Queen - It's A Beautiful Day / Made In Heaven, 1995|そして、Mahler Symphony No.5 Adagietto、そして、Death in Venice
Queen - It's A Beautiful Day / Made In Heaven, 1995|そして、Mahler Symphony No.5 Adagietto、そして、Death in Venice
いえ!…。何かの世界観に引きずりこもうとしているのでは決して…ない、のです。
Queen らしさがあらためて感じられるアルバム Made In Heaven, 1995 の、スピリチュアルな音楽的構造体の素敵さについて、語ろうかと思って。
書き始めています。
どうなるかは保証の限りではないので、「わたしを信じなさい。」ということで、
始めようかな。
結論から申し上げると、この Queen のアルバム Made In Heaven は、図らずも、究極の癒し系、今はやりの環境音楽 (ambient music) の「はしり」と申しますか、その辺の環境音楽を聴くくらいなら、こっちを聞いたほうが断然いいんじゃないかな、とお節介ながら注進いたしたい次第になっておるのでございます。
ただし、音楽的な好みは多様性があると思いますので、そこはご勝手に。
アルバムの通りに順番に楽曲を聴いていくのが、やはり、音楽のプロフェッショナルがせっかく緻密に構成して曲を並べているので、よいと思います。一種のフレディ・マーキュリーに捧げる交響詩のようなCDになっている。(きっと。…さっき、ほぼ、初めて聴いたばかり。)
Made in Heaven は、フレディ・マーキュリー亡き後、1995年に、フレディの遺されたヴォーカル音源に、Queen が 3人(ブライアン・メイとロジャー・テイラー、ジョン・ディーコン)のメンバーでオーバー・ダビングして制作され発表されたアルバムです。
私は、昨日の今日くらいに初めて聴いているので、全曲をここで、感想を述べたりしていくことは、時期尚早。
この note の #日記 は、とりあえず、ホワイトボードにメモを残している状態と思って、読んでいただければ幸いでございます。
消したり、足したりしていくと思います。
Here: https://note.com/matsunoya_note/n/nb55ccb7e8593
マガジン|
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https://note.com/matsunoya_note
It's A Beautiful Day|
冒頭の曲。この曲は弦楽器の分厚く繊細な和音で始まります。
クラシックのオーケストラによる交響詩のような印象。
それに小鳥の囀る声が混ざり、そして、それに続けてピアノの鍵盤をたたく音が重なります。
フレディがいつも通りに、本当にいつも通りの張りのある声で、あのフレディが大好きなムードでピアノを弾きながら弾き語りで歌っている。
ピアノの和音に合わせて、歌い上げていきます。
“
It’s a beautiful day
The sun is shining
”
フレディのヴォーカルとピアノの録音に、フレディ亡き後、メンバーが音を足しているという事実を知って聴くと、その音楽的な世界が理解できる。
最初に、まるでオーケストラの最初のチューニングのように長く伸ばした音が、ピアニシモからクレシェンドしていく。
弦楽器が和音を一つ一つ足していく中、演奏が始まったのに誘われたのか、どこからか小鳥が一羽現れ、舞い降りて、弦楽器の分厚い荘厳な和音に参加し、ピチュピチュと声を合わせます。
すると、その瞬間、不思議なことに、フレディがそこにピアノに座った姿でいるのです。(※聴いて脳内に現れた3D映像です。ビデオはない。悪しからず。)そして、フレディは、力強く鍵盤をたたき始めます。
彼のハリのある歌声が一気にその美しき日のステージに広がる。
フレディの天才的なメロディと詩(poem)によって編みあがった美しく複雑な錦織のタペストリーが帰ってきたのです。
なんということでしょう!奇跡のようです。
フレディが、帰ってきた!!
