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わたしとドイツ語

Hallo zusammen!
みなさんこんにちは、めいです。
今日はタイトル通り、思い出話を書きます。


わたしは言葉、とりわけドイツ語が大好きです。
わたしがドイツ語と出会ったきっかけは友人でした。
彼女は、お父さまの仕事の都合で、中学3年のときにドイツへ越していきました。わたしはその1年後、高校1年の夏休みに、彼女を訪ねていくことになります。
そして、この時に起こったあるできごとがきっかけとなり、わたしとドイツ語との長く深い関係が始まるのです。


当時のわたしの夢は、中学校の英語の先生。ドイツ語には触れたこともなかったので、興味があるかどうかすら考えたこともないくらい、ドイツ語に対する感情は「無」でした。そして、もちろんそんなに昔の話ではないので、すでに長らく「英語は世界語」。ドイツも英語通じるんでしょ、という考えで、頑張って覚えてきた精一杯の英語を試すつもりでいました。友人に会えることと同じくらい、それが一つの大きな楽しみでした。


街中のマクドナルド。お土産物屋さん。友人のご両親に連れて行ってもらったレストラン。どこでも英語が通じます。
一度だけ、「オレンジジュース」はドイツ語で"Orangensaft"ということを教えてもらい、英語と似ているようで違うところが気に入って、マクドナルドで使ってみようと試みました。が、この発音([oˈʀaŋʒn̩ˌzaft])が、昨日や今日来た日本語ネイティブスピーカーにできるはずもありません。すぐさま"orange juice"と言い直すなどして、旅行は楽しく過ぎていきました。


その旅行の、最終日の前の前の日だったと思います。わたしたちはその日、電車でお出かけに連れて行ってもらいました。行き先の地名はもう思い出せないのですが、街中にはストリートアーティスト、と言うのかな?路上で絵を描く人がいて、わたしはその人がスプレーペンキとヘラだけで生み出す宇宙の絵がとっても気に入って、衝動買いしてしまいました。そして、とてもハッピーな気持ちで帰りの電車に乗っていたことを覚えています。


その電車の4人がけのボックス席で、わたしの前に座っていたのはドイツ人の(と思われる)おじいさん。友人とのおしゃべりがひと段落したとき、たまたま目が合いました。そしておじいさんは、わたしが手に持っていた絵(二つ折り財布のようなかたちで、折れないようにふんわりと丸めて渡されていたので、中が見える状態でした)を指さし、何かひとことだけ言いました。


わたしは、何と言われているのか聞き取れませんでした。その理由が電車内だったからなのか、声が小さかったからなのか、はたまたドイツ語だったからなのかは、とっさには判断できませんでした。でも、おじいさんの優しく細められた目から、きっと何かポジティブなことを言ってくれたのだとわかりました。


"It's beautiful, isn't it?"
わたしは少し大きめの声でそう答えました。きっとそのようなことを言ってくれたのだと思ったし、英語でこう言えば、仮にドイツ語で話しかけられていたとしても、言語を切り替えてくれると思ったからです。


けれどおじいさんは、わたしの言葉を受けても、変わらず優しく微笑んでいました。


このときわたしは気づきました。
――あ、このおじいさん、英語通じないんだ。
と。
文字通りはっとしたあの瞬間を、わたしは今でもはっきりと思い出せます。


もしかしたら、わたしの英語の発音が悪かっただけかもしれません。
イギリス英語で言うべきだったのかもしれません。
あるいは単に、車内の騒音で聞き取りづらかっただけなのかもしれません。
英語が通じないわけではなかったのかもしれません。


それでも、15歳のわたしはこのとき、「英語は万能ではない」ことを悟りました。


もしもわたしがドイツ語を話せたなら、この絵の美しさについて、おじいさんと語り合えたかもしれない。そう思いました。
そしてそれが叶わなかったことを、とても、とても残念に思いました。


頭ではわかっているつもりでした。英語を話す人ばかりではないことを。
それでも、15歳のわたしの心の奥には、
「『日本人は英語が苦手だ』って言うなら、ヨーロッパの人はきっとみんな得意なんでしょ」
という考えが確かにあったのです。


そうではないのかもしれないということを、初めて身をもって理解しました。
わたしたちが日本語を話すのと同じように、この人たちもまた英語以前に、ドイツ語という言語を持っているのだと。


ドイツ語をやってみたいな。
そう思ったのはこのときが初めてでした。


「もしAちゃんがドイツではなくフランスに越していたらフランス語に、タイに越していたらタイ語に、中国に越していたら中国語に、同じように目覚めていたかもね!」
と、家族にはよく言われます。その通り、決してドイツ語でなくてもよかったのかもしれません。でもわたしは実際にドイツ語の響きがとても好きだし、自分でドイツ語を話すことも、ドイツ語の小説を読むことも同じく好きです。そう考えるとやっぱり、ドイツ語との出会いは運命だったのかもしれない。


今となってはもう、そんなことわかりません。


それでも結果的に、わたしはこうしてドイツ語と出会って、好きになって、ドイツの大学に行ったりして、飽きることなく今日までドイツ語の勉強を続けています。


あのときのおじいさんともう一度だけ会えたなら、と、今でも思います。
今なら結構、いろいろなことを伝えられるようになったんだけどな。

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