見出し画像

ただそこにいていい。

私は今おばあちゃんと三重のおばあちゃんの家に住んでいる。


私の実家、母の住んでいるところは東京にあり、旦那さんとの家はニューヨークにある。

ちょっとした経緯があり、私は今旦那さんと離れて日本にいるのだが私は元々三重のおばぁちゃん宅が大好きだった。


子供の頃から何度も帰ってくるここは、伊賀の自然に囲まれたおじぃちゃんが頑張って建ててくれた日本家屋はどっしりと大きくとても格好いい。お庭も松や灯籠、大きな岩や生垣、花壇があり、周りは田んぼや畑に囲まれ小さな川が流れ、家の敷地内にむかしはニワトリ小屋があったりおばあちゃんの畑もあってとにかく素敵なのだ。


夏休みに帰ると縁側から外に出られるのも楽しくお盆の季節には可愛いちょうちんの灯りを灯したり、特別な四角いお盆に載せたごはんに沢山の小さな湯呑みのお茶を一日に何度も変える風習をする母やおばあちゃんの姿を見ていた。


北海道出身のおじさんがしてくれるバーベキュー。いとこ達みんなでする花火、最後にパラシュートの出てくる花火をし、誰が落ちてくるパラシュートを手に入れられるか探し回る。潮干狩りへ行ったり、浴衣を着せてもらい金魚すくいをしにお祭りへ行く。


家の前の畑ではおばあちゃんが作ってくれたスイカやトマト、きゅうり、色んな野菜は瑞々しくていつもとても美味しかった。


お父さんとお母さん、お兄ちゃんと弟と布団を敷いて蚊帳の中でみんなで眠る。朝が来ることが何よりも待ち遠しかった場所。


お正月にはみんなでおせちを食べ、お年玉をもらい凧揚げをしてこたつに入る。


ただただ幸せだった場所。そこにいつも、いつでも絶対にいてくれたのはおばあちゃんだった。


おじさんとおばさんは私が高校生くらいの時に離婚をし、おばさんは15年前に四人息子の末っ子を連れて仕事の都合で大阪に引っ越した。うえ三人の男の子達もそれぞれ大学のために家を出ていたので、いつしかそこはおじいちゃんとおばあちゃんの二人になった。



そしておじいちゃんは11年前の夏、大好きなチワワのさくらのリードを持ったまま家の前で倒れているところを発見され、それから意識が戻ることなくその年の冬に天国へ行った。



それからおばあちゃんは1人きりでこの家に住んでいる。11年間。1人きり。大阪に行ったおばさんは家のことや村のことで毎週伊賀に帰って来てくれる。元々耳が少し遠かったおばあちゃんは今では耳元で大声で3.4回伝えても伝わらない時もある。



こちらが伝わることを心から知って話さないと、普段人と話す感覚で話すとまず何も聞こえない。



おばあちゃんも聞こえないから、何度も聞き返すのも疲れるし相手にも悪いしで段々人とのコミュニケーションが遠くなっていった。


私は中、高と三重の記憶があまりない。ほとんど覚えていない。帰ってきていたのか来ていなかったのかさえ分からない。



でも大人になってから、芸能界に入ってからは辛い事があったら必ずおばあちゃん宅に帰ってきた。



母との関係が中々安定しなかったのもあり、おばあちゃん宅は私の大事な逃げ場だった。



父も伊賀出身だったので、父方のおばあちゃん宅も車で25分程のところにありそっちのおばあちゃんやおばさんもいつも優しく温かく迎えてくれて三重は私にとって息がつける場所だった。



辛い時はいつでも帰ってきた。東京にいたくない時。お母さんといたくない時。誰にも会いたくない時。誰にも追いかけまわされたくない時。



ここはいつだって自由で、おばあちゃんはただここにいてくれた。身体が動く限り畑仕事をしてお花を植えご飯を作り食べさせてくれた。



段々しんどくなってきてからは畑仕事は縮小していき、庭の手入れをするのも手一杯。家は1階2階合わせて13部屋あり、裏にも小さな小屋がある。家を綺麗に保つだけで相当な労力だと分かる。



そんな大きな家におばあちゃんは11年間もたった1人で暮らしていたのだ。



おばあちゃんの子供の頃、おばあちゃんのお父さんは早くに亡くなってしまいおばあちゃんのお母さんは一人で田んぼや畑仕事をしておばあちゃんと弟二人を育てた。一人は大きくなれずに亡くなってしまって、おばあちゃんは学校が終わると弟達の面倒を見てお母さんの手伝いをする毎日。中学校を出ると何か出来ることをと、周りの反対を押し切りおばあちゃんのお母さんはおばあちゃんを洋裁学校へ入れてくれた。しかし毎日は通えないから1日置きで。畑の手伝いをしないと生きていくのに手が足りないから。



そんなおばあちゃんは、いつだって私が帰ればおかえりと言ってくれた。何にもないけど、とやさしいごはんを作ってくれた。

車を運転できるようになってからは、おばさんの車を借りて買い物へ行ったり伊勢神宮や奈良へ行ったりした。でも段々ごはんを作るのも大変になり私が作ってあげることが増え、歩くのが大変になっていった。