Queen のメンバーが、彼のピアノと歌のメロディに合わせて、美しいインストゥルメントを聴かせます。
Queen です。これが、Queenです。
しかし、まもなく最終的に歌詞は悲しい終わり方をします。
“
Sometimes I feel so sad, so sad, so bad
But no-one's gonna stop me now, no-one
It's hopeless - so hopeless to even try
”
フレディは歌い終わりました。
彼は、また小鳥の姿に戻って青空の彼方へと飛んで行ってしまったのでしょうか。
そしてギターのソロが続きます。
あれ?この音階は何だろう。ギターソロの最後に、まるで祈りの言葉のように、6つの音からなる音階が弾かれた。天へと向かってギター(シンセサイザー?)が何かメッセージを送っているように。
まるで、投げキッスをするように。
祈りの言葉?
...何て言ったのかしら。
と思うと、ギターの音はデクレシェンドして、その後に、弦楽器の静かで壮麗なかすかに甘く魅惑的なニュアンスを持った美しい和音とメロディが続いて吐息のようにクレシェンドし歌うようなメロディで演奏は終わります。
これが、アルバムの冒頭の曲で、順番に聴くと、次の曲は、アルバムのタイトルになっている Made in Heaven です。
フレディの力強い歌声がまた戻ってくるのです。
曲の組み合わせを、交響詩ととらえると、第1楽章が序曲 “It's A Beautiful Day” で第2楽章が主題 “Made in Heaven” という構成になっている。
続けて聞いていけばいいのですが、この冒頭の曲が、まさに、Queen を濃縮したような曲で、しかもフレディの初期の頃の楽曲の複雑さと、遺された3人のメンバーの祈りのような演奏が、従来の Queen の様式美を残しながらも、複雑なニュアンスを加え錦織のタペストリーを構成しているので、1回聴いただけだと、全てを聴きとれているわけではない。もったいない。
まるで、狩野派の屏風の前に立って、新たに見つかった、今まで見たことがなかった狩野派の絵画を見ているような気分になります。
様式美と、新たな美しいメロディと、楽器と声との音の組み合わせの複雑な発見に満ちた曲。
フレディが生きてそこにいるかのような美しいパズルが出来上がっている。
弦楽器の和音とその展開のニュアンスと、ギターの音とメロディ、ドラムの刻むリズム、全部を聴きとって、そのタペストリーを深く慈しみたくなります。
小鳥として舞い降りて、フレディ・マーキュリーの姿となったミューズへ、彼らと共に祈りを捧げたい。そんな曲です。
そして、ギターの6音の音階による何かの提示に続いて、最後に演奏される弦楽器の甘く切ない和音とメロディへの展開には、これは19世紀末から20世紀初頭にかけて活躍した後期ロマン派グスタフ・マーラー(1860年~1911年)を連想するしかありません。
”It's A Beautiful Day” の、濃縮された愛にあふれた曲の余韻に浸りながら、ここは、Mahler: Symphony No. 5 (Adagietto) は聴いておかねばという気持ちになる。(あの、第1楽章が葬送行進曲で始まる、アレです。あの第4楽章です。)
そこまでしなければ。フレディのファンたるものは。
(多少、方向性がずれてきましたが、すぐ戻るので大丈夫です。せっかくなので、アダージョへ行っちゃいましょう。)多分、アルバムでは、時間の関係でカットしてあるだけですから。
因みに、マーラーの交響曲5番では、第4楽章の Adagietto によって、追憶のように、青春時代の愛と憧憬のテーマが展開され、その後の第5楽章のRondo-Finale が始まるのですが、そこでは、幼少期の活き活きとした幸福感を、「少年の魔法の角笛」内の一曲「高邁なる知性への賛美」から引用されたテーマによって提示します。次第に交響曲はクライマックスへと向かって展開されていくのですが、エンディングは、まるで「英雄の生命の誕生」を祝う祝典序曲ような生命誕生の賛歌で華々しく終わります。
