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今年は身軽に生きていこうね

お正月はお雑煮とおせちとあんこ餅を食べて、たらふく贅沢をした。家族以外と新年を迎えるのは二度目だけれど、今回はずいぶんと正月らしい正月だったと思う。大晦日に食べた年越しそばには大きなえび天が乗っていたし、大好物の数の子は今年も1年分食べた。

食っちゃ寝する合間に卒論を進める自堕落年末年始を過ごしたおかげで、目視でわかるくらいふくふくと太ってしまった、ある意味おめでたい年明けです。あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。


卒論もなんとか終わりが見えてきて(ここからの修正でどうなるかはわからないけれど)、この生活も終わろうとしているということを、ゆっくりと実感しはじめた。寂しさや名残惜しさは不思議とない。単純に、大学生からただの人になれるんだなあと胸を撫で下ろしている。そう、安心、している。

ただの人、何者でもない人。青年期になるとみんな自分のアイデンティティを求めて葛藤するらしく、私も例に漏れずその最中にいたのだけれど。でも結局は、ほとんどの人がなんでもない、自分だけの場所に落ち着くのだ。世間はそういう人たちの存在で回っている。それでいいのだろう、と最近思う。何者でもないことほど幸せなことって、ないのかもしれない。

もちろん厳密に言えば、誰にとっても何者でもない人なんて存在しないはずだ。そうじゃなくて、これは私の意識の問題で。どうしようもないプライドを持て余している私は、そんなくだらないものにいつまでも踊らされていたのだ。

だから今年、ようやくひとつの大きな肩書きがなくなることは、私にとって好機だと思う。そして目まぐるしい環境の変化で書く余裕がなくなることすら、いい機会になる。文字通り肩の力が抜けるというか、いい意味で諦めがつくはずだから。


この春からはここでの生活が当たり前になるのかと、ずいぶん肌に馴染んだ空間で思う。そしてこれから先ずっと、この人と身を寄せあって生きていくことになるのか、と。それは平凡で人並みで、何気ないものだ。それでも私はこれでいい、これがいいと思える。

今年はもっと身軽に、一歩引いて書くことに向き合っていけそうだ。これからも書くことは趣味のひとつだし、やめようとしたってやめられないだろう。けれど今年一年は新しい世界に慣れることに精一杯で、それどころじゃなくなることもあるかもしれない。だけど私はもう、こればかりに縋る必要はないのだ。

たくさんの経験と発見を自分のものにして、たくさん失敗を重ねて、適切に消化できる力を身につける。そんな一年にしていきたい。そして今年得たものはきっと、私の生み出すものに彩りを加えてくれると信じて。


この記事で100週連続達成しました。幸先が良い!

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