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目標:一人で東京の街を歩ける女になる

人間が多い、と何度もつぶやいた。首をめいっぱいに反らすまで、大きくて高いビルを見上げる。夜行バスを降りたばかりの早朝でも、もう街は動き出している。一年ぶりに訪れた東京はやっぱり東京で、私は相変わらずの田舎者だった。

私の隣で大きなバッグを抱える彼女は、来年の春から東京の人になるらしい。ディズニーチケットの期限が切れてしまうからと突然この旅行に誘われたのだけれど、私たちが会うのは久しぶりで、そういえば二人で遠出するのなんて初めてだった。
入社先のイベントがある彼女とは、2日目の昼に別れることになる。そこから帰りの夜行バスに乗るまで、私は一人で時間を潰さねばならなかった。つまり今回の旅では、私なりの試練が待ち受けていたのだ。


本当にしばらく会っていなかったから、私の今の恋愛事情も彼女は知らなかった。少し話してみた内容だけであまりにも衝撃的だったらしく、その日のお昼は焼肉をつつきながら根掘り葉掘り聞かれることになった。
話の流れで共通の知り合いの恋愛事情を聞いたりそれぞれの恋愛観について語り合ったりしてから、最後にぽつりと彼女は言った。

「わたし惚れっぽいばっかりで恋愛経験ないけどさ、そのうちできるんかなあ」

なぜか、なんの迷いもなく言葉を返していた。

「なんとかなるよ。東京やもん」


ギターを手に弾き語る人たちが鴨川のカップルさながら等間隔に場所をとり、その周りを観客たちが取り囲む。数歩歩くたびにBGMは別の人の違う歌に変わる、22時の新宿駅前。私より年下に見える女の子グループも、キャッチのお兄さんも、誰かを待っている女の人も、みんなみんなこんなにも狭い範囲に集結している。田舎ならこんな夜遅くまで何してんの、と白い目を向けられるものなのに、ここではそんなこと誰も気に留めない。

人混みはやっぱり苦手で息苦しいけれど、一人で何をしていても気にされないこの街は居心地がよかった。
昼間の神保町でマップとにらめっこしながら歩いていようが、そんな田舎者丸出しな私を笑うどころか視線を寄越してくるような人なんて誰もいない。縮こまらなくてもいいんだ、堂々としていてもいいんだ。日本中から人が集まる街の真ん中で、私はそれなりに胸を張ってこの街を歩くことができた。

東京は、生き方を選べる街なのだと思った。
少し前までの私ならあてもなく街を彷徨い、弾き語りの前で足を止めてじっと耳を傾けていたかもしれない。不意に誰かに声をかけられるかもしれないし、そのまま新しい世界に足を踏み入れるかもしれないし、そのまま誰とも話さずに家路に着くかもしれない。そういう生き方もありだと思っていた。まだ若くて、可能性に満ち溢れていて、何かを捨ててもすぐに何かが手に入るそんな生活。不安定な行きずりでも許される。そういうものに憧れて、縋ってみたくなる瞬間もあった。

でも、それはもう今の私には必要ないのかもしれない。
踵を返し、街の喧騒に背を向けた。帰ろう、私の暮らすあの街へ。


彼女は一年後、東京の女になっているのだろうか。日本のど真ん中を経験して、私の知らない顔で笑うようになるのだろうか。だとしても、私が相変わらず田舎者のままでも、新たな空気に触れた彼女とはまたいつか恋バナがしたいと、身勝手に思うのだった。

なんでもできて、なんにでもなれて、なんとかなる。そんな街はきっと、身軽に生きる彼女にはよく似合う。友人として、無責任ながらそう思う。


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