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創作、書くことについて。振り返り、これから

これは、5月29日に開催された嶋津亮太さん主催の「オンラインCafeBarDonna」の第4回に参加して考えたことをまとめるために書きました。内容というより、参加して改めて考えた自分のことを。内容については参加されたサトウカエデさん奥村まほさんがすでにそれぞれの視点から深い考察やご意見を書いてくださっているので、ぜひそちらをご覧ください。
素晴らしい文章を書かれる方々に混ぜて頂いて、文章について語り合うというぜいたくな時間。ここで話されたことを、どうにか自分の力にするために。3,000字は費やすと思いますが、よろしくお願いします。


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文章を書くきっかけ/実践してわかったこと


文章を書くきっかけ

もともとInstagramを長いことやっていました。今も撮りつづけているマクロの花写真をメインに、ちょっとしたキャプチャー(解説文)をつけて。そこに詩的な表現を盛り込んだりして遊んでいるうちに、表現することにたいしての欲が高まってきたことを感じていました。写真にこめるものとはまた別の次元のもの。当時仕事のことで悩んでいたこともあり、現状を打破したい、そのためにも新しいチャレンジをしたかったのだと思います。noteに出あったのは、そんなときでした。

毎日更新

表現することにたいする欲求をできるだけ納得のいく形にするために、noteをはじめて半年ほどたった昨年のGW明けから毎日更新をはじめました。毎日期限を切って「出す」ことを目標に。24時間にひとつ出す、ということが大切だったので、書き溜めはしないというルールもあわせてつくりました。23時をまわってまだテーマすら決まっていないとか、もう崖っぷちのようなところまで追い込まれることもたくさんあったけれど、「書く」という筋肉は確実につけることができたと思っています。同時に、収穫として大きかったと思っているのは、「手は動かしていればいつかは形を結ぶ」のだということがわかった、ということ(これについては次の項目で書きます)。
毎日更新は109日つづけました。同棲している彼女のご両親へ挨拶をしに北海道へ行くことになっており、一定量のトレーニングはできたと思っていたのでそれを機に毎日更新はここで終了。その後頻度を落として更新を再開し、いま10カ月目にはいりました。

手を動かしていればいつかは形を結ぶ

毎日更新をしてみてわかったこのこと、それは同時に毎日更新をやめる理由でもありました。「手を動かしていればいつかは形を結ぶ」。何かカッコいいことを言っている気がしますが、毎日更新をしている間のぼくは、(もちろん文章力に問題はありますが)狙ったところに着地することの確率が低かったのです。毎日余裕がない状態で考えながら書いていくから結論が思いもよらないところに飛んでいく。自分で考えたことが、書き進められていく文章によって論破されていくようなこと。新たな気づき、という意味ではいいのかもしれませんが、それはやっぱり形にして人に読んでもらうもの。狙ったところに着地すること。恥ずかしい目標ですが、毎日更新をやめてからは、時間はかかってもしっかり練ってから書く。それをこころがけるようになりました。


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創作について話したかったこと/書きたいこと


創作のゴールは?

「オンラインCafeBarDonna」で投げかけられたこの質問の答えを、ぼくは言葉にできないでいました。現場ではカエデさんやまほさんが問いから拡がる彼女たちの考えを続々と言葉にしていました。それはとても眩しい光景で、日々文章で勝負している人たちの言葉を、それらがまるでどこか別の世界から降ってくるものでもあるかのように、(頷けることはあるにせよ)ぼくは一歩引いて聞いてしまっていたのです。だから、ここにはちゃんと書いてみます。

「ゴール」という言葉が果たして適切であるかという問題はさておき、一番手前に見えるもの。それは、「自分が表現者であるという自覚を持つ」ということ。恥ずかしいけれど、真剣です。
「○○だったらいいのにな」を、言葉にのせて、ストーリーにのせて、昇華したい。お話を、気持ちを綴りたい。それを、やるんだという意志ではなくて、当たりまえにしていくこと。生みだす言葉が、表現につながるものであること。それが、今の自分に見えている最初のゴールなのだと思っています。(ちなみに、その次のゴールは書籍か写真集を出すことです)

