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【怖い商店街の話】 お茶屋

うちは乾物屋を営んでいる。
二人並んで歩ける程度の狭い商店街は、これでも昔は買い物客も大勢いて賑わっていたし、店も毎日営業していた。
だが、近くに大型スーパーが出来てからは客足も遠のき、今では並びの店はほとんどシャッターが閉まっている。
営業している店は、商店街の入口の方で数える程度だった。
毎日、暇な日々を過ごしている。

向かいのお茶屋のばあさんは、いつも店先で座布団の上に座りながら、自分とこの茶を飲みながらニコニコと微笑んでいる。
かといってばあさんが接客をするわけでもなく、客が来ると手元にあるベルを鳴らして息子に知らせるのだ。
前は息子も店先にいたのだが、客が通らないと手持無沙汰となり、いつしかばあさんのベルで出てくるようになった。

息子は親父さんに似て、かなりのこだわりが強くて几帳面だ。
来た客に美味しい茶の入れ方を伝授しながら、茶に関するうんちくを披露する。
急須の形や、湯の温度、産地による茶の味なんかも、細かく説明しているようだ。

一方、ばあさんは気にしない性格のようで、試飲の時は黙って急須に湯を入れるとすぐに湯飲みに注ぐ。

あたしは熱いお茶が好きなんだよ。

と、時々息子と言い争っているのを聞いたことがある。

店の距離が狭いこともあって、俺はよくばあさんと話をした。
話といっても、その日の天気だとか近所の誰々が亡くなったとか、あとは昔の話を聞かされる程度。
それでも、俺には暇つぶしにはなっていた。

いつの間にか日が暮れて、ばあさんが「さてさて」と言いながら店の中に入っていくと、息子が出てきて店の片づけを始める。

そして、お茶屋のシャッターが閉まれば、俺も店を閉めて帰るのだ。

ある時、お茶屋が数日休みとなった。
店を開けていても、客は乾物に目もくれず通り過ぎていくだけ。

話し相手もおらず、前はシャッターしかない。
シャッターと話し合うほど、老いぼれちゃいない。

暇すぎて、拷問に近い時間が過ぎる。

数日後、いつもより遅くに店を開けた。
すると、お茶屋のシャッターが開いていて、店先にいつも通りばあさんが座布団の上で茶を飲んでいた。

「おー、吉野さん。久しぶりじゃないか。どうした、風邪でも引いたか」

俺がそう尋ねると、ばあさんは茶をズズズと飲んだ。

「毎日こうやって茶を飲んでるから、あたしゃ今まで風邪なんて引いたことがなかったんだよ。引いたことがなかったもんだから、それが風邪だと気づかなかった。息子に無理やりに病院に連れていかれて、行ったら三泊もする羽目になってしまった」

と、ばあさんは笑いながら言った。

ばあさんは、看護婦さんが優しかったよと目を細めた。

俺のことは、向かいが閉まっていて寂しかったろうと笑った。

そして、息子に自分の事は気にせず店を開けろと言ったという。

「あんたも、風邪を馬鹿にしちゃいけないよ。ほら、こっちに来て茶でも飲みな。あたしが美味い茶を入れるからね」
そう言って、俺を手招きした。

ばあさんは、急須に新しい茶葉を入れてポットの湯を入れた。
白い湯気が立ち上っている。
急須を傾けると綺麗な緑色の茶が湯飲みに注がれ、それは次第に色濃くなっていった。

その時、急須の口から湯飲みに茶の茎が流れて浮かんだ。

「お、茶柱だ」

「縁起がいいね」

ばあさんはニッコリ笑った。
そして、俺は熱々の茶を一口飲む。
一番茶はやっぱり美味い。

「美味しいかい?」

「あー、美味いね」

「それはよかった。毎日飲んで、長生きしなよ」

その言葉が、俺には少し引っかかった。

ばあさんは自分の湯飲みにまた茶を注ぐと、それをゆっくりと飲み干した。

そして、「さてさて」と言いながら立ち上がり、座布団から立ち上がると店の外に出た。
腰を叩きながら何処かに向かおうとするのを、俺は呼び止めた。

「どこに行くんだよ?」

ばあさんは、振り返りながらある物を指差した。
それは、商店街にある公衆トイレの案内板だった。

「女性にそんなこと言わせんじゃないよ」

ばあさんは笑いながら、公衆トイレのある角を曲がった。

ばあさんの姿が見えなくなった瞬間、店の中から息子が忙しなく出て来た。
そして、そのままいそいそと店の片づけを始めた。

「どうしたんだい。今日はもう店じまいかい?」

「ええ、そうなんですよ。今、病院から電話があって、おふくろが息を引き取ったって」

「え、おふくろさん? おふくろさんなら、今そこの公衆トイレに行ったよ」

「ええ? そんなはずはないですよ。うちのおふくろ、三日前に風邪を拗らせて肺炎で入院したんです。今朝は意識を取り戻して、店を開けろと言うんで開けたんですけど。まぁ、おふくろもいい歳ですから、ある程度は覚悟してましたけど……」

そう言った息子の目は、潤んでいるように見えた。

そして、息子は俺に挨拶をすると、店のシャッターを閉めた。

気づくと、俺は飲み干した空の湯飲みを手に持っていた。
すっかり、返しそびれてしまった。
見れば、湯飲みの底に茶柱が倒れている。

俺は、歩いて公衆トイレに向かった。
そこには『改装中』と書かれ、使えなくなっていた。
ばあさんの姿はなく、息子の言葉を思い出す。

湯飲みの底の茶柱が、俺の涙で僅かに揺れた。


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