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曲がりくねったこの道を、私の正しい道にする。

1月3日に引いたおみくじは小吉だった。
すかさず恋愛の項目を見て、「この人を逃すな」という言葉にほっと胸を撫で下ろした私はどこまでも恋愛脳。隣のその人は大吉を引いたらしく、満足げにニコニコしている。この一年を大吉にするのは私だと、言われたような気がした。

これでいいんだ、と思いたい、ずっと。自信がないわけでも不満があるわけでもない。ただわからないのだ、周りに前例がないから。今までは、誰もが正しいと言う道をただ歩くばかりの人生だった。それがひょんなことから降って湧いた出来事で、みるみるうちに変えられて、用意されていたレールから片足を軽く踏み外すことになった。
怒涛の一年だったな、と思う。一年前の私に今の状況をいくら熱弁したところで、きっと信じてもらえないだろう。

人に近況を話すとき、まあ、私はちょっと特殊なんだけど、という枕詞をそっと心の中で添える。中身を言うこともあるけれど、言わないことの方が多い。表向きは普通の人が普通に歩む道とほとんど同じ。だからわざわざ言うほどのことでもないなと思ったら言わないし、それでも話したいと思った相手には一から十まで説明することにしている。その分時間はとびきりかかるけど、そうしないと誤解を生む可能性を私は一番恐れている。好きな人が悪く言われることだけはなんとしてでも避けたい。だから、偏見のありそうな人には決して話さない。

一緒にいたいという気持ちだけは真っすぐに切実で、お互いへの想いが本物であることも私たちは知っている。けれどあくまでそれは私たちの間でのみ共有されるものにすぎなくて、普段はそれで構わないのだけれど、たまにもどかしくなることがある。伝わらないと、困るときがある。

彼は私との生活のために、料理を覚えてくれるようになった。私が何不自由なく暮らせる準備も着々と進めてくれている。そして目先の未来だけじゃなくてもっと先の将来のことまで考えて、言葉を尽くしてくれる。
そういう細かな物語を通してもなかなか曲げられないものもあって、ここしばらくはずっともがきっぱなしだった。


突然祖父から電話がかかってきたのは、年が明けて数日後のことだった。

「まうちゃんが決めたことなら、おじいちゃんら信じて応援しとるでな」

私以外の家族は正月を祖父母の家で過ごしていたはずだが、どうやら私のことも話したらしい。
年末年始に帰省しなかったのは忙しかったのもあるし、なんとなく顔を合わせたくなかったからでもある。だから両親の今の考えは、聞いていないのでわからない。けれど強く背中を押してくれる祖父の言葉を通して、これでいいんだ、と思わせられる何かを感じた。


明日、年が明けて初めて両親に会う。あの人たちは、子育ての最後の最後に思い通りにならなくなった私に呆れているかもしれない。もしかしたら、未だに私の話に眉根を寄せるかもしれない。でも、前よりはもう少し、何かが進展するような気がする。

「自分が正しいと信じた道を進んでほしい」。母が私に名づけたときに込めた願いだ。母からすればこの状況は不本意なのかもしれない。だけどこれが、言われるがままにただレールの上を歩んできた私の人生最大の選択で、私自身の信じる道だと思う。

これでいいんだ、決めたのは、私だから。


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