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「サービス」の質と価値 ~サービス提供者である前に一人のひとである~

こんにちは。ryosukeです。
リハビリテーション専門職として、
患者さんや対象者さんの身体の回復に対するサポートについて考える仕事をしています。

今回は「サービス」の質と価値 ~サービス提供者である前に一人のひとである~というテーマで投稿させていただきます。


と言いますのも、
今日はある患者さんからいただいた言葉で、
今回のテーマを決めました。

そもそも、我々リハビリテーション専門職は、
病院で患者さんにリハビリテーションを提供する場合、
薬と一緒で、医師の処方が必要となります。

医師の指示なしではサービス提供ができないというわけです。
そのようなシステムの中で、
患者さんにリハビリテーション治療を行います。

そして、
多くの患者さんの希望はシンプルです。
「病気を治したい」
病気によって失われた機能を取り戻したい
・・・です。
言われてみれば、当たり前ですよね。

脚を骨折したら、
その脚の手術がうまくいって、
再び前と同じように歩いたり、走ったりしたいと願うのが患者さん本人です。


「サービス」とは、相手のために「尽くすこと」、や「奉仕すること」
一般的に解釈されていると思います。
そして「サービス提供者」とは、
ある程度の専門性を持ち合わせており、
ある程度その道での経験がある状態と解釈しています。


病院で行われているリハビリテーションも、
いわゆる「サービス」に当てはまると考えています。
また、ここでサービスの提供を受けるお客さんは
くどいようですが、
「患者さん」のことを指します。

リハビリテーションというサービスで患者さんに尽くす。わけです。


しかし、時として、
「病気を治したい」
という希望とは別の希望を持たれる患者さんもいます。


それは、


「少し、そばにいてほしい」
です。

わかりますか?

この脚を何とかしてください!
とか、
痛みをとってください!
とか、
なんとか手術を成功させてください!

でなく、


「少し、そばにいてほしい」
です。

「サービス提供者」はある程度専門性を持ち合わせているが故に、
自分のその「専門性」に固執しがちなところがあると、
自分自身も自覚しています。

その「専門性」を駆使して、お客さんを満足させる。


しかし、
「そばにいてほしい」
という何気ない希望は、

病院という特殊な環境に、
突然、一定期間身を置くことになった「患者さん」にとっては、
本質的なものではないかと思います。


考えてみてください。


ある日、突然意識を失って、
気が付いたらものすごい頭痛、
周りには知らない人が一斉に自分を観ている、
思うように体が動かない、
動こうとすると押さえつけられる、
抵抗すると何か針を刺されて気を失う。
また目覚めたら朝か夜かもわからない。
家族はどうなったのか・・・
いまどこにいるのか・・・

何県か・・・


そんな中で、
この体を良くしたい!
なんて、まっしぐらに思うでしょうか。

まずここはどこかを知りたいですよね?
今日は何日なのか?
なぜこうなったのか?
ひたすら不安ですよ、きっと。


はっきり言うと、
そんな状態でサービス提供者は無力です。
専門性というのは諸刃の剣で、
発揮する場所は状況によって選ばれるということです。

我々が選ぶんじゃないんです。

状況に選ばれるんです。

しかし、
たった一つ、
発揮する場所を選ばない、特殊な能力があるとすれば、
それは”ひと”です。


そばにいたいときにそばにいられるのは、ひとです。
リハビリテーション専門職の前に、ひとです。


今日はその患者さんのそばに、特に何をするでもなく、ずっといました、

すると、その患者さんはこう言いました。

「お医者さんよりずっと大切なお仕事をしていますよ」

患者さん・・・
だけでなく、
ひとが求めているのは、
ひと。です。


今回は、なんとなくほっとする一枚を選ばせていただきました。eiitiaokiさんありがとうございました。

それでは、また明日。

良い日になりますように。

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