NOTE2年生になりました!
新トピック、始めます
もう1年たったかー!ということで、まずはこんな長文読解NOTEをフォローしてくださったり、読みに来てくれているみなさま、本当にありがとうございますという感謝の気持ちからのスタートです。
「本当に1年続くかしら?」と思っていました。もしも続けることができたなら、2年目はどんなことを書こうかな?なんてふわっと思っていたのに、気付いたら目前に迫っていた2年目。
ついに心のパンドラ開けていきたいと思います??
心のパンドラってなんやねん!と思ったそこのあなた。実は私も良くわかっていませんが、意識的に書いていなかったトピックはあるのです、というか避けていたトピックと言いましょうか。。。今日は1年目を振り返りつつ、これからどうやって新たにNOTEを進めていくかを書いていきたいと思います。さて2年目も長文になってるぞー!
NOTE1年目の振り返り
棚卸しNOTEを作れたのかしら?
私は10代の頃からこの「どうして?」と長い間付き合ってきた歴史があります。それは私の生きた証ともいえるくらい、人生の結構な時間を悩ませてきたことでもあります。それでも、30歳をすぎたあたりからでしょうか、この「どうして?」にすっと一筋の光が降り注ぐ感覚を覚えました。
趣味のゲームの世界や、妹との会話などを通じて、実は帰国子女の若者で同じようなことに悩んでいる人がいることを知った時、これはアイデンティティークライシスというものが関係していていることもいろんな本を読んだり振り返りをして知識を増やし自覚できるようになったのです。
自分はいったい、何者か?
面白いことに、こういった心の揺らぎは社会人になった時により一層強くなることがあります。なぜなら自分とは違う世代、主に年上と社会の常識について向き合わないといけない。でもその常識は日本の常識であり、会社の常識であり、ハウスルールの場合も含め部活に近いものがあるからです。
どちらにせよ、帰国子女であること、特に帰国子女として生きた女性がハラスメント王国の社会に出た時に感じる生きづらさを私は文字に綴ること、そして自分たちの思考により多様性を取り入れること。自分と相手を上手に切り離して認めること。などの思考法について話す場所を作りたいと思ったのです。それは同時に、私の悩んでいた軌跡を棚卸することを意味しました。今この頭の中を文字にしたなら、誰かの役に立てるかも?そんなミラクルが起こったら嬉しいなと思っています。
文字に起こすこと
自分の生き方や考え方をどうやって人に伝えるのか。
私は小さい頃から文章を書くことが好きで、大学時代もマスメディアを専攻していました。本を読むことはあまり好きではありませんでしたが、小学校時代に鍛え上げられた受験勉強で、大体の文学には軽く触れていることもそうでしたし、どうやって文章は構成されていて、どこを見れば問題が解けるのかを散々仕込まれました。小学校6年生になる時には、本文を読んでいれば大体どこか問題になるのかも解るようになり、国語という教科だけは勉強しなくても漢字以外は自他ともに認める得意科目にすることができました。
こんな経緯もあり、私は言葉を書くことで人に自分の気持ちや考えを伝えることを好むようになりました。逆に会話が苦手で、人と話すときに話題があちらこちらに飛んでしまう人、話す時から結論がありきで話す人、何でも方程式に当てはめる人などクセが強いことが多いので、大体人とうまくやっていくということが苦手です。具体的に言えば、就職活動のエントリーシートは百戦錬磨ですが、面接やグループディスカッションになると調和を乱す役割を担う人が必ず出るので、穏やかに会話ができないのが疲れてしまいます。性格はきっととても平和主義なんだと思います。仕事も書記をすることが一番人様のお役に立てますし、何よりも裏方の仕事が好きです。
しかし、文字にすることは言葉にするよりも何倍も気を遣います。正直言って重労働です。書いては消して、書いては直して、そして今ですと漢字がよくミスタイプされて違う漢字になっていたり、誤植の嵐です。申し訳ない。
