精神的な暴力を受けていた
こんにちは。
MAYです。
タイトル通り、精神的な暴力を受けていたことについてです。
●精神が不安定な母
母は解離性同一性障害(複数の人格が出る「多重人格障害」)を患っており、私が6~9歳のころに最も強く症状が出ていました。しかし病状が落ち着き始めたころ、とある男性と出会い、母はその男性と同棲をすることになりました。私は祖父母のもとで育てられることに。母の病気についてはこちらをご参考ください。
●実家に帰ってきた母
最終的に母はその男性と再婚したのですが長続きせず、私が中学1年生のときに離婚して帰ってきました。どうやら相手の男性自身も問題を抱えた人で、トラブルが絶えなかった様子でした。当時の母は疲れ切っていて、ノイローゼのような状態だったと思います。そんなとき、母がこう言ったのです。「娘と2人で暮らしてみたい」それから、母と私の2人暮らしが始まりました。
●はじめての親子2人暮らし
母と2人暮らしするというのは本当に不思議な感覚でした。というのも、私が4~5歳のときは、諸事情により一家離散状態で、私は祖母と2人暮らしをしており、6~9歳ごろまでは母親は1人暮らしと実家暮らしを行ったりきたりしていて、さらに母はほとんど人格が出ている状態でした。そして9歳以降は別居状態だったため、きちんと「親子」として接する(生活する)のは私が3歳のころぶりなのです。
母からすれば「いつの間にこんなに大きくなったんだろう」という気持ちだったでしょう。私も母親だけど母親じゃないような、不思議な感覚でした。お互いに手探りではじめた2人暮らしでした。
●良い母親になりたかった母
母なりに「良い母親になりたい」「母親らしいことをしたい」という願望や、「これ以上家族に迷惑はかけれらない」というプレッシャーがあったのでしょう。しかし私は当時、幼少期からの精神的疲労が癒えることのないまま中学生になったことや、その他頻発した家庭内トラブルにより、心身共に限界がきている状態でした。その日その日を生きるのが精一杯で、学校へ行く気力が微塵もありませんでした。学校へ行ったり行かなかったりしていたのです。また、当時母親が働いていた職場では、人間関係のトラブルが多く、その問題は常に母親を悩ませていました。
私も、母も、お互いに問題を抱えた状態で暮らし始めたのが良くなかったのかもしれません。お互いに自分のことで精一杯なのに、相手に気をつかわないといけない。親子なのに、お互いのことをあまりにも知らなかったのです。
●破綻した2人暮らし ※トラウマ注意
積もり積もったストレスが母を豹変させてしまったのだと思います(もしくは頻出していた暴力的な人格(K)との統合が進んでいたからかもしれませんが)。母は非常に短気になり、ちょっとしたことで怒鳴り散らすようになりました。私が母の希望通りにできないと「つかえねー」「うぜぇんだよ」「あっちいってろクソが」と悪態をつかれ、1日が終わるまで舌打ちや冷たい視線をかけられたり、大きな物音で威嚇されたり突き飛ばされたりしていました。さらに母は飲み歩くようになり、深夜に酔っぱらって帰ってくることが多くなりました。酔うと非常に粗暴になり「殺される」と感じることも少なくありませんでした。また、母は男性関係でもめると、私に非があるような言い方をし(実際に会ったことも話したこともない人にも関わらず)、「○○と隠れてS〇Xしてんだろ」などと卑猥な罵倒をしてくるのでした。
「死ねよ」「産むんじゃなかった」「キモいからどっかいけ」様々な母からの罵倒は、未だに私の中で不本意に反芻され続けています。10年近く経った今でも私の心を傷つけ、世の中に対する不安感を煽るのです。
●暴力と後悔
しかし母の中にある「良い母親になりたい」という気持ちがなくなったわけではありません。私に対して暴力的な言動があった後には必ず涙ながらに謝ってくるのでした。機嫌のいい朝には熱々のココアにホイップクリームとチョコレートスプレーをトッピングして出してくれたり、機嫌のいい日の夜には、私の大好きなハンバーグを作ってくれました。私が祖父母から理不尽な小言を言われていると、母は必ず私をかばって言い返してくれるのでした。学校に行けない私の心象を最も察してくれたのは母でした。
母にはたくさんひどいことをされました。何度も殺してやろうと思いました。それでも母を嫌いになることはできないままでいるのです。それどころか、時が経てば経つほどに、母の気持ちがわかるようになり、憎しみの感情がうまく持てなくなっていくのです。これは典型的なDV加害者と被害者の関係性のように思えますが、加害者と被害者が親子であるという事実が、より私の心理状態を複雑にさせているのです。
この問題の最も難しい点は、母の暴力は純粋な暴力ではなく、複雑な感情と事実の重なり合いの先に生まれたもので、母親本人にとっても悲劇であったことです。私は母のしたことを、純粋に責めることができないのです。
●誰も悪くない虚しさ
母との2人暮らしは、私が短大1年生になるまでつづきました。母は私にとっての加害者ですが、かつては母も被害者だったのです。そして母にとっての加害者も、かつての被害者だったのです。だからこそ私は、誰かを責めることができないままでいます。皆が心の傷を上手く抱えることができずに、その悲しみや怒りを、むずがゆさを、大切な誰かを傷つけることでしか発散できないのです。その方法しか知らないのです。この悲しみは連鎖しています。私の人生の目的はこの悲しみの連鎖を止めることです。自身の心の傷と向き合い続けていれば、いつかこの心の傷が私の人生にとって必要なものであったと思える日が来ると信じています。
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