つまり、英雄の死を悼む葬送行進曲から始まった交響曲は、嵐のような戦いのテーマを経て、英雄の進軍のテーマへと続き、追憶のような青春時代の愛とイデアへの憧憬のテーマが流れて、最終楽章で英雄の誕生へと繋がっていくのです。
そして、ここまで聴いて気持ち的に美に耽溺してきたら、当然さらにわき道にそれて、
いいんです。
マーラーの交響曲5番の第4楽章アダージェットは、ルキノ・ヴィスコンティ監督の映画「ベニスに死す」に使われた曲だという事は、語っておかなければならない。そうです。1971年に公開されたアメリカ資本のイタリア・フランス合作映画で、トーマス・マンの小説を映画化した映画です。
原作では、マーラーをモデルにトーマス・マン自身も投影されて主人公が作られたと言われています。
以下、あらすじは、wikipediaからの引用です。
皆さん、ご存知かと思いますが。
あらすじ|
"
静養のためベニスを訪れた老作曲家は、ふと出会ったポーランド貴族の美少年タジオに理想の美を見い出す。
以来、彼は浜に続く回廊をタジオを求めて彷徨うようになる。
ある日、ベニスの街中で消毒が始まる。
誰も真実を語らない中、疫病が流行していることをようやく聞きつける。
それでも彼はベニスを去らない。
白粉と口紅、白髪染めを施して若作りをし、死臭漂うベニスを、彼はタジオの姿を追い求め歩き続ける。
やがて、ついに彼は倒れ込み、ひとり力なく笑い声を上げる。
翌日、疲れきった体を海辺のデッキチェアに横たえ、波光がきらめく中、彼方を指差すタジオの姿を見つめながら、彼は死んでゆく。
"
あらすじは、何しろウィキペディアなので、味もそっけもないのですが、映画または小説によって実際の作品の意味は確かめる以外に正しく伝わることはないから仕方ありません。
映画では、海沿いの観光地ベニスで、疫病が流行り始めていて、観光でやってきた「主人公」は、その疫病が流行っているとわかりはじめた都市にとどまり、ビョルン・アンドレセン演じる美少年の周りを徘徊し続けます。
そして、熱に浮かされたようになって、最終的には(たぶん、感染症によって高熱や神経症状が出て)死ぬのですが、その「美」へと向かう異様な執着の強さと、人間としての肉体の弱さ、老いに抵抗し、感染症に抵抗しても、結局、死んでいく運命である肉体の儚さが、老人役のダーク・ボガードの鬼気迫る演技で描かれていきます。
この映画に、マーラーの交響曲5番が、使われています。
追憶と愛の記憶とイデアへの憧憬に満ちた第4楽章アダージェットです。
鬼気迫る「主人公」と、あまりに幻想的過ぎる(期間限定の)少年の美しさが、ベニスの光景の中、何かのメタファーを表す「海」を背景に移ろう時間の中で、映画の映像中を耽美的なアダージェットの音楽と共に流れていきます。
最近、フレディ・マーキュリーを映像で知って、クイーンの音楽の魅力がわかってきて、現実に20世紀後半にこの偉大な芸術家、美の追求者が存在したことを知った後で、この「ベニスに死す」という映画が提示しているテーマを、あらためて考察すると、なにか、マーラーのアダージョと共に訴えてくるルキノ・ヴィスコンティ監督の映像の迫力が違いますね。
「ベニスに死す」に暗示される美への執着と、その肉体的な死は、その背景にある19世紀末の産業革命後の著しい社会の構造の変化と、新たな20世紀の始まりを意識することなしには、理解しえないでしょう。
マーラーは、後期ロマン派の最後の生き残りです。彼の、19世紀を踏襲し続けた芸術は「後期ロマン派の黄昏」とも表現されます。
「ベニスに死す」のなかで提示される「主人公の老ミュージシャン」の美への執着は、彼の肉体の死という運命として、その美しい時代「19世紀」のフェードアウトを暗示している。