「○○だったらいいのにな」を残したい

昔から、「何で○○なんだろう」と思っていました。いつも不満だらけだったわけではありませんが、「よりよい現状を目指すために自分がどう振る舞うべきか」をよく考えていたと思います。もともと、人を変えようなんて思わない性分です。あくまで自分が柔軟に対応すること。人にたいする諦めにも似た考え方。これは、正直今もあまり変わっていません。でも、ささやかながらも何かを訴えることはできるはずだ。こんな希望も忘れたことはなくて。だから、悔しい、つらい、なぜ、をどう活かすかを考えてきたつもりです(『感情を、憶えておく』というnoteを以前書きました)。しあわせなときには目を向けないようなこと。ぼくはそれを、残していきたい。そして、このことに誇りをもてるように。それが、「自分が表現者であるという自覚を持つ」ということなのではないかと思っています。


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晒しておきたい誤解


そこにある差は

上でポジティブなことを書いておいて突然話は変わりますが、書きます。最近やっと、言葉にできるようになりました。ここまでnoteで文章を綴ってきて、漠然と、ぼくの文章には何でもう一歩の気持ちが入っていかないのだろうと思うことがつづいたのです。これはあくまで自分の評価として。グッと文章のなかに引っ張っていくあの人たちとの差は何なのだろう。いろんな可能性があります。単なる技術の問題だとか、比較対象が天才だとか。でも、その可能性のひとつとして実感し、考えていたことがあります。

大きな誤解

恥ずかしい誤解を晒します。ぼくは、写真と文章でお金をいただいたことがありません。仕事にしたことも、有料noteを書いたこともありません。だからぼくは、「写真を撮ることと文章を書くことがすきなただの人」なのであって、「プロフェッショナル」ではないのです。「こちら側」と「あちら側」には圧倒的な差があります。そして、「あちら側」にいる人たちはそれを仕事として、提供したものにたいする対価を得ているわけで。だから、すごいのは当たりまえ。そう思っていました。けれど。
結局それは「こちら側」と「あちら側」という世界をつくり、その間に一本の絶対的な線を引くことで、自分は「まだ」一歩を踏み出したわけではないのだという言いわけをつくり出してそれにしがみついているだけのことなのだと思うようになりました。その細い線の分かつふたつの世界のちがいを、悔しいなどと言いながらもどこか安心しながら眺めているような。
「こちら側」と「あちら側」、その正体は、ぼくみたいにこうしてまごまごしていた人と、書くことにたいしての誇り、覚悟、矜持、好き、を堂々と表に出せる人、そのあたりの差なのかもしれません。

より大きな誤解

もうひとつの、より大きな誤解。それは、今ひとつめで書いたことについて。(noteのうえでは)書き手がプロかどうかなんて、「ほんとうの」読み手にとってはまったく「関係ない」ことなのだということ。評価や共感は、純粋に作品にたいして与えられるのだということ。ぼくはきっと、中途半端に頭がいい。だからこんな浅はかな言いわけ程度の言葉が掃いて捨てるほど浮かぶのだと思います。あなたはいつまでそうしているの?と、自分を追いこまなければいけない。とにかく、出来ることを注ぎこむ。それを意識して形にすることしかないのだと、今は自覚できている気がしています。

もうひとつ考えるべきことがあるとすれば、「評価や共感を求めて書いているの?」ということになりますが、それに関してはまた機会のあるときに書けたらいいなと思っています。


