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【怖い商店街の話】 魚屋

商店街の中で、シャッターに閉ざされた一軒の店があった。
かつては代々続く魚屋だった。
戦時中、空襲で一帯が焼け野原になり店が焼けてしまっても、先代はまた同じ場所で魚屋を立て直した。

だが、ある事件があって店は閉じることになった。

大将は三代目の五朗。
毎朝、車で市場に出向いては旬な魚を仕入れてくるため、店先にはいつも新鮮な魚が並んでいた。
それに店には活魚水槽もあって、活きのいい魚やサザエ、海老が泳ぎ、買うことができた。
値段も良心的で、店には毎日たくさんのお客が訪れていた。

五朗の妻である美千代は料理が得意だった。
店先に並んだ魚が売れ残ると、美千代はその魚で煮魚を作る。
翌日、店先に美千代の煮魚が並ぶと、あっという間に売り切れてしまう。
美千代の煮魚を目当てにする人もいて、毎日作ってほしいと頼まれたが、美千代は「うちの魚屋は新鮮な魚が売りなのよ」とはぐらかすのだった。
それはきっと、同じ商店街に構えるお総菜屋を気遣ってのことだろう。
それでも、五朗は美千代が作る煮魚の美味さを知っているために、毎朝少し多めに鮮魚を仕入れるのだった。

そして、五朗と美千代の間には、睦美という女の子がいた。
睦美も魚が大好きだった。
物心つく頃には魚を食べ、刺身も煮魚も焼き魚も大好きだった。
自宅は店の二階だったことで、よく店に降りてきては活魚水槽を夢中になって眺めていた。

「いらっしゃい、いらっしゃい」

と五朗や美千代のマネをして手を叩く睦美の姿が可愛くて、お客はいつもより多く魚を買って行く。
睦美のおかげで、売れ行きは益々増えていったのだった。

五朗は、月に一度趣味の釣りに出かける。
睦美が生まれる前は、毎週行くほど釣りが好きだった。
海岸沿いにある堤防が、五朗が長年お気に入りの釣り場。
そこは、アジやイワシなど様々な魚が釣れる事から、五朗以外にも常連の釣り人が何人も訪れるのだった。
すでに釣り人たちとは顔なじみで、のんびりと釣り糸を垂らしながら、釣った魚を刺身にしたり、七輪で焼いて食べたりするのが最高の楽しみだった。

睦美が十歳になった頃、五朗は睦美を連れて釣り場へやって来た。
それまでは、睦美がどんなに行きたいと駄々をこねても、海は危ないからと美千代が反対をしていたのだ。
だから、五朗も睦美を連れていくことはなかった。
ようやく美千代の許可が下りて、五朗も睦美も楽しみにしていた。

常連の釣り人たちは、初めて見る睦美を可愛いと言って目を細めた。

五朗が釣りをはじめると、睦美は大人しく五朗の隣に座り、垂らされた釣り糸を眺めていた。
その日は波も穏やかで、針を垂らせばすぐに魚が釣れた。
バケツには次々と魚が入っていく。

睦美はバケツに入った窮屈そうな魚を不憫そうに見ていたが、隣で釣り人のおじいさんが焼いている魚を一匹もらうと、防波堤に腰かけて睦美は美味しそうに食べていた。
五朗は釣りに夢中になり、まわりの釣り人はすでにお酒を飲み上機嫌だった。

睦美は、魚を食べながら海面を覗いていた。
不意に海面に、一匹の魚の影が現れた。
魚の影は移動し、気になった睦美はそれを追いかけた。

そして、魚の影は八の字に遊泳した後、深く潜ったのか姿を消した。
だが、すぐにまた海面に魚の影が現れた。

今度は影が二つになった。
また八の字に遊泳した後、姿を消した。

そのうち、いくつも魚の影が海面に現れた。
海面をじっと見つめていた睦美には、手を伸ばせば届きそうなほど海面が近くに見えていた。
睦美は魚を捕まえようと海面に手を伸ばした。

しかし、手が魚に届きそうになった時には、睦美の体が海に落ちていた。

睦美は穏やかな海の中を沈みながら、底で異様な光景を目にする。

海底で砂を巻き上げながら、大小様々な魚たちが何かに群がり食べているようだった。

睦美の目には、それが腐敗した男性のように映った。

腐敗した肉を魚たちがついばみ、半分以上骨がむき出しになっていた。

睦美の口から大きな空気の泡が出ると、魚たちは一斉に睦美の方を向いた。


そこで睦美の記憶が途切れる。

睦美が海に落ちた時、五朗はすぐに気づいて海に飛び込んだ。
海中で浮遊していた睦美の体を抱えて浜辺まで泳いだ。
浜辺に着くと、睦美は呆然と立ち尽くした。

「大丈夫か?」

五朗が問いかけると、睦美は海を指差して、

「お魚さんが男の人を食べてた」と言い、それを聞いた水田という釣り人が堤防から海面を覗き、睦美が落ちた場所に飛び込んだ。
他の釣り人は水中の腐乱死体という最悪な状況を思い浮かべながら、飛び込んでいった水田の浮上を待った。