そして、1971年に描かれたこの映画の映像の中には、20世紀の新たなる出発はどこにも描かれない。それは、ビョルン・アンドレセン演じる19世紀を象徴する高貴な血族の20世紀へと繋がる新たな子孫である「少年」の束の間の美しさと、その少年が、海辺に立ち水平線のほうを向いて、細い腕で静かに指し示す何かとして暗示される。
その少年の華奢な腕によって指示されるその先には、1920年代という、19世紀の系譜としての特徴を持った美しき我らの20世紀の儚い残像がある。
古き良き時代の残像。そこは、夜明けの光景ではなかったのか。
それは、夜が明けてやがて訪れる「美しき日」への序章ではなかったのか。
Breaking Dawn
それが、第1次世界大戦と第2次世界大戦を経て、経済成長と格差と大量虐殺の悪夢を超え至った1970年代という時代の芸術表現における芸術家のムード(雰囲気)だったのです。
そこに、1970年代にすい星のごとく現れて隆興した若者文化であるロックンロールミュージックとそのスーパースターである Queen の音楽表現に通じる何かを感じます。
フレディー・マーキュリーという表現者を通じての、マーラーへのアプローチという道筋があったのかと、今日気づきました。
保坂嘉内を通じての宮沢賢治へのアプローチに、やや似ている。
似たパターンで、特に、どちらからのアプローチも比較的容易な組み合わせには、ゴッホとゴーギャンというパターンもある。
It's A Beautiful Day を聴きながら、さっき気づいた。
余談ですが、結論から言うと、というか、あまりパブリックスペースで、宮沢賢治が苦手だとか、グスタフ・マーラーが苦手だとか、アーシュラ・K・ル=グウィンが苦手だとか、いう人はいない。
けれど、例えば、ピーマンが苦手だとか、椎茸が苦手だとか、
「えぇ~、なんでぇ~~( ゚Д゚)」
とふつう思いますよね。いえ、ピーマンと椎茸は、比較的、好物の食材です。宮沢賢治が苦手なんです。
半世紀以上生きていると、子供の頃の苦手なものとか、細かいことは、正直どうでもよくなっています。しかし、謎を解明したい性分は抑えがたく、「どうして苦手なのだろうな。」という疑問が続いていました。
最近、テレビで、宮沢賢治やマーラーやル=グウィンの特集を見て、何となくですが、わかっては来ているのです、この人たちの共通点が。
この人たちは、心にブラックホールのような「真っ黒な空洞」を抱えているのだけれど、芸術表現が卓越しているので、その時空のよじれのような異次元空間の、論理性からは否定されるべきそのどす黒い、ホメオスタシスが崩壊していくような病的になりそうなほどの何かを内在する、その心の中にある存在を、芸術表現の中で、どこかでよじれを持ったまま強引に、人間にとって価値あるものにみえる仕上がりの作品へと合理化しているんですね。
そのよじれが、わたしの子供の頃の心にとっては、柔道の技に例えると(柔道、よくわかりませんが)、心がダイレクトに腕挫十字固(うでひしぎじゅうじがため)とか上四方固(かみしほうがため)の技にかけられてしまったかのような強い固定感があって、しばらく、起き上がれなくなるというか、健康に良くないんですよ。
みんな、なんで、宮沢賢治がイイとか、マーラーが、イイとか、ル=グウィンがいいとか、よく、起き上がって自由な感じで言っていられますねー。
でも、マーラーの交響曲のCDは持っていて、大人になってからは、わりと5番は何度も聴いているんです。そんなには聴かないけど。(理屈は、言えるタイプ。)
ベニスに死すつながりでは、YouTubeにブリテン作曲の歌劇「ベニスに死す」の映像付きの演奏がアップされていたので、こちらも。
作曲家が違うので音楽は違うけれど、映像的には同じ世界を描いています。
