解離性同一性障害の母
こんにちは。
MAYです。
タイトル通り、解離性同一性障害の母についてです。
●母は「解離性同一性障害」
「解離性同一性障害」とは、いわゆる「多重人格障害」で、一人の人間の中に複数の人格が存在する病気です。私の母はうつ病と併発していました。母には主に2つの人格が頻繁に出現し、時々別の人格が顔を出すような形で、今までにでてきた人格の数は10人以上だと思います。(一回しか出てこなかった人格もいます。)
私が物心つく頃にはすでにこの病気を発症しており、私の幼少期は「母親」本人よりも、人格と接する時間のほうが多かったのです。
●母の発病の原因
母の発病の最大の原因は祖母です。母は幼少期から長い間、祖母から精神的な虐待を受けていました。祖母は私に対して、言葉の暴力をふるうことはありませんが、片鱗は垣間見えます。祖母は家庭的で気の利く人ですが、他者の立場になって物事を考えたり、あるいは自己のふるまいを内省したりすることが苦手な人なのです。
加えて、当時母は夜間勤務の仕事をしており、生活習慣が乱れていたことでさらに発病のリスクが高かったと思われます。(いまだに睡眠不足や、生活リズムの乱れが母のメンタルに大きな影響を与えています。)
●母の現在の状態
母が解離性同一性障害を発病してから約20年ほど経ちました。現在、母の病状は落ち着いています。複数人いた人格も今はもう1人しか出てきません。その1人ですらもう1年ほど出ていません。母曰く、まだ自分の中に存在している感覚はあるけれど、その人格を出すか出さないかは、母自身でコントロールできるとのことです。
また、解離性同一性障害と合わせて発病していたうつ病ですが、こちらは快癒と発症を繰り返しています。しかし母自身うつ病とは20年ほどの付き合いなので、自身の体調と相談しながら生活を送っているのだと思います。やはりストレスのかかる環境にいたり、生活習慣が乱れるとメンタルは下降していきます。
私もうつ病の経験をしていますが、おそらくうつ病に「治った」は存在しないのだとおもいます。病状が落ち着いてきても、それは治ったのではなく「落ち着いた」だけなのです。うつ病における「治った」は、自身の状態を客観視して、気持ちが落ち込まないように適切な対処ができるようになったことを指すのだと思います。これからもメンタルは上下を繰り返しながら、徐々に上下のふり幅を小さくできればと思います。
●現在の状態に至るまで
解離性同一性障害、うつ病が現在の状態に落ち着くまで、
・家族からの生活の援助(特に金銭面)
・発病の原因から離れること
・時間(年齢や経験による思考の変化)
・本人の治したいという意思と努力
この4つが大きかったのではないかと私は考えています。
もう少し細かく考えると、
・家族からの生活の援助(特に金銭面)
…症状が強くでている間は当然働けないので金銭面での援助があるといいと思います。母はほとんど利用していなかったようですが、公的な支援などもできる限り受けていた方が良いと思います。
・発病の原因から離れること
…単純にストレス源から離れることは大切ですよね。母は家族の援助を受けながら一人暮らしをしたり、恋人と同棲するなどしていました。
・時間(年齢や経験による思考の変化)
…「心の傷は時が解決してくれる」なんてよく聞きますよね。んなわけねぇだろ、とも思うわけですが、きっとこの言葉の真意は、時が経ち年齢を重ね、様々な経験をすることで自身の背負った傷に対する価値観や向き合い方が変わってくるということだと思います。しかし、これには本人の努力が必要不可欠ですよね。自分自身の思考回路やその原因をよく考えて向き合い続ける必要があります。
・本人の治したいという意思と努力
…結局のところ、これに尽きると思います。母は「精神的な病気の人と馴れ合う」ということをとりわけ嫌っていました。きっと病気のことで共感しあったり、あるいはマウンティングをされたりすることで、メンタルが悪影響を受けてしまうことを防ぎたかったんだと思います。
私も自身の病気と向き合う過程で参考にしています。特に「時間(年齢や経験による思考の変化)」にはとても重要性を感じています。
●私の子供時代への影響
当時は母と祖父母、私の4人で暮らしていたのですが、母の発病により祖父母だけでなく、当時小学生低学年だった私も、母のメンタルケア要員となりました。食事や学校のことなど、物理的な養育は幸い施されていましたが、精神的な養育を受けるべき子供時代にそれを受けられなかったのです。(この幼少期の生育環境が私の今後の人生を形作るベースとなっています。)
●母と私
母が自身の病気に苦しんできたことは事実ですがその一方で、母が病気であったがゆえに私は子供時代に多くの犠牲を払ってきました。また、病気が母にもたらした一種の暴力性は、私の心に深い傷を残すことになったのです。(結果私はうつ病となり、現在は双極性障害の疑いで通院をしております。)
母が発病した際、担当医師に「母親と子供を一緒に生活させない方が良いでしょう」と言われたそうですが、きっと担当医師には、母の悲しみが新たな悲しみを生むことに気が付いていたのだと思います。
私の人生の目的はこの悲劇を繰り返さないことです。そのためにも、人一倍自分自身の心の傷に向き合う必要があると感じています。いつかこの悲しみや苦しみが排除されるべき体験ではなく、私の人生を形成する大事な要素となることを信じています。
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