文字にすることを生業とした経験もあるくせに、未だに文字に起こすことはとても好きなくせに苦手であり、どうしても神経質になってしまう。それはきっと、私は人生を通して他人にどう思われるか、を気にしてきていることがあるでしょう。特に文章ともなれば、読者が読みたいと思わないとストーリーが映像メディアのように進んでくれないですし、名誉挽回することができません。そして話す言葉のように聞き流してでも聞くチャンスを得ることができない。だからこそ、ただ夢中に自分の頭の中にあったストーリーを文字に起こすだけではNOTEに書いても意味がないと感じていました。
私は文字でどうやってみなさんのニーズに答えられるのか、そして自分のエピソードや考え方を文字にもできるのか。一般的に言えば「役に立つ情報」を提供するということになるのでしょうが、この一年はそういうことを考えながら文字というツールを使って棚卸をしてきたと思うのです。
データや引用を多く使う
物事を語る上で大切なこと、それは客観性のある文章を意識しています。私は感情論で物事を話しやすいと言われるタイプの人間であったという自覚があります。この性格をガラリと変えたのはアメリカで過ごした高校時代でした。何事も自分を中心に世界が回るのは子どもならではだと思いますが、アメリカはここに客観的なリソースを求めるという教育文化があります。
アメリカ人は感情的、きっと日本人よりもドラマな一面があり、感情の起伏がとても激しい人種だと思います。冷めている人はもちろんいますが、冷静を装うとか、そういったマナーがなく、自分の喜怒哀楽を素直に出して人間らしい部分がありました。
高校2年生という時期に現地校に入り、日本人は同級生にはおらず、アジア人もいない。とてつもない白人文化で、周りは常に恋愛とスポーツと進路と、パーティーの話で盛り上がっていました。こんなに感情とフィーリングで生きているようで、教育面ではとてもソースを明確にすることを求められ「たぶん、こんなかんじ」が許されない。その割に自分の意見や、どうしてそう思うのかの理論を立てることを訓練されているというイメージがありました。
私はもともとの性格が理屈っぽいので、こういった文化を好印象に受け入れることができました。人を納得させるにはデータ、ソースが必要であり、自分の気持ちだけを話し続けることは自己満である。文章はそのノウハウをどれだけ詰め込めるかが、日記なのか文章なのかの差であると教えられたのもこの頃だと思います。
このNOTEを始めてみると、感情でぶつかってくる人の多さに驚きを隠せない自分がいます。特に、インスタグラムやエックスは今や無法地帯と言えるでしょう。感情的になってしまう人、すぐに気持ちが高ぶってしまい怒鳴り散らす人、この根本にあるのは承認欲求だと思っています。自分の一生懸命にやってきたことに対しての承認欲求。ただし、それをどうやって他人に受け入れてもらえるように料理するのか、いつも生肉をただぶつければいいわけではないということです。そして、それを知らない人が帰国子女でも一定数いることを知りました。これは圧倒的な日々のメンタルトレーニング不足だと思っています。
色んなカメラを持つ
私をわかって欲しい!そう思うのであれば手法を変えること。もちろん私くらいの女性は早いとホルモンのバランスが乱れたりしてヒステリー気味になってしまう人もいますが、そういうメカニズムを把握する、自覚をすれば意識的に人から離れることを練習することもできますし、早めに医者に行くことができる。
こういったデータ、ソース、そしてそれを冷静に自覚できるメンタルの形成。こういったものを少しずつ学校生活の中で組み上げていくことで人生は幾分か楽になると思うのです。私はこれを主観カメラから風景カメラ、第三者カメラに切り替えるスイッチャーを自分に持つことだと思っています。大学時代に映像メディアも専攻し、自分でよく大型カメラを持って町中に出るのですが、自分の見たいものだけを写して帰ってくると色々なショットが足りないということになります。
具体的に言えば、映画はずっと正面カメラから撮るということはしません。話す人の画角、全体の画角、そして時には風景の画角、いろんな画角で撮ることによって人は飽きずにそのストーリーを見ることができます。でもそのためには、相手はどうやったら見続けてくれるのかを考えることを考えないといけません。そういった文章を書けるようにしたいと努めてきました。