ここまで、19世紀末から20世紀初頭、そして、「暗黒時代」を経ての1970年代に至る音楽について語ってきたら、やはり、ヴェーベルン:弦楽四重奏のための「緩徐楽章(ラングザマーザッツ|Langsamer Satz)、ハ短調」についてもまた、ここで語るべきかも知れません。
アントン・フリードリヒ・ヴィルヘルム・フォン・ヴェーベルン(Anton Friedrich Wilhelm von Webern, 1883年 - 1945年)は、オーストリアの作曲家です。ウェーベルンとも書かれる場合があります。
ヴェーベルン家はクロアチアなどに領地を所有する貴族の家庭で、彼はオーストリア=ハンガリー帝国の首都ウィーンに生まれます。おそらく厭戦的な気分やオーストリア帝国崩壊を受けて、彼は貴族のみに許された"von"を姓から外します。
1904年にシェーンベルクに師事し入門する前後に、独力で書かれたヴェーベルンの初期作品には、後期ロマン主義音楽の様式が残っていて、弦楽四重奏のための「緩徐楽章(ラングザマーザッツ|Langsamer Satz)」(1905年)は、その代表的な曲です。
その後、シェーンベルクに影響を受けた彼は、シェーンベルクやベルクと並んで新ウィーン楽派の中核メンバーとなり、20世紀前半の作曲家として最も前衛的な作風を展開します。
その前衛的な作風ゆえに、生前は顧られる機会がほとんどありませんでしたが、戦後の前衛音楽勃興の中で再評価され、世界的に多くの作曲家に影響を与えた作曲家として知られています。
「Langsamer Satz」ハ短調(⋈◍>◡<◍)。✧♡
新緑がまぶしい季節から初夏になると、なぜか、緑がわさわさ生えてきている景色の中で、ドライブをしながらこの曲を聴きたくなる。
こんな感じです。美しいです。
初夏の夏草の茂る姿が美しい北川村「モネの庭」via Facebook
北川村「モネの庭」マルモッタン|4月29日@花の庭
https://www.facebook.com/239296802815223/photos/a.2195971387147745/2195973040480913/?type=3&theater
初夏の庭の風景📷から、ウェーベルンの🎻弦楽四重奏のための Langsamer Satz ハ短調が、聴こえてくるようです。写真をタップ(クリック)すると、postの写真がすべてスライドショーのように見られます。美しいなー🌲🌹。
そして、同じ北川村「モネの庭」のバラのドレスをまとった貴婦人
北川村「モネの庭」マルモッタン|4月25日@花の庭
https://www.facebook.com/239296802815223/photos/a.1684891041589118/1684894534922102/?type=3&theater
こちらは、どちらかというと、マーラーの交響曲5番の第4楽章アダージェットを聴きながら鑑賞したい。後期ロマン派そのままの雰囲気。
初夏。若葉が生い茂り、夏の花が咲く、美しい季節ですよね。
ヴェーベルンの音楽って、なんだか建築で言うとガウディの作品に似ているのですが、19世紀が、(憧れていた貴婦人のように)好きで好きでたまらないんだけど、その愛の対象のミューズが自分自身から遠ざかってゆく、新しい20世紀という時代を自覚していて、でも希望をもって生きていこうと、前衛的な手法を取り入れながら、革新的なパラダイムシフトを自らの手で探りながら、その時代を切り開くフロントランナーは、その担い手は「自分」であるという疑いのないミッションを心に懐きながら、まっすぐ未来を見つめて進む姿が、切ない。
特にこの四重奏曲に、その19世紀への追憶と憧憬、そして、センチメンタリズムとノスタルジックな気持ちが現れていて、大好きなんです。
YouTubeではこんな演奏がアップされていました。これです!
どれだけ、Langsamer Satz 好きなんだ、ワタシ...。
どんだけ~!!
