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人生の物語_僕たちが通り過ぎていくすべてのこと

今週ラジコで爆笑問題の深夜放送を聞いていたら、太田光がジョン・アーヴィングの話をとても熱心にしていた。太田がアーヴィングの家まで行って対談をしたという話をしていて、その対談を「ダ・ヴィンチ」という雑誌で読んだ記憶があったのでネットで調べてみたら1999年の10月号、今から23年前だ。私は22歳の大学生で、ちょうどアーヴィングの本を熱心に読んでいた頃だったので対談のことも覚えていたのだと思う。大学4年生の私はちょうどそのころ彼女に振られ、彼女に戻ってきてもらうための長いラブレターを学生街の喫茶店で書いていた。そのラブレターはそのころちょうど読んでいたアーヴィングの「サイダーハウスルール」に影響を受けまくった内容で、その手紙を出してしばらくたってから彼女が戻ってきたので(今の妻だ)、アーヴィングには一方的に恩を感じている。

ラジオで太田がしていた話はアーヴィングの代表作「ガープの世界」の話だ。本とロビン・ウィリアムス主演の同名映画の内容をオーバーラップさせながら完全ネタバレで延々とストーリーを解説していく。もう20年以上、本も映画も見ていなかったけど、太田の話を聞いて、その物語が懐かしく思い出されていく。

ジョン・アーヴィングの小説はとにかく長い。活字中毒の自分にはとてもフィットする。ずっと読んでいられるし、細かい話も含めてアーヴィングが描きたいことを全部書いているという感じがして、好き嫌いはあると思うけれど私は好きだ。

アーヴィングの小説はある瞬間をとらえるのではなく、主人公が生まれてから死ぬまで、死なないまでも数十年間のスパンを描く。人生は、ある瞬間を切り取れば「楽しい」「苦しい」「悲惨」「幸福」などと描写できることができるかもしれないけれど、人が生まれてから数十年を描くアーヴィングの物語は、人生がそんな一面的ではないということを思い出させてくれる。

太田の話す本の話、映画の話を聞きながら、自分の記憶の中のガープの世界を思い出す。彼の読んだ本、彼の見た映画、私の読んだ本、私の見た映画。同じものを見ているはずでも、彼の中を通った物語と私の中を通った物語はきっと違う。私にとっては青春時代や恋に結びつくような物語だし、彼にとってはまた違うものと結びついている。一つの物語、一つの人生、一つの主張。それを正しく読み取ることが正しい本の読み方でも正しい生き方でも、正しい主張でもなく、それはもっと多面的で重層的なものなのだろう。太田の話すガープの世界に浸りながら、そんなことを感じていた。

最近叩かれることが多い太田光だけれど、彼の主張が正しいとか偏っているとか、そういうことにいちいち噛みつかずに、彼の言葉を(だけでなく誰の言葉も)多面的で重層的な意味を持つものとして受け入れられる人間でありたい。

「僕たちが通り過ぎてきたすべてのことを覚えていて欲しい」

ガープ

私たちは、長い物語の中で、いろいろなことを通り過ぎて生きていく。

自分の大切な人に、いいこともわるいことも、すべて覚えていてほしいと言えるような、そんな生き方ができればいいなと、私は思う。

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