これは帰国子女を考えることにも応用ができます。「どうして生きにくいのか」は主観カメラだけでは答えは出ないということです。だからこそ、そのトピックを多角で見れるためのカメラを用意したのが20代、30代だったのかなと思っています。
改めて振り返る自分
1年間文章を書いてきて思うこと
改めて自分の生い立ちや立場を客観的に見て文章に綴ってみると、駐在員と帰国子女という肩書きには、その人がその肩書きと向き合っていないほど人間性という部分で魔物が支配してしまうということ。これは自分の今までのデータ値と、インターネットなどのリサーチをしてみて思うことでもあります。
自身の無意味な慢心が生きにくい世界を作っている
これは他ならぬ私自身にも言えることです。
正直言って駐在員になった実力は慢心する余地もあるかとは思いますが、その家族と子どもには生き抜いた自信はもちろん持っていいとは思いますが、そこに慢心して人を見下す、それを態度や言葉に出してしまうこと。それは生きにくい世界を作るだけで集団生活の中で生きていく上で何も良いことはない。そういったことを無難にできない人たちが一定数います。
海外に出ること自体は別に今の時代特別なことでも何でもないです。金銭面などで言えば、毎年家族でハワイ旅行に行く人の方がよほど裕福ですし、そういった生活ができる仕事を自国で営める能力があるというのは素晴らしい社会貢献です。税金を日本にたくさん納めているという点では、下手な人よりよほど日本に貢献しているかもしれません。
人にも個性があるように、私たち帰国子女はただライフイベントの中にたまたまそういう選択肢がありました。人生ゲームでいうところの少し横道のステージに進む道を社会の仕組みの中で与えられただけのことです。
これを客観的なカメラで理解すること。本来であればそういった訓練をして大人になれたらよかった、それが私は少々遅かったなと反省をしています。自分自身をどこかで社会的なGIFTEDと呼ばれる部類に無意識に分けていた、だから私は長い間生きにくさを日本の社会のせいにしていたんだと思います。何事もそこに言い訳を求めることは幼少期のうちは悪いことではありませんが、それを何歳まで続けるのか?その先の未来は明るいのか?そういうことを30歳を過ぎてやっと精査することができたのかもしれません。
今改めて文章で色んなことを書いていますが、私の東南アジアでの学生生活も然り、アメリカでの高校生活も然り、その合間に過ごした日本での中高生活も然り、私にとっては全てが平等に学びの場所で、そのどれも甲乙つけ難い場所です。人と少し違ったユニークな学生生活が私にくれたもの、それはきっと「自分ってどんな人間で、何が好きで、何がしたいんだっけ?」という問いでした。でもそれは、日本だろうが、アメリカだろうが、アジアだろうがどこに行ったって必要な思考であり、これからの社会がどんどん複雑になり自分を見失いそうなことが沢山世界で起きた時に、人に流されることなく、自分の価値観を見出すためのリターン多めの積立保険みたいなものだったと思っています。
アジア人で生まれたことへの誇り
昔はよく白人に生まれたらどれだけ幸せだっただろうと万年思っていました。その話を大学の友人にするたびに「ブロンドの髪と白い肌、あの足の長さ、どんな服でも似合うから羨ましい」とか「生まれながらに英語が話せるのはマジで強いよ」とか、そういう方向性で盛り上がることを不自然に感じていました。
私は正直いって、ブロンドの髪も白い肌も、色素の薄い目も憧れはもうほとんどありません。ほとんどと書いたのには、確かに彼らのためにデザインされた物理的な商品が多すぎるので、私には到底似合わないものを見ると羨ましいと思うことは未だにあります。
ただ、私の羨ましいという気持ちは社会的な圧倒的な自己肯定感を持って生きられる保証がされていること、それが羨ましいと思うということなのです。欧州や米国、オセアニア等、白人が中心である国に住んだ留学生、海外駐在員、そしてそのご家族の方たちは、そのプライオリティーがどれほどのものかということを肌みで感じているのではないでしょうか?