New Bing ちゃんに、解説をお願いしました。
___🤖
こんにちは、これはBingです。😊
現在のウェブページのコンテキストに基づいて、ヴェーベルンのLangsamer Satzについてお話しします。
Langsamer Satzは、ヴェーベルンが1905年に作曲した弦楽四重奏曲です。彼は当時21歳で、恋人で後に妻となるウィルヘルミーネとの旅行中にこの曲を書き始めました。この曲は、彼がまだシェーンベルクに師事する前で、後期ロマン派の影響を強く受けた時期の作品です。
Langsamer Satzは、ドイツ語で「緩徐楽章」という意味で、一般的には緩やかなテンポで演奏されます。この曲は、約10分間で一つの楽章からなりますが、その中に4つの部分があります。第1部はソナタ形式で、主題と副主題が提示されます。第2部は変奏曲形式で、主題と副主題が変化していきます。第3部は再現部で、主題と副主題が元の形に戻ります。第4部はコーダで、曲を静かに終えます。
Langsamer Satzは、ヴェーベルンの初期の作品の中でも最も有名で人気のあるものです。この曲は、彼の愛情と情熱を表現したロマンティックな作品で、美しい旋律と和声が聴きどころです。この曲を聴くと、ヴェーベルンがウィルヘルミーネと過ごした幸せな時を想像することができます。
Langsamer Satzについての詳細は、以下のリンクをご覧ください。
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ふと思ったのですが、ロマンティシズムとセンチメンタリズムとの違いって、ロジックがないかあるかの違いなのかな、と。
「題名のない音楽会」の中で、ピアニストの牛田智大さんが弾くラフマニノフの演奏の中でテロップが流れていくのを見ていて、思いました。
夏目漱石の草枕を引用すると、ロマンティシズムは「情」の要素が大きくて、センチメンタリズムはそこに「智」が入り込んだ感情なのかもしれない。
心を豊かにしてくれる音楽って本当にいいと思う。
草枕
夏目漱石
山路を登りながら、こう考えた。
智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。
とかくに人の世は住みにくい。住みにくさが高こうじると、安い所へ引き越したくなる。
どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生れて、画が出来る。
人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない。
やはり向う三軒両隣りにちらちらするただの人である。
ただの人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。
あれば人でなしの国へ行くばかりだ。
人でなしの国は人の世よりもなお住みにくかろう。
越す事のならぬ世が住みにくければ、住みにくい所をどれほどか、寛容(くつろげ)て、束の間の命を、束の間でも住みよくせねばならぬ。
ここに詩人という天職が出来て、ここに画家という使命が降る。
あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。
住みにくき世から、住みにくき煩いを引き抜いて、ありがたい世界をまのあたりに写すのが詩である、画である。あるは音楽と彫刻である。
フレディ・マーキュリーの音楽性の中でのセンチメンタリズムには、ヴェーベルンに感じられる「智」の縦糸が入っている。
彼は、実は「情」の要素の大きなロマンティシズムよりは、センチメンタリズムを彼の音楽要素の縦糸にする人だったんじゃない?