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創作、今、その手段


ポエム

ここまで長く書いてきましたが、ここまで自分なりに試行錯誤してきた結果、ぼくにとっての「創作」というものが一番表現しやすいのがポエムなのではないかと思うに至りました。短い言葉の連なりに、色んな感情をぎゅっと詰めこんでいく作業。書いてあったものを削って削って、残った言葉と行間にそれを反映させること。その途方もない難しさは、これまで悩んで時間をかけて書いてきたほかの作品たちと何ら変わりません。表に出るのは何百文字。それでも、そこにはその何倍もの言葉が費やされているのです。

写真とともに

ぼくが、自分で財産だと思っているもの。それが写真です。不思議なもので、そのときの風のにおいとか、光の柔らかさとか鋭さとか、何年前に撮ったものでもそのときの情景が思い出されることが多いんですよね。もちろんこれには時間の経過とともにいろんな色が混ざっていくのだろうけれど、ぼくにとって写真は思い出そのものなんです。だから、書きたい感情を補足する、写真によって印象づけるなど、つかえる武器はつかっていくつもりです。それにより、文章にこめるものの色を薄めることにならないように気をつけながら。

これから

この先の興味関心がどうなるかなんてぼくにもわかりませんが、まずはこのポエムというジャンルを通して、「○○だったらいいのにな」を残していきたいと思っています。それを突き詰めたら、そのときまた見える世界がきっとある。そう信じて、つづけていきます。


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おわりに/企画のご紹介


おわりに

書きはじめたら、3,000字どころでは収まりませんでした。お付き合いいただいた方、ありがとうございます。
大前提として、これは競争ではありません。それぞれが、それぞれのやり方で表現したいことを表現すればいい。しかしながら、恐ろしいほどの才能の持ち主や努力家がこの街にはたくさんいるのだということもそれは明白で。自分の表現するものが、どれだけの高みにのぼることができるのか。それを追求することができる場所に、今ぼくらはいるんですよね。
それを、これまで以上に真剣に考えたいと思います。第4回の「オンラインCafeBarDonna」は、ぼくが進みたい道を再確認する灯りを提供してくれたと思っています。
嶋津さん、ご参加された皆さん、ありがとうございました。

企画の宣伝

「みんなでポエム書いてみた」企画、ついにラスト1週間となりました。14日の日曜日いっぱいまで募集していますので、引きつづきよろしくお願いします!

こちらはillyさん主催、今月いっぱい開催の「磨け感情解像度」。

気持ち/人への想い/葛藤/心象を、解像度の高い言葉でうまく表現した作品に賞を贈ります。

すでに続々と力作が届いているこの企画。ぼくも、これから頑張ります。
次はこちら。

タダノヒトミさん主催、「あなたの神戸をおしえて」。

『神戸』をテーマにした作品を募集します。

神戸にまつわる作品を、自由形式で募集中。毎週土曜日締切、27日まで開催です。

次は、波羅玖躬流(はら・くくる)さんの「青春と人生の交差点vol.1」。テーマはズバリ、コレ。

「初めての○○」

こちらは玖躬琉さんの記念すべき初の主催企画です!
そして、さいごはおなじみのこちら。

やってきました第4回「呑みながら書きました」。今回はいったいいくつの作品が集まるのでしょうか。マリナ油森さん、あきらとさんの共同開催です。

こちら220時台のアメリカ西海岸、夜です。呑みおあがら書いています。

マリナさんの告知noteより引用。告知noteすら呑み書き。こちらは本祭り13日土曜日、後夜祭は14日日曜日から19日の金曜日いっぱいまで。

※いずれの企画も、ご参加の際にはご自身で概要のご確認をお願いします。

ということで、今月も内容盛りだくさんのnote。おりを見て、興味のある企画に参加してみてはいかがでしょうか。

結局5,000字を超えてしまいましたが、ポエムをひとつ書くときとかかった時間は変わらなかった気がします。これ、ほんとうにおもしろいところ。
長文、さいごまで読んでいただきありがとうございました。
それでは、失礼します。








いただいたサポートは、ほかの方へのサポートやここで表現できることのためにつかわせていただきます。感謝と敬意の善き循環が、ぼくの目標です。