「お魚さん、パクパク美味しそうに食べてた。男の人、悲しそうにこっち見てた」

五朗が睦美の背中を擦っていると、海に飛び込んだ水田が浜に上がって来た。
水田は濡れた服を絞りながら、首を横に振った。

「別に何もいませんでしたよ」

五朗も他の釣り人たちも安堵した。
それでも、睦美は海を指差して「お魚さんが男の人食べた」と繰り返した。

五朗は、「怖い思いをして、何かを見間違えただけだよ。気のせいだよ」と睦美の肩に手を置いた。

「お魚さん、私の事をじっと見てた。美味しそうに見てた」

次第に睦美の体が痙攣し、鼻と口から海水を吐き出した。
その様子に慌てた五朗は、睦美の体を抱きかかえて車に乗り込み、そのまま近くの病院へ向かったのだった。
五朗らを不安げに見送る釣り人たち。
その中の一人の老人は、「障りにあったか」と呟いた。

五朗が運転する車の後部座席で横たわる睦美。
バックミラーに映る睦美は、眠っている様子だった。

車をしばらく走らせたところで、小さな診療所を見つけた五朗は駐車場に車を止めると、睦美の名前を呼びながら後部座席を振り返った。

すると、さっきまで横になって寝ていた睦美は、ちょこんと椅子に座っていた。

「睦美、大丈夫か?」

心配している五朗をよそに、睦美は「どうしたの、お父さん。釣りはもうおしまい? もう帰るの?」と何事もなかったようにそう答えた。

睦美は嫌がったが、五朗に説得されて仕方なく診療所で簡単な検査を受けた。
だが、どこにも異常はみられず、睦美は海の中で見たものも忘れてしまったのか、何を聞いても首をかしげるだけだった。

その日は結局、そのまま家に帰ることにした。
五朗の釣り道具は、あの場にいた釣り仲間に預かってもらうことになった。

家に帰っても、睦美は普段と変わらず元気だった。
夕食の焼き魚は、一瞬箸が戸惑ったように見えたが、それでも睦美は美味そうに食べていた。
だから、美千代には睦美が海に落ちたことは伏せておいた。

何事もないように思えたが、日が経つにつれ睦美に異変が起きはじめた。

あんなにも好きだった焼き魚を食べなくなった。
白くなった魚の目が怖いと睦美は呟いた。
その時は、まだ生きている魚を怖いとは言わなかった。
店に下りてきて、活魚水槽を眺めているほどだった。
魚の頭を取ってやれば食べていたし、美味しいと言っていた。

だが、いつしか魚を食べることも、食卓に並ぶこと自体も嫌がるようになってしまった。
五朗と美千代は、睦美が食べ終わった後で食事をするようになった。

ある時、睦美の描いた絵には、防波堤近くの海で沈んだ人が何匹もの魚に食われ、それを泣きながら見ている睦美が描かれていた。

海の色は灰色で、魚の色は真っ赤だった。

それからしばらく経って、今度は学校からか帰ってくると、睦美は魚をさばく五朗を嫌そうに見つめるようになった。
店の奥にある調理場では、五朗が魚を刺身や切り身にするため毎日さばいている。
その内臓や血が床に盛り土のように落ちているのだった。

睦美の目には、その血と内臓が心臓のように脈を打っているように見えた。
そこから、人の指が這い出てくるのが見えると、睦美は二階へ逃げていくのだった。

しかし、それは五朗にも美千代にも見えず、困惑するばかりであった。

睦美の描く絵には、赤い目をした魚の体に大きな目があり、用紙一面にきらいと書き殴られていた。
魚の見るたび、睦美は自分の事を見られていると感じていた。

一階にある活魚水槽の水中ポンプの音を聞くたび、睦美は自身の周りで泳ぐ赤い魚の幻覚が見えるようになった。
魚のニオイを感じるたび、水中で魚に食われていた男の目を思い出す。