そこに横糸として複雑性とロックの「情念」のロマンティシズムを織り込んでいくのが、ブライアン・メイのギターであり、リズムでその縦糸と横糸の接点を印象付けるのが、ドラマーのロジャー・テイラーであり、重厚な錦織のタペストリーを面で支えるのが、ベースのジョン・ディーコンである気がする。
少し話題がそれましたが、戻ります。
Queen の “It's A Beautiful Day” 、あまりに複雑かつ美しい楽曲に仕上がっていて、思わず余韻に浸っていました。
皆さんも、“It's A Beautiful Day” の冒頭の弦楽器のオーケストラのチューニングのような音から始まりうねりを加えながら重なっていく音に耳を澄まして、その美しき日(Beautiful Day)に、小鳥が囀りながら舞い降りて、彼らの音楽に参加する瞬間に、耳を澄ましてみたら、いかが。
いやぁ、Queen って、メンバー全員がロマンティスト。
というか、彼らの心の中には、いつでもフレディ・マーキュリーが生きている。彼らの心の一部はフレディそのものでもあることを確信しました。
ある意味、iPS細胞みたいなやつだな。フレディ。
そして、フレディ自身は、呼ばれれば、
何度かは天上から降りてきてくれるらしい。
まさに天からの賜りもの。
Made In Heaven
芸術って、いいですね。そして、愛って、
なんて素敵なんだ。
音楽という媒体は、愛を表現できるという意味で、奇跡を起こし得ることをうれしい驚きとともに確認したような楽曲でした。
今日は、ここまで。
__________
NHKでのインタビュー記事でこんなエピソードをみつけました。
「ロジャーはことしのフレディの命日にインスタグラムに写真を投稿。自宅の庭に設置された巨大なフレディの像の前に立ち"古い友人に会いに"というコメントを添えている。」
(※NHKの記事では「命日」と記載されているけれど、フレディが亡くなった日は 1991年11月24日です。)
クイーンのロジャー・テイラー公式インスタグラム
素敵な写真です。
@rogertaylorofficial on Instagram
2018年11月21日のインスタグラム
"A walk in the garden... saying hello to an old friend"
A walk in the garden... saying hello to an old friend 📷 Sarina Taylor | Instagram post from rogertaylorofficial (@rogertaylorofficial)
NHKの記者のインタビューに答えて、ロジャーは、このエピソードについて、こんなことを言っていました。
記者:少し前にフレディの像の写真をインスタグラムに投稿していましたね。
ロジャー:自宅の庭にフレディの像があるんだ。
かっこよくて巨大で、大好きな像。
庭に像を置いたらおもしろいんじゃないかと思ってね。
ライトアップすると本当に美しくて、ほかの人からは見えないところにあるんだけど、フレディが見たら大笑いするんじゃないかな。だから、いいじゃないか、ってね。
記者:いつも像の前に会いにいくのですか?
ロジャー:いやいや、でも毎日、目にしているよ。
(拳を掲げて)フレディが「イェア!!」ってやってるのを思い出すよ。
彼は頭の中にいつもある壁紙のようなものだ。忘れることなんてないよ。
いなくなってずいぶんたつけど、忘れたことなどない。
僕たちの一部なんだ。
ブライアンも僕も、いつもフレディが隅っこにいるような気がしていて、なにかについて話している時もフレディがどう思うか、わかっている気分になっているんだ。
出典:2018年12月のNHKのインタビュー記事はこちら
NHK|クイーン単独インタビュー ロジャー・テイラーさん 2018.12.26
https://www.nhk.or.jp/d-navi/sci_cul/2018/12/story/special_181226_2/
NHK|クイーン単独インタビュー ブライアン・メイさん 2018.12.27
https://www.nhk.or.jp/d-navi/sci_cul/2018/12/story/special_181227/
What a good episode! (≧◇≦)
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おまけのトリビア|
曲の素晴らしいイメージを破壊してしまうことは本意ではない。
だから、単なるトリビア的なオハナシとして、ちょっと話したいだけなのですが、気になったので。
音楽の話ではないのです。
