うと、「もちろん」と彼女は言った。

それもそうだろう。
靴がなければ、彼女は家まで裸足で帰らなくてはいけないのだから。

けれど、おばあさんは「わたしのお古で良ければあげるから、それを履いてお帰りよ」と彼女に言ったそうだ。

その理由には、「雨の夜に新しい靴を履くのは縁起が悪い」とおばあさんは子供の頃から母親から言われていたからだそうだ。
靴を買いに来る人には、その事を必ず伝えているらしい。

けれど、そんな迷信を信じる人はほとんどいないだろう。

彼女もその一人だった。

彼女は買ったばかりのハイヒールを履くと、おばあさんにお礼を言って傘を差しながら去って行った。
処分しておいてほしいと、古い壊れたハイヒールを置いて。

「ただの迷信だといいけれど」

おばあさんは、不安に思いながらも彼女を見送った。

ついていないと落ち込んでいた彼女も、新しいハイヒールを履いて靴屋を出る時には、とても晴れやかな表情だったそうだ。

それからしばらく経っても、雨は止まなかった。
おばあさんが閉店準備を始めた頃、遠くで救急車のサイレンが聞こえてきた。
それは複数台聞こえ、どこかに向かっているようだった。
商店街にも、その一台が通り抜けて行った。

嫌な予感がした。

おばあさんは店のシャッターを閉めた後、傘を差してサイレンの鳴る方へ向かった。
近づくほどに聞こえてくるのは、サイレンの音と踏切の警報音。
おばあさんが踏切に着くと、そこには赤色回転灯を灯した救急車が数台止まっていて、その一台の中では救命処置を行っている救急隊の姿が見えた。

若い女性が電車に轢かれた。
野次馬の話し声がおばあさんの耳に入り、踏切の方へ目をやった。

すると、線路の上に見覚えのある傘とハイヒールが落ちていた。

ハイヒールには足首までがまだ残っていて、一つは線路に挟まり、一つはそこから少し離れたところで転がっていた。

ハイヒールの周りには、色の違う雨水が流れているようだった。

警官の一人が転がっていた片方の足を拾い、線路に挟まったもう片方の足を拾い上げようとしたが、なかなか取れずに苦労しているようだった。
足を強く引っ張ると、彼女の足だけが靴から抜けてしまい、警官の表情が強張っていた。

おばあさんは救急車に向かって手を合わせながら、「堪忍な、堪忍な」と謝ったそうだ。

結局、彼女は亡くなってしまったようだ。

それからだった。
雨の降る夜に、彼女が靴屋の前に現われるようになったのは。
最初に見た時には、おばあさんも驚き恐怖したという。
自分の事を恨んでいるのではないかと。

しかし、彼女はただあの日と同じく「靴をください」と呟いたという。

「どれがいいのかい?」

おばあさんが震える声でそう尋ねると、彼女は自分の足を見て悲しげに、

「どこに行っちゃたんだろ。私の足、知りませんか?」

そう呟いて、消えていくという。


今では、ただただ靴を見ながら消えていくのだそうだ。

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