睦美はそれを嫌がり、友人にもらった香水をつけるようになる。
その香りは、魚のニオイも消えるほど強烈なものだった。

一階から降りてくる睦美の香水は、お客にも鼻にも届いた。

「思春期だしね。年頃の女の子には、お魚のニオイは嫌かもしれないわね」

常連客は寛容だった。
両親が香水をやめるように注意をしても、睦美は聞き耳を持たなかった。

睦美は、睨むように活魚水槽を見つめていた。
五朗も美千代も首を傾げるばかりだ。
他の人には、活魚水槽で漂う魚の姿が映っている。

だが、睦美の目にはそうは見えていない。
睦美の目には、水の中で泳いでいる魚たちはじっと自分を見ている。
それも、魚の目は充血し赤く染まっているのだ。
睦美は、水槽の中に手を入れようとした。

その時、ビリリと指先に電気が流れ、とっさに手を引っ込めた。
睦美の視線の先には、水中ポンプが見える。
わずかに漏電し、水面に電気が流れていたようだった。

魚はそれでもこちらを見ていた。

その夜だった。
二階で寝ていた睦美がふいに目を覚ます。
時間は深夜12時を超えていた。

睦美は起き上がり、部屋の襖を開けた。
隣の部屋では五朗と美千代が寝ていた。

睦美は、寝ている両親の横と通り過ぎて、一階に下りていったのだった。

一階はすでにシャッターも閉まり、電気も消えていた。
活魚水槽の明かりがわずかに一階を照らし、水中ポンプの音が響いている。
睦美は活魚水槽の前に立った。

魚の目がゆっくりと赤く染まり、魚たちはみな睦美の方を向いた。
魚の体から赤黒い液体が滲み出し、水槽の水は濁っていく。

すると、水槽のガラスに歪んだ男の顔が映り込む。
睦美は眉をしかめ、僅かに電気の流れる水槽に手を入れて一匹の魚を手に取った。
キッチンに乗せたのは、ただの魚。
口をパクパクと動かしながら、ただ横たわっている。

しかし、睦美の目には横たわるその魚の目は赤く、鱗にはいくつもの人の目玉が浮き上がり、ギョロギョロと動いていた。


ウマイ、ウマイ、ヒトノニクウマイ、モットクワセロ


睦美にはそんな声が聞こえ、あの日海の中で見た光景が浮かび上がる。
鱗の目は、一斉に睦美を捉えた。
睦美は五朗の使っている刺身包丁を手に、目の前の魚の頭を切り落とした。
しかし、切り落とされた魚は口をパクパクと動かし、鱗の目は血走りながら四方八方に錯乱し、体中から赤黒い液体があふれ出てきた。

それを見た睦美は、発狂しながら包丁を何度も何度も振り下ろした。

水槽の中の魚が、じっと睦美を見つめていた。

睦美の発狂する声が二階にも届き、五朗と美千代は目を覚ました。
部屋の襖が開いていることに気づき、五朗と美千代は顔を見合わせ息を飲んだ。
そして、五朗を先頭にゆっくりと一階に降下りていく。

そこで見たものは、娘が一心不乱に刺身包丁を振り下ろしている姿だった。
振り下ろす先には、すでに原型をとどめていない、ミンチになった魚。
足元にも、いくつもの切り刻まれた魚が落ちていた。

「何をやってるの。睦美」

美千代が声をかけると、睦美は手を止め振り返った。
睦美の顔には魚の飛び散った身で汚れ、目は血走っていた。
だが、何故か薄っすらと笑っているように見えた。
五朗は、水槽の中を見て愕然とした。
水中ポンプは壊され、水槽の中の魚は一匹だけが残り、それもまた水面に浮かんでいた。

「睦美、なんでこんなことを」

振り返ると、そこには血に染まった手で包丁を握る睦美が立っている。
目はギョロギョロと焦点が合わず錯乱している。


イヤダ ワタシハ タベラレタクナイ


五朗にゆっくりと近づく睦美。
睦美の頬には鱗がこびりつき、水槽の明かりで水の中にいる魚のように輝いて見えた。
その時、おもむろに店の電気がついた。
着けたのは、美千代だった。

「睦美、落ち着きなさい」

睦美は明るくなった店の中で、ふと鏡に映る自分の姿を見た。

全身に魚の血が飛び跳ね、頬には鱗がたくさんついていた。
自分が魚に呪われたと思い、睦美は発狂する。
それを止めようとした五朗は、睦美ともみ合った結果、活魚水槽が割れてしまい五朗と睦美の体に水がかかり、睦美が破壊した水中ポンプから漏れた電気が五朗と睦美の体を感電させた。

そのまま意識を失う五朗と睦美。

美千代が救急車を呼び、二人は病院に運ばれた。
五朗は心臓発作を起こし、そのまま意識が戻ることなく亡くなった。

睦美は無事であったが、退院後に商店街近くの踏切で自殺をして亡くなった。

残された美千代は精神を病み、遠くの静かで穏やかな病院に入院することになった。


そして、店は廃業することになった。

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