曲の YouTube 動画の中、冒頭の方でブライアン・メイがOKマークを、胸の位置に挙げた右手で、手のひらをオーディエンスに向けてしている写真がちらっと眼に映った。
普通に仕事の中でOKしている。(もちろん、そう)
でも、この右手でのジェスチャーを見ながら、わたしは、
「あれ?この印相は、何て言うんだっけなー。」
と記憶をたどり始めたのです。
(あんまり宗教には詳しくない。けれど、たしか浄真寺の九品仏の印相のどれかだから。)
記憶をたどれないと、とくに宗教に深い信念を持たない場合でも気になるものです。
それで、Google で検索してみたら、この印相(サンスクリット語ではムドラー मुद्रा [mudraa])は、右手だけしか見えないので左手の印相がわからないから確証はないけれど、「来迎印(らいごういん)/摂取不捨印(せっしゅふしゃいん)」ですね。
阿弥陀如来特有の印相とされ、臨終の際、阿弥陀仏が西方極楽浄土より迎えに来るときの印相です。
右手の人差し指と親指で輪を作っているから、浄土宗の九品仏の九品印の分類で言うと、西方極楽浄土から阿弥陀如来がお迎えに来られる場合の印相のうちの、中品上生(ちゅうぼんじょうしょう)または下品上生(げぼんじょうしょう)の場合のバージョンです。
大乗仏教経典の一つ観無量寿経(かんむりょうじゅきょう)によると、阿弥陀仏の世界である西方極楽浄土に往生する人を、生前に積んだ功徳の違いに応じて9種類に分類していて、これらを総称して「九品(くほん)」と言います。
阿弥陀如来の仏像が来迎印を結んでいるわかりやすい画像がないかなー、とGoogle で検索したんですけど、来迎印(らいごういん)を結んでいる適当な阿弥陀如来像の仏さまのお写真が牛久大仏しか見つからなかったので、wikipedia から牛久大仏の来迎印をご紹介します。
Construction completed-November 1992
Open to the public-July 3, 1993
出典: 牛久大仏 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%89%9B%E4%B9%85%E5%A4%A7%E4%BB%8F
ていうか、わたしは多分、ブライアン・メイのボディランゲージを、完全に読み間違っている。カルチャーが違う。
※閑話休題
__________
九品仏の印相の宗教的な意味について解説している文献がありました。
印相について、文献から引用して少し解説します。
観無量寿経を出典とした九品印相図は、下記の図のように分類されます。
上品、中品、下品に相当する印相は、それぞれ、定印、説法印、来迎印に相当します。
右手と左手の位置によってあらわされるものです。
上品|定印
(左右の手が膝の上)
中品|説法印
(左右の手が胸の位置)
下品|来迎印
(右手が手を上げて胸の位置で手の平を前に向けた印相、施無畏印(せむいいん)、左手が手を下げて手の平を前に向けた印相、与願印(よがんいん))
いっぽう、上生、中生、下生の違いは、親指と輪を作る指が、人差し指か中指か薬指かの違いで表されます。
上生|親指と人差し指で輪を作る。
中生|親指と中指で輪を作る。
下生|親指と薬指で輪を作る。
下記の写真の仏さまは、上から、それぞれ、
上品上生「妙観察知印」、
中品下生、
下品中生
の印相を結んでいらっしゃいます。
定印(上品上生、上品中生、上品下生)のうち、上品上生は「妙観察知印」と言います。
定印 (Dhyāna Mudrā) の両手の組み合わせは、禅の瞑想を示し、内心の平和、安定を表します。
説法印(中品上生、中品中生、中品下生)は転法輪印 (Dharmachakra Mudrā) とも言います。説法印の両手の組み合わせは仏教の法輪の象徴で、法輪が回り(活動し)、人間の悩みをなくし、問題を解決し、心と身体を清浄にするという意味があります。またこの印相は、仏が信者に知恵を授けるという活動でもあります。右手は仏を表し、左手は信者を表します。
来迎印(下品上生、下品中生、下品下生)は施無畏(右手)与願印(左手)とも言います。
施無畏印(せむいいん)(Abhaya Mudrā)
与願印(よがんいん)(Varada Mudrā)
来迎印の右手の施無畏印(せむいいん)とは、漢字の示す意味通り「恐れなくてよい」と相手を励ますサインです。左手を与願印にした印は信者の願いを叶えようというサインです。この印相は阿弥陀如来の仏としての衆生を救う力と願いを反映しています。阿弥陀如来が、信者の臨終に際して、西方極楽浄土からお迎えに来る時の印相です。
右手の施無畏印の意味、「恐れなくてよい」と相手を励ますジェスチャーは、なんとなく、OK のジェスチャーの意味(all correct / all right, approved)とニュアンスが似ていますね。
なお、