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飲食店への「記憶」と「共感」がドラマ要素になった『孤独のグルメ』

 ただいま、緊急事態宣言中の自粛生活である。
 テレワーク、リモートワークが叫ばれていて、昔のような営業で外回りなんか、そんな出張は過去のものになってしまった。

 そういえば、井之頭五郎が行ったお店はどうしているのだろうか。
 五郎のような個人事業主も、彼が行ったお店も、今のご時世、大変だろうと思う…なんてまるで個人的な知り合いみたいに感情移入できちゃうところが、このドラマの魅力なのである。そして、視聴者がそうなるのに必要な要素をこのドラマは、備えているのだ。

<ストーリー>
 個人で輸入雑貨商を営んでいる井之頭五郎(いのがしら ごろう)が、仕事の合間に立ち寄った店で食事をする様を描いたグルメ漫画が原作のドラマである。主人公が訪れる場所は高級料理屋などではなく、大衆食堂のような店がほとんどである。出先での食事がメインのため、出張などを除けば大半が東京を中心とする関東の店となっている。料理の薀蓄を述べるのではなく、ひたすらに主人公の中年男が独りで食事を楽しむシーンと心理描写を綴っているのが特徴である。ドラマティックな展開などは少なく、あたかもドキュメンタリーのごとく淡々と物語が進行する。

1 行ったことがあるような街の食べたことがあるような料理がデジャヴ感を引き出す

 ドラマででてくる街は、仕事がらみで一度は訪れたことがあるような街ばかりだ。観光地でもないし、住宅地でもない。昔ながらの駅前に飲み屋や商店街があるような街である。もちろん、仕事がらみで行くわけだから、商売、いや産業があるわけだけれども、大きな儲け話やプロジェクトでいくようなところではない。仕事であの街に行ったのは、いつだっけなどど思い出に浸れる街が出てくるドラマなのだ。

 主人公の井之頭五郎も、その街で、そこそこの商談を地道に成立させ(時には取引先に無理を言われ)た後、「そういえば、腹が減った」となるわけである。さて、何を食べようかとなるわけだが、いい意味で、視聴者がそのおいしさを容易に想像できるメニューばかりがでてくるドラマなのだ。

 このデジャヴ感が、視聴者の「記憶」に繋がるのではないだろうか。

2 まるで劇場空間のような飲食店で物語が始まる

 ドラマは、実在の飲食店で撮影されているが、店員はすべて役者がキャスチングされている。そして、店員の、五郎の注文を受ける芝居が上手い。まるで、本物の店員さんのようにみえる自然な芝居なのだ。
 しかし、そこは、やっぱりドラマなので、主演の松重豊を引き立てつつ、脇役陣は、さりげなく盛り上げていくようになっている。食事をする前の五郎の(客の)気持ちを汲み取りながら、でもきっちりと自分たちの仕事をして、客の舌や胃袋のみならず心もを癒してくれる「飲食店」を、劇場空間として描いている

3 おひとりさまが食事と人生をどう楽しむかがテーマ

 井之頭五郎は、個人事業主で、一匹狼である。さらに、過去には、いろいろとあったようだが、ひとり暮らしである。
 この「おひとりさま」の中高年男性が、いろいろとストレスを抱えているだろうことを、視聴者に想像させつつ、しかし、あえて、そこを深くは突っ込むような展開はない。
 あくまで、主人公の外食するという行為が、働くことや生きることへの、癒しと活力になっていることを描き、おひとりさまとして、人生をどう楽しむのかをテーマにしている。
 特に、従来の、ひとりでは飲食店に入ることのマイナスイメージや、食事はみんなで楽しんでこそ豊かになるこという価値観ににとらわれない楽しみ方を見せてくれて、それがとても新鮮に映る。
 このドキュメンタリーのようなドラマは、余計なものは入れずに、どこにでもある日常生活を描いていて、視聴者の記憶を呼び起こし、共感を得ているのだと思う。
 当たり前の日常が幸せに思える今こそ、このドラマの良さがわかるのだ

 



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