私たちは一度海を渡れば、日本人ではなくアジア人という人種で括られて異国に住まうことになります。そしてこれが欧州や米国、オセアニア地区などいわゆる先進国と呼ばれる地域に住まうことで、その生活はかなりの割合で質素であることが多いはずです。特に今は円安ですし、留学生などは現地の中国人や韓国人など、他国のアジア人と比較しても、かなり節約して厳しい生活条件を強いられていることが予想できます。
そして華やかではない生活をした駐在した人たちは良く知っています。自分たちは肌が黄色いというだけで区別されることを。そして嫌な思いをすることを。私たちの食文化は認められているようで好きにアレンジされて偽の日本が作られていることを、そして日本という国が日本単独で認められているわけでもないということを。
そういった色々なことに苦虫を噛み潰したような顔をしながら耐えて耐えて学校を卒業し、日本に戻ってくる学生は年々増えていると思います。なぜなら今世界は多様性と言いながらも急速に閉鎖的になり、鎖国のようなことをする国が増えてきています。それは宗教や人種によるヘイトが増えてきていること、テロが起きたり、暴動が起きたりして、移民を受け入れることはオリジナルの人たちを攻撃することに繋がるという危惧感です。
結局こうした運動が世界のどこで起きた時も、比較的白人というのは優遇される確率が高いのです。それは歴史がそうしてきたという流れもあります。ただしこれも今後は分かりません。なぜなら今世界で一番多い宗教はイスラム教になろうとしています。イスラム教徒というのは、宗教の教えをどの程度で従うかということでその性質は大きく変わります。それは日本の仏教に多数の宗派があり、信仰する熱が人によって違うことと同義です。ただし、この宗教が政治と密接に絡み合い、歴史の確執が溶けず、多くの陸続きの国々の中でこれがグツグツと大鍋で何百年と続いてしまった。そこに島国の我々はピンとくるセンスを持ち合わせていないのです。
どちらにせよ、我々アジア人は基本的に歴史的な角質はあるものの、若い世代はどんどん国際的な視野を広げています。有難いことに、教育熱心な中国や韓国、台湾等の東アジアの隣国は、多くの人が自国を離れて世界に学舎を広げてたことで、より広い視点でアジアを捉える人も増えました。発展途上国ばかりとされた東南アジアも、シンガポールのような国策で一山当てたような教育水準も生活水準も日本のはるか上をいく国も出てきています。
こういったまだまだ成長するアジア人は、世界にとっての脅威であり、また切り捨てられない大陸民になっています。イエローとバカにされた時、我々アジア人は立ち上がる力と市民権を得たのです。そして今、本当に多くの若い世代がアジア人同士のヘイトを減らし合っています。エンターテーメントの世界はそれをより推し進めてくれているような気がします。こういうのを見ていると、これからのアジアに灯りが見えて、私は嬉しいと思うのです。自分がアジア人であること、中国や韓国、台湾、そして多くの東南アジアの国で同じアジア人が日進月歩の世界をリードできる環境が少しずつ整ってきていることを誇りに思います。アジアヘイトという気持ちが、私には今ほとんどありません。政治と教育に関しては古いお爺さんたちがまだまだ支配をしているので嫌だなと思うことはありますが、きっと今の若い世代がまた違う未来をアジアとして作っていってくれることを望んでいます。こういう気持ちにしてくれたのもまた、私と関わった多くのアジアと東南アジアの友人のおかげです。
SNSで気づいたこと
多くの日本人の意識がバブル期
これは年齢は関係なく、多くの日本人が古い価値観を親から祖母からひきついでいて、それを信じて疑わないということです。もしこれが伝統工芸とか、家業であれば問題はないのですが、それでも社会の流れが変わっていることに多くの人が気づいていないのではないか?と思う節があります。
例えば「高学歴の人と結婚して主婦になり、30代までに子供を産んで、家を建てて、そして・・・」というストーリーですが、この戦争で人の頭の上をよくわからないミサイルが行ったり来たりしている時代に本気でまだ言っている人がいますよね。1ドルが150円を超えても、それは自分には関係がないと思っている大人が沢山いて、それで輸入品が根上がったりして初めてそれについてだけ文句を言う人がいます。選挙に行かないのに、自民党が消費税を上げたことに怒ったり、自民党に投票したのに消費税が上がったことで怒ったり。んー、平和ボケ。といってしまえばそれまでですし、高度経済成長の時はそれで良かったと思いますが、今は社会の仕組みを知る必要が出てきたのです。