しかしそれから私はアメリカへ行き、コロナで戻ってまたおばあちゃん宅に滞在し、また東京へ戻り、またアメリカに戻った。それがここ5年のこと。


そして今。一年ぶりに会ったおばあちゃんは別人のようだった。母と家に着いた日、おばあちゃんは私のことも母のことも思い出せなかった。自分と私達がどんな関係なのかも曖昧だった。

それが今年の5月1日。私は東京へ帰ることを変更しおばあちゃん宅に残ることにした。


おばあちゃんは今年の4月で89歳になっていた。


耳は多分もうほとんど聞こえない。言葉を理解することが難しい。文字を読むのは得意だが文章の理解は難しく、認知症になり今まで出来ていたことが段々できなくなっていた。

コンロの火は危ないので元栓から閉め、電子レンジや冷蔵庫も昔のようには使えない。お風呂にも一人では入れない。つまづいて倒れたり、床に座ってしまったらもう立ち上がることはほぼ出来ない。

おばさんの支えでヘルパーさんやデイサービスへ通っているが、なぜヘルパーさんが来てくれるのかも、どこへ行くのかも、帰ってきた時何をしてきたのかも覚えていない。

そんなおばあちゃんが最近、家へ帰る、家へ帰ると言い出した。ここが家だよと伝えてもここじゃないとある時は夜に言い出し宥めるのがとても大変だった。

ある時近くの神社にお参りに行くと、生まれ育った家に行きたいと言ってくれたので連れて行ってあげた。住所が分からず、近所のおじさんに助けてもらいながら当てのある場所の村から村へ聞き込みをしながら辿って行った。そして昔の記憶は鮮明で近くまで来たら段々と分かって喜んでいた。

それからおばあちゃんはまた荷造りをし帰ると言い出したが、仕方がないのでしばらくほっておいたら、数日前から施設に入りたいと自分から言い出したのだ。


私は今回の帰省で帰ってきてすぐ、おばあちゃんの様子からもう一人暮らしはムリだと思いおばさんに相談をしたのだが経済的な理由で今は出来ないと言われた。


しかしおばあちゃんは、「私これからどうしょう。なんにも分からんくなってきた。あんたはあんたの家庭に帰る日が来るやろ。私は一人でどうしたらええ。もう怖いねん。一人は寂しいし怖い。火もこわいやろ。施設かどこかへ行かせてもらえへんかな」

まやがいるよ!と伝えても私がずっと一緒にいられる訳じゃないことを分かっている。


弱音を吐いたところなんて一度も見た事がなかった。子供の頃から自分よりも誰かのために生き続け運命とはそういうものだと常に受け入れてきたおばあちゃんは、一人ではどうすることも出来ないと泣いていた。一人で生きるのがこわいと。そして私に世話になるのが、迷惑をかけて申し訳ないと。


そんなはずはない。おばあちゃんといられる今この時間を私はとても愛おしく有り難く思っている。だから私はおばあちゃんに、施設に入れるようおばさんに話してみるから、入れるまでの間は私がいるから。と伝えた。


おばあちゃんは少し安心したみたいだったが、それから「あんたに悪い。あんたになんにも尽くしてやれへん。」 と言った。


私はどれ程の愛をこの家とおばあちゃんからもらったことか。私は一気に泣けてきた。これだけ愛を与えてもらった人に私はどうして意思疎通が分かるようにできないくらいでイライラしたり、行動を疎ましく思ったりしたものか。

これだけ愛してくれた人にどれだけ自分が無礼だったか自分が恥ずかしくなった。


それと同時に、私は泣きながらおばあちゃんが施設に行けるまでそばに居るからと伝え続けた。


正直それまでいれるかなんて分からない。ただ今、この瞬間おばあちゃんを安心させてあげたかった。それが私が今できる最善だと思った。


おばあちゃんは、段々と理解して「あんたが私の親代わりになってな。」と泣きながら言ってくれた。

おばあちゃんも私の言葉を腹から信じられることはない。なぜなら私も気持ちは本音だが、確実にそれが出来るか分からないことを知っている。

でも今まで張り詰めて張り詰めてもう行き場のない緊張感や不安を感情として吐き出し、誰かに伝えられたこと。私はおばあちゃんを抱きしめてずっと話していた。おばあちゃんは子供のように私に抱きついていた。


子供の頃充分に甘えることが出来ないまま育ってずっと誰かや何かの世話をし続けて生きてきた。何もしないでただ自分が世話をしてもらうことは自分には値しないとDNAレベルでそう染み付いている。


でもだからこそあなたにも思い出してほしい。


ただ愛を受け取ること。何もしなくても自分は存在していいと。何もしなくても愛される価値が自分にはあると。


何もしなくてもいい。

ただ愛されていい。

ただ大切にされていい。

ただあなたがそこにいてくれるだけでいい。





第二チャクラのお話し。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?