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母からの愛のカタチ♡と、“愛”について。

お誕生日を迎えた私😃✨
毎年、お誕生日の過ごし方は変わるけど
変わらないことが1つだけある。
それは母からの愛ある言葉💐

物心ついた時からずーっと、この日は私が生まれた時の状況を事細かに教えてくれる。
毎年、だいたいストーリー展開も言葉選びも同じだから(←当たり前。笑)、長い間流して聞いていた。
大人になったある年、ふと気づいた。
母にとってその日は忘れるはずもなく、母の人生において紛れもなく重要な1日なのだ、と。

私が結婚し実家を出てからは、この日を迎えるとお祝いの言葉はもちろんのこと、それに加え母独特の感性が炸裂するメールが届く。

お昼前、仕事の合間にスマホを確認すると
母からメールが届いている。

👱「おはよう。今、陣痛がはじまりました」

😃「え・・・!!!😲」(←年1回の本気ビックリ)

これに慣れるのに数年を要した。😂
まさか!といつもビックリしてしまう私。
すぐに「あぁ…そうだった😰」
その数時間後、「産まれました。おめでとう」と
二通目が届く。

ある年のメールはこんなだった。

👱「陣中つうです」
   (↑陣痛中と打ちたかったらしい😃)

♫  ♪  ♬

愛とユーモア溢れる母は、おそらく自分の才能にあまり気づいていない。
歳を重ねるごとに、この陽気な母に随分と助けられてきたことにやっと気づくことができた。
愛は目に見えないと言うけど、今の私には見える。
母の「無償の愛」のカタチ😌

自分のすべてを受け容れると親のことも受容できるようになる。親だけではない。自分以外にも同じことが言える気がする。

自分を受け容れ、愛することができて初めて
自分以外の人を愛することが可能になる。
自分の愛で自分を満たせるようになると
他人の中にも愛を見つけられるようになる。

愛は優しい言葉をかけたり慈しんだりすることだけではない。愛でるだけではないのだ。
時に、過ちを指摘したり、叱ったり。
失敗するのを分かりつつその失敗を離れたところから見守ることでもある。

いちばん気づきにくい愛は、“何もしない”こと。
“何もしない”ことは相手を最上級に信頼していないと絶対にできない。

そんなことを考えていると
この世にあるどんな感情も
ぜんぶ「愛」なのだ、と気づく。

自分への愛で心が満たされた時
目の前の景色が愛で色づきはじめる。
愛はカラフルだ。
それはそれは美しくて眩しくて言葉にできない。
したくない。

(あ…今言葉にしている🙄
うまく伝わりますように。。)

Ayumi☽



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