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グレーゾーンを狙うな。

真っ黒が、半円を描いて、すこしずつすこしずつ薄くなって、さいごには真っ白になる。
真っ白が、反対側にまた半円を描いて、すこしずつすこしずつ濃くなって、さいごには真っ黒になる。
その間の色はと言えば、もちろんグレーだ。
真っ黒も真っ白も、点でしかない。
真っ黒は、1%。
真っ白も、1%。
だからのこりの98%はきっと、グレーなんだ。


ちょうど先週の今日、妥協って、すばらしいことだよ。という記事を書いた。

妥協、落としどころ、折衝。
似たような言葉はいくつかあるけれど、お互いに歩み寄って、お互いを尊重して何かしらの合意に達することができるというのはすばらしいことなのだから、妥協することはカッコ悪いことじゃないんだよ、という内容。
今回は、それについての追加記事みたいなものなのかも。

誰かの利益のための行動が、ほかの誰かにとっては不利益になる。
100%みんなの利益になることなんて、きっと限りなくゼロに近いんじゃないかなぁ、と思う。
主張したいことの100を80とか50にして、その分相手を尊重する。
お互い最高にしあわせではないかもしれないけれど、まあまあしあわせ。
これを、妥協とか落としどころとか呼ぶんだ。

だから、妥協は優しい。


その点グレーゾーンというのは、妥協とは全然ちがう。
正確には、グレーゾーンの「在り方」は。
ほくがそう思う理由は、たったひとつ。

グレーゾーンは、使い方によっては凶器となりえるからだ。

オレはこうしたいの。
あなたに不利益があるのはわかるけどね。
もし不満があるなら、あなたの努力でどうにかしてね。

物ごとをグレーゾーンに落とすというのは、こういうことでもある。
相手を尊重しないで、自分の利益を守る。
相手の不満をわかっているのに、その解消を相手に求める。
糾弾できるものならしてみなさいと、開き直る。

妥協しなくても、グレーゾーンは使えてしまうんだ。

世の中の98%はきっとグレーだから、グレーゾーンはなくならない。
何を決めるにも、真っ白で決まることはほとんどない。
その領域の存在を否定しようとしたら、それこそぼくも立派な「正論おじさん」だ。

だからこそ、グレーゾーンは「使い方」が大切。
主張したいこと、やりたいこと。
何かを守るためにするべきことだと、自分が信じていること。
それらを声高に宣言するには、その色にとどまることはほとんど不可能なくらいむずかしいけれど、真っ白からはじめなければいけない。
頑張って努力して、そこにチャレンジしていく。
真っ白でいたい。自分の主張を通したい。
でもそれによって不利益を被る人がいるかもしれない。
それならば。

こうして、妥協という優しいプロセスを経て、真っ白がほんのすこしグレーに染まる。
場合によっては、もうすこし濃く染まってしまうかもしれない。
でもそれは、それでいい。
優しい妥協を通り越した結果がそうなのであれば。
グレーゾーンというのはほんらいこういうふうに、結果的に存在するものであってほしい。


グレーゾーンを狙うな。


はじめからグレーを狙ったものの落としどころは、きっと限りなく黒に近いグレーになる。
真っ白でいることはむずかしいけれど、それにチャレンジする。
後ろ指さされようと、笑われようと、そんなの関係ない。

こころにつよく持っているものには、グレーは入れない。
それが優しい妥協を生み出すポイントで、その継続が結果的にみんなのしあわせを尊重することになるのだと、ぼくは信じている。



<おわりに>
グレーゾーンっていう言葉、とても便利でぼくもよく使ってしまいます。
大人の事情。
それもわかるけれど、それに慣れてしまうと、自分の感性が堕ちていくというか、貧しくなっていくというか。
どうにも清々しくない、どんよりとした気持ちになってしまいます。

グレーという色がよくないのかもしれない。
黄色と青が対極で、グリーンゾーンとか。
赤と黄色が対極で、オレンジゾーンとか。
そんなことも考えましたが、結局は、変な勘ぐりや思惑や、人を陥れるような策略を用いないで、素直でいるのが一番だということなのだろうと思います。
実生活、そんなきれいごとばかりでは済まされない。
重々承知です。
それでもそこに、一縷の望みを。
それを信じる気持ち。
それだけでも、世の中すこしだけ、平和になる気がしています。

本日もさいごまでお付き合いいただき、ありがとうございました。
週末、雨が心配です。
梅雨ですけどね。
あまり激しく降らないといいな。

それではみなさま、すてきな時間をお過ごしください。





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