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椅子

前に、低身長症くらい背が低い女の子と話したことがあって。私は身長が172センチでその時7センチのヒールを履いてたから、実質180センチ弱の身長があった。だから、その女の子の話を聞くためには私は背を低くしてかがむ必要があった。
私たちは小説を書くのが好きだという共通の趣味があることがわかり、長く話したいなと思った。私は彼女に椅子に座って話をしようと誘った。
椅子に座ると、私たちの背丈の違いはかなり解消された。私は足腰が楽になったし、彼女はきっと複雑な気持ちから解放されたと思う。


この日本社会には椅子がないと思う。

私は、社会参加をしなくなって、3年半が経つ。
ここに来るまでに様々な葛藤があったが、最近は自分らしく生きれている。この生活も許されるのではないかと思えるようになってきた。
高校を卒業してからは、特に精神が荒れた。自分が何者なのか?夢はついえた、信頼できる人も減った。私には何が残されているんだろう?何もわからなくなって辛くて荒れた日々が続いた。
日にち薬と言う言葉がある。昔関西などでよく使われたと聞いている。実際に薬が処方されるわけではなく、時間が病気を治してくれる。そんな時に処方される。
私には、この日にち薬がとても効いた。
引きこもりで、アイデンティティーがぐらついた時もあった。自分は誰の役にも立っていないのに、母から笑いかけられるのが辛い時もあった。いや、今でもその感覚を感じる時がある。
それでも1日また1日と自分の気持ちは薄皮を剥ぐように変わっていって、トラウマも、恐怖も、自分を許せない気持ちも、ゆっくりとどこかへ消化されていった…。


私は椅子が欲しい。
立っている人と背の低い私との差を縮めて、お互いが目線を近づけて楽にしゃべれるための椅子が欲しい。

最近わかってきた。立ってる人も辛いんだと思う。毎日電車に揺られて、人間関係をそつなくこなすよう努力して……そんなことを続けていたら、私みたいに生きている人間のことを批判したくなるのは当たり前だと思う。

だけど、本当に背の高い人たちは私のことを批判したいのかなって疑問に思うようになってきた。
「ずるい」って言う言葉は、「私もそうしたいのに…あなたはなぜ何もしなくてもそれを許されてるの?」そんな気持ちをはらんでるんだと思う。
本当に仕事が好きって言う人もいるだろうし、社会に貢献できていることを人生の喜びと感じるの批判してるわけじゃない。
でも、心から満たされている人は、誰かを批判しなくても、自分の人生を生きていけるはずだと思う。
だから、私は椅子が欲しいんです。みんなずっと立ってなきゃいけないなんて辛過ぎる。せっかく私たちに目線を合わせてくれようとした背の高い人たちも、それをずっと続けてたら、いつか疲れて私たちのもとから去ってしまう。せっかく私のことを理解してくれようとしてる背の高い人たちに、いつまでもかがんでもらってるのは、こっちも申し訳なくなる。


椅子ってどうやったら作れるんだろう?

ああダメだ、泣きそうになる…、


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