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貧困当事者だって提供者に。「フードセーフティネットを作りたい」日本初のフードバンクが目指す、豊かな社会の在り方

「飽食の国」とも呼ばれる日本で、食べ物に困っている状態、いわゆる“飢餓状態”に陥る人の割合は決して少なくないという。特にこのコロナ禍において困窮し、「明日、食べるものがない」と途方に暮れる人が増えてしまったのは想像に難くないだろう。
そんな人たちに対する「食の支援」をはじめとし、食にまつわるさまざまな問題解決に奮闘しているNPO法人がある。その名も「セカンドハーベスト・ジャパン」。
彼らは活動に賛同してくれる企業から食品を提供してもらい、それらをなんらかの事情で食べることに困っている人たちに配布する。その取り組みによって、どれほどの人たちが命をつないできただろうか。
ちょっと豪快でユニークなCEOに、セカンドハーベスト・ジャパンのこれまでの歩み、そして目指す社会についてうかがった。

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2000を超える企業の賛同を集める、日本初のフードバンク

そこは総武線秋葉原駅と浅草橋駅のちょうど中間地点。ふたつの駅を結ぶ高架橋のすぐ側にあるビルの一画で、年齢も性別も異なる人たちが集まり、みな一様に汗を流していた。その様子は「大忙し」という表現がまさにぴったりだ。

そのうちのひとりが、山積みになっているダンボールを開けた。中から出てきたのは、大量の缶詰やレトルト食品。よくよく見渡してみれば、作業場には米、菓子、飲み物などが積み上げられている。ここは飲食店? それはちょっと違う。ここは日本初のフードバンクである、「セカンドハーベスト・ジャパン」の本拠地なのだ。

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この「フードバンク」とは、余剰食品を集め、食べ物必要とする人たちに届ける活動を指す。

まだ食べられる食品を捨ててしまったことは、きっと誰にだってあるだろう。調理法がよくわからない、贈られたものの好みに合わない……。そんな些細な理由でゴミ箱に放ってしまう。

でも、そうやって捨てられてしまう食べ物が、どこかの誰かの命をつなぐ可能性を秘めているのだ。

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セカンドハーベスト・ジャパンが活動を開始したのは2002年。その頃は活動に賛同してくれる企業は僅か3箇所だけだったが、現在では2000を超える企業や団体から食品の提供を受けているそうだ。

セカンドハーベスト・ジャパンの広報担当者は言う。

「年々、賛同してくださる企業も増えて、活動規模が広がってきました。団体職員は24名いますが、その他、ボランティアスタッフさんたちの力を借りて運営しています。定年を迎えて社会に恩返ししたいという高齢の方、社会問題に関心のある学生さんなど、参加目的も様々です」

取材にお邪魔した日は、ちょうど個人向けに食品を配布する日だった。配布時間が迫っているらしく、気付けば行列ができていた。

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毎週火木金土に個人の方にお渡ししています。来られるのは路上生活を強いられている方、非正規雇用のシングルマザーの方などが多く、最近ではコロナ禍の影響で生活苦になってしまった方も増えました。一日、だいたい120~130食を用意するんです。もちろん、適当に渡すわけではありません。集まった食品をうまく組み合わせて、主食、副菜、ときにはデザートなどもバランス良くひとつにまとめています。ただお腹を満たすだけではなく、栄養バランスも整った食事を提供したいんです」

配布時間まであと少し。先程から作業を進めているスタッフさんたちが、その手を速める。

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みんながハッピーになれる。こんなに面白いことはない

セカンドハーベスト・ジャパンを立ち上げたのは、アメリカ人のマクジルトン・チャールズさん。元米兵で、路上生活を経験したこともある人物だ。そんな過去の出来事に水を向けると、チャールズさんは豪快に笑いながら話し出してくれた。

「横須賀基地ができたとき、海軍兵として日本に来たんです。そのとき、『あ、私と同じ民族がいる!』と思いました。私はアメリカ人の中では身長が低かった。でも、日本人とは目線が合う。それがうれしくて、親しみを覚えました。その後、アメリカに戻りましたが、もう一度日本を訪れたいと思ったんです」

