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解離性同一性障害の母と私の子供時代

こんにちは。
MAYです。

タイトル通り、解離性同一性障害の母と、私の子供時代についてです。

●私の母は解離性同一性障害

私の母は「解離性同一性障害」です。いわゆる「多重人格障害」で、1人の人間の中に複数の人格が存在する病気です。幼少期に母親(私にとっての祖母)から精神的な虐待を受けていたことが主な原因で、うつ病と併発していました。詳細を知りたい方は、ぜひこちらの記事をご覧ください。


●母といるのに、母に会えない

私の幼少期に母は解離性同一性障害を発病しました。当時の家族構成は、母、祖父母、私の4人家族でした。発病時から3~4年の間は特に病状が深刻で、「母親」本人でいる時間よりも「人格」が出ている時間が多く、母親と暮らしているのに母親と触れ合うことがほとんどできなかったのです。私の身の回りの世話は祖母がしてくれていました。


●2人の人格

母の人格は複数人いたのですが、特に頻出したのは4~5歳ほどの男の子「R(仮)」と、暴力的な青年「K(仮)」の2人です。「R」の人格が出ているときは、家族総出で介護が必要でした。不思議な話ですが40手前の女性が、本当に幼稚園児のようになってしまうのです。読み書きもままならず、食事も面倒を見てあげなければなりません。外出先では男児向けのおもちゃを欲しがって、泣きわめいたりするのです。とても甘えたがりな性格で、寝る前には絵本の読み聞かせをしなければなりませんでした。当時私は6歳、母親が自分よりも幼くなってしまったあの日のことは、今でも忘れられません。

暴力的な青年「K」が出ているときも大変でした。「K」は反抗的で怒りっぽく、ちょっとしたことで怒鳴ったり、暴力を振るったりする人格でした。内気な母が自分のことを「俺」と呼び、粗暴な言葉遣いで周囲に暴力を振るうのは、あまりにも衝撃的でした。ですが、なぜか「K」は私には怒鳴ったことも手をあげたこともありません。むしろ私が祖母から小言や嫌味を言われていると、手が付けられないくらいに怒りだしていました。

今思えば、「R」は母が幼少期に親にしてもらいたかったことを叶えるために出現し、「K」は親として子供を守るために出現したのではないかと思います。


●犠牲になった子供時代

頻出する人格の性質上、当時6~9歳ほどの子供だった私も、母親のケア要員になる必要がありました。「R」のときは母親の身の回りの世話をし、「K」のときは母と祖父母の間に入って場をとりなさなければいけませんでした。「R」は私のことを「おねーちゃん」と呼び、よく絵本の読み聞かせをねだってきました。

母親のことで祖父母はいつも忙しく、余裕がなかったように思います。祖父母なりに私へ愛情を注ごうと、もう二度と同じ悲劇を繰りかえさないようにと、気を使ってくれていましたが、人間の本質はそう簡単には変わらないのでしょう。無神経な言葉や態度で傷つけられたときも少なくありませんでした。


●子供を黙らせる「あなたは賢いから」

私にとって最大の不幸は「物分かりが良すぎる」という性質だったのかもしれません。自分で言うのもおかしなことかもしれませんが、子供のころから物覚えも物分かりもよく、保育園や学校の先生に褒められることが多い子供でした。記憶する限りでは叱られるようなことをした覚えもなく、むしろ気を利かせてあれこれと周囲の手助けをしていました。学業も滞りなく、まさにわたしは大人にとって「いい子」だったのです。

しかしこれが私を苦しめる要因でした。大人たちは私の物分かりの良さをいいことに「あなたは賢いから理解してくれるよね」と過剰に期待するようになったのです。この言葉の真意は「黙って言うことを聞け、余計なことはするな、気を利かせて私たちのためになることをしろ」なのです。

私は自分のことを誰にも話せなくなりました。なぜなら自分よりも大変な大人たちが目の前にいるからです。大変な大人たちの手を煩わせるようなことはしてはいけないのです。ケガをしても、具合が悪くても、不安なことがあっても、辛いことがあっても、それを決して口にしたり、態度に出してはいけなかったのです。

でも、何かを我慢するたびに「大人たちは私に理解を求めるけど、私のことを理解してくれる大人は、どこにいるのだろう」と、そう思うのでした。


●小さなことの積み重ね

決して凄惨な虐待があったわけでも、ネグレクトされていたわけでもありません。しかし、小さなことの積み重ねが、何かを我慢し続けて明るくふるまう毎日が、幼少期の私の心を確実に蝕んでいました。母親に抱きしめてもらいたかったときに、母親を抱きしめてあげなければならず、母親に話を聞いてほしいときに、母は誰かを怒鳴り散らしていたのです。私の中に常にある「寂しさ」はこの子供時代にまかれた種なのだろうと思います。


●過去にはもどれない

どんなに過去をやり直したくても、時を戻すことはできません。今ある自分と向き合いながら、これから先をどう生きていくのか考えなければいけません。私の中にある「寂しさ」はきっと私が死ぬまで抱えていかなければいけないのでしょう。それならばせめて、人生のお供として仲良くしていきたいものだと、最近はそう思うのです。


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