テレビで流れるトピックだけにみんなが翻弄し、一時期話題になった話題に一喜一憂し、すぐ忘れてしまう。思考力は学歴に比例しません。深い考察、考える力、調べる力、疑問に思う体力作りが圧倒的にない人が多い。正直、アメリカくらい国力が強ければそれでいいのかもしれないです。アメリカが潰れることはないですから。でもどうでしょうか、日本はアメリカほどの国力を今持っているでしょうか?資源は?技術は?日本はどう言うふうにこれから国力をつける産業が育っていますか?そう言うことに興味もないまま、良い学校を選び、有名な大学に入り、有名な企業に入って、幸せな結婚をして子供を産んで、家を建てて、生きていけると思っている。時代は進み、情報もこんなに自由に取れる世界で、SNSで見る日本語の世界は昭和のバブル期を謳歌している。そしてお金という最終的な産物だけにフォーカスしていて、それをどう生み出すかではなく、どう生み出した人から楽に搾取するかを考えている私たちの世代が増えているような恐怖さえあります。
考えること、現実と向き合うことから逃げないでほしい。そう思うのです。小さなことでもいい、なんで今は家を建てるのに材料費が上がっているのか?それを「もっと前に建てておけば良かった!」と怒るで終わる思考力で世界を生きる残るための子供は育成できないのです。「今ロシアとウクライナが戦争をしているよね、でも沢山世界では新しい建物が立っている。ロシアから大量の木材を輸入していた中国は、その輸入先を違う国から補填するよね。そうやってお金を持った国がどんどん木を取り合っていくことになる。それに加えて紛争などで輸送ルートも複雑になり、石油の高騰もしている。私たちの頭の上に爆弾は飛んでこないけど、こうやって経済のダメージは確実に受けてしまう。こんなふうに世界は繋がっているんだね」と全体像をイメージして時代にフィットできる思考力を身につけてほしいと思うのです。要するに昔からこうだったからという脳死法はもう今の世界にはNGだということ。「誰かがいいといっている」というのも、その誰かのソースは本当に信じられるものかを考えることです。テレビがいつも正しい報道をしてくれるというのはもう迷信です。今はたくさんの人が嘘を平気でSNSやメディア上に流せる時代です、フェイクニュースやAIを使ったフェイクメディアで溢れている。だからこそ「調べる」「考える」「クロスメディア」をするなどの知恵や考え方を大人がまず実践すること、そして子供達がそれを訓練することの方が大切な時代になりました。勉強ができる=高学歴=平和な人生というロジックはもう通用しなくなっているということです。(それでは子供を海外に留学させよう、海外なら脳死で子供は賢くなる!というのも違うし、英語が話せれば優秀というのも違うし、言い出せばキリがないので、そこら辺は
本当に精査できたらいいですよね)
A New Topic is…
前座が死ぬほど長くなりましたが、先ほどもお話ししたように、私はこれまで帰国子女時代の出来事について社会人の目線から色々な話題に触れてきました。真面目なことからアホっぽいことまで、そこに旅行の話なども織り交ぜながら、海外で暮らした帰国子女がどうやって物事を考えるのかのアイデア的なものが読者の方に感じて頂けていたら嬉しいと思っています。
そして今回、NOTE2年目は、より社会人時代に感じたことにフォーカスしてNOTEを書いていく機会を増やしたいと思っており、新たに「海外で働いた時の話」のカテゴリーを追加しました。
こちらには主に海外で働きたいと思う人、30代・40代で自分の生き方に迷ったり、他人と比較して悩んだりしている人、そして帰国子女で色々と心の中を整理したい人を対象として書いています。特に東南アジアで「働く」「一人で生活を立ち上げていく」「現地採用」といった特殊な環境にいた私が、帰国子女社会人の目線で切り込んで書いていく内容になります。もちろん、主婦の方、学生の方、引退した方、海外に暮らす方、どんな方にとっても読んで少しでも身になる内容を書けたら嬉しいです。
書けなかった理由
大人になってからの海外経験を文字にすること。それは要するに社会人になってから経験した海外勤務経験をお話しする必要がありました。しかし、この手の話は簡単に人を不快にさせてしまう可能性がある。そう感じて渋っていた側面があることもここでお話しておきたいのです。これが冒頭私がお話しした心のバンドラの箱を開けることになると言った類の話になります。
私はこのNOTEの他に、インスタグラムとエックスのアカウントを所有しています。今まで発信した内容について、たまに匿名で厳しいお言葉を頂戴する時がありました。そういう方々はおそらくNOTEまで目を通された上でご意見をくれていたんだと思います。
「私の子供はあなたと違って歪んでいませんし、幸せに育てています」
「駐在妻のことを悪く言わないでください、あなたに何がわかるんですか」
「こんな風に書かれて、お母様を不憫に思います」
などの感情的なメッセージが多く、それは私が同世代くらいの女性であるがゆえに頭にくるんだと思っていました。現にこういったメッセージをくださるのは現在のところ100%駐在員のご家族の方で女性です。一方で、私と同じ立場であった子女の方からは「自分もそうでした」「代弁してもらえた気がします」といったメッセージもいただくことがあります。
こういった言葉を頂くたびに、私の文章は立場の違うさまざまな人から読まれていることを知り、有り難さとほんの少しの怖さを感じていました。私が話しているのは帰国子女で実際に感じた率直な意見と、子供ながらに大人がどう見えてきたかということが含まれる事実ではありますが、誰かに不快な気持ちにさせるような感情的な結論で私は文章を綴っていないことまでを文章から読み取っていただけないことをとても残念に思っていたのです。私の言葉で言うのであれば、何かを受信するときに、その人の心のカメラには常に1カメしかないと言うイメージです。常に主観カメラのど正面で、自分がど中心の画角でしか物事が考えられないと言うことなのだと思います。
感情に飲まれてしまう、それはどういうことなのか。そういうことを文章にしてきたつもりですが、そういった不快になられた方がまだこちらに目を通しているのであれば今一度私のNOTEの趣旨をお伝えさせて頂いたうえで、どうか私の経験を風景カメラをご用意して目を通していただければ幸いです。
具体的な内容は一部有料化します
自衛な部分も正直ありますが、私の文章を本当に何か参考になると読んでくださる方がいるのも事実です。本当に知りたいと私が思っていたこと、海外で働くことは?帰国子女で海外にでることの何がよかった?実際に子どもの自分から大人になって改めて海外で働くことで何かよりクリアになったものはある?などの率直なところを正直にはなしていくことができる場所を作ることでこのNOTEにより深みを持たせる2年目にしていきたいと思っています。こういった背景から、より細かいことを書く場合、具体的な名称を挙げる可能性があるトピックについては、本当にその情報を必要と思っていただける方に読んでいただくことを目的に一部を有料化していきます。
この先にお話しすること
ここから先は自分が大学を卒業してから、帰国子女という看板をぶらさげて日本の社会に入っていった時の葛藤や、海外に出ていくまでの経緯になる流れを長々お話ししていくことになります。この気持ちをシンプルにまとめるのは勝手な解釈を含んでしまうので、これからもこと細やかにシンプルではなく複雑に文章を綴っていくことになります。
長文読解方式です
これはきっと帰国子女という立場ではなく、一生懸命頑張ってきた女性と現実という立場からも見て考えられる内容になっていると思います。自分のVALUEって何だろう?そんなところを中心に話していきたいと思います。一部とても強い表現になるところもありますが、自分の気持ちを率直に言葉に表しながら、2カメ、3カメ、4カメ、データ、リソースと盛りだくさんでいきたいと思いますので、引き続きお楽しみいただければ嬉しく思います。
さーて、ちょっと台湾に行ってきますね。
最近、自然の牙がすごいです、みなさまも自衛、くれぐれも抜かりなく!