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再び日本の地を踏みたいという思いが抑えられなくなったチャールズさんは、上智大学で司祭になるための勉強をすることにした。ところが、その関心は貧困と飢餓問題へと向かっていく。

「貧困や飢餓で苦しんでいる人たちがいることを頭で理解していても、実際に目にしてみなければわからないことがあります。なので、実際に路上生活をしてみることにしました。当初は3カ月だけのつもりだったんですが、結局は1年3カ月も路上で暮らすことになってしまって。でもおかげで見えてきたことがたくさんあります。たとえば『助けてあげる』という気持ちはおかしいのではないか、ということ」

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「助けてあげる」「助けてもらう」という関係が成立したとき、そこには無意識下の上下関係が生まれてしまうことがある。それはときに相手をひどく傷つける行為にもつながる。差し伸べた手が、「あなたは助けてもらうべき、完璧ではない人なんだよ」というメッセージを内包しうるからだ。

「だから私は、食べ物で困っている人たちのことを“助けている”つもりはないんです。もちろん、私たちの活動はそう見えるかもしれませんが、私はもっとシンプルに、フードバンクを面白い取り組みだと考えています。企業で余った食べ物が回ってきて、それを困っている人たちに再配布する。それってWin-Winじゃないですか? みんながハッピーになれる。こんなに面白くて楽しいことはないですよ」

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協力し合えば、もっと良いことができるよ!

チャールズさんが元々住んでいたアメリカでは、フードバンクが盛んだという。どこにでもフードバンクがあり、その数は200組織を下らないそうだ。では、日本ではどうだろう? 実は2019年11月時点で110の団体が国内で活動している。しかしその認知度は決して高いとは言えないのが現状ではないか。

「日本でももっとフードバンクが増えればいいのに、と思ったことはあります。でも、私たちのようなNPO法人は、日本ではあまり期待されていないと感じるんです。日本の社会では、人々の生活を安定させるのは行政や大きな企業の仕事で、NPOは“ボランティア”として扱われます。そしてなかにはNPOを怪しいものだと、信用してくれない人もいる」

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志を持ち活動していても、なかなか信用されない。そんな状況に心が折れてしまうことはなかったのか。チャールズさんはその問いを笑い飛ばし、否定した。

「そんなことは気にせず、活動してきました。すると、少しずつ社会からの見方も変わってきたんです。たとえば大きな災害があったとき、行政だけではカバーしきれないことがある。そして、だからこそNPOが必要なんだと認識されるようになってきました。まだまだ理解が不十分なところもありますが、過度に期待せず、私は私の活動を続けるだけですよ」

その上で、日本の社会に浸透させたいことがある。チャールズさんの言葉を借りるならば、それは「協力し合えば、もっと良いことができるよ!」というフランクな考え方だ。

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「手を取り合えば良いことができるし、それをやらないのはとても勿体ないと思います。東京オリンピックで13万食もの弁当が廃棄されました。あのとき、非常にガッカリしたんです。実は東京オリンピックの開催が決まった際、フードロスが発生することを見越して、事前に相談していました。コラボレーションしましょう、と。でもなかなか話が進まず、結局は13万食の廃棄が出てしまった。協力できていれば無駄にすることもなかったのに、それをやらない」

長年、食品寄付活動に取り組んできたチャールズさんにとって、東京オリンピックでの弁当廃棄は信じられないような事件だった。13万食の弁当があれば、どれだけの人の食事を賄えただろうか。

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当事者にもできることがある、と伝えていく

しかし、落ち込んでばかりもいられない。チャールズさんは前を向き、もっと先の希望ある未来を捉えている。

「私たちは最終的に、病院、交番、図書館のような、食にまつわる“公共資産”になりたいと思っているんです。図書館を利用するときに『あなたは借りた本を最後まで読みますか?』、『感想文を書かなければ本は貸せません』などと条件をつけることはないじゃないですか。フードバンクもそうあってほしい。“希望すればどんな人でも食品を手に入れることができる場所”として、フードバンクを作っていきたい。そして行政とは異なり、私たちはとても身軽なので、試験的な運用ができます。それが革新につながると信じているんです」

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セカンドハーベスト・ジャパンでは、2016年より「10万人プロジェクト」を掲げた。2020年までに10万人に食の支援を提供し、フードセーフティネット構築を促進するという一大プロジェクトだ。2021年5月時点で、その達成率は96%。全国130カ所に、個人向けに食品を配る拠点であるフードパントリーも設置した。

また、コロナ禍で貧困率が30%を超えた沖縄県に対しては、2020年7月から12月の6カ月で計1万世帯への支援を実施。そのときのことをチャールズさんはこう振り返る。

「沖縄での支援で大切にしていたのは、お互い様の心です。沖縄での表現だと、“ゆいまーる”。その精神で取り組みました。『もしも余っているものがあったら、缶詰でも袋麺でもいいから寄付してほしい』とフードパントリーを利用する人たちに呼びかけてみたんです。このアイデアを聞いた私の妻からは『食べ物に困っている人たちに対して、なにか寄付してくれなんて無理だ』と言われました」

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しかし、チャールズさんの言葉に対し、貧困に苦しんでいたはずの当事者たちは次々と余っている食品を持参してくれたという。

「あるとき小学生の女の子がちょっと不機嫌そうに缶詰を持ってきてくれました。その子は『なんでこんなことしなくちゃいけないの。ゆいまーるなんて知らない』と腑に落ちない表情で。だから私は、『あなたが持ってきた缶詰が、他の家族のためになるんですよ』と説明したんです。しばらく会話を重ねた後、『やさしいことなんだね』とお母さんと顔を見合わせて笑ってくれました。

大切なのは、貧困で困っている当事者が『自分たちにもできることがあるんだ』と意識を持つこと。それによって豊かな循環が生まれ、受け身ではない、貢献につながっていきます」

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チャールズさんの「助けているつもりはない」という言葉が重なる。なんらかの事情によって食べることに困っている人を前にしても、チャールズさんはそのスタンスを変えない。むしろ、当事者にも「できることがある」と伝えている。それにより生まれるのが“支援の循環”だ。

一方的に支援される側ではないことを知った小学生の女の子は、きっとこの先、誰かに手を差し伸べられる大人になっていくのではないだろうか。お互い様、という気持ちを胸に。

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この日配られた食品の例。1組分にこれだけの食品が入っている

「食べること」は「安心」につながっていく

最後にチャールズさんの幼少期にも触れておきたい。実はその日々が、現在の活動の原風景になっているのだ。

「私の家庭は決して裕福ではありませんでした。7人のきょうだいがいて、加えて両親はいつも里子を預かっていたんです。だから食卓では食べ物が足りるのかいつも不安で、みんなで競争するように取り合っていました。“片足ルール”というものが設けられていて、食事中は必ず片足を床につけていないといけないんです。わかりますか? つまり、テーブルに身を乗り出してまで食べ物を取ろうとしてはいけない、ということ。それくらい激しい取り合いをしていたんですよ」

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そんな過去があるからこそ、チャールズさんは空腹のつらさがリアルのわかるのだろう。チャールズさんにとって、「食べること」は「安心」に置き換えられるという。

「満腹になると、安心できますよね。飢餓状態のときに抱く一番の不安は、『これがいつまで続くのか』なんです。それは安心からは程遠い。だから私は、食べ物でセーフティネットを作りたいんですよ。万が一のときに頼れる場所が全国にある。それだけで安心できますし」

チャールズさんが見ているのは、食品を手渡す人々と、その先にある一つひとつの“食卓”だ。街の図書館や医療機関のように、フードバンクが当たり前にある社会。その実現に向けて、今日もチャールズさんは大量に届けられる食品の仕分け作業に勤しんでいる。

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全国各地に飲食店をチェーン展開する松屋にとって、まだ食べられる状態のものを廃棄してしまう“フードロス”は真摯に向き合わなければいけない問題です。
今回の取材を通して、品質にはなんの問題もない食品を食品寄付活動につなげることで有効活用できると知りました。
同時に、“支援の循環”という言葉も、胸に刻み込みたいと思います。これからは食を提供するだけではなく、食の無駄をなくすことも考えていく必要がある。チャールズさんと出会い、やるべきことがまたひとつ明確になりました。

取材:松屋フーズ・五十嵐 大 執筆:五十嵐 大 写真:小池大介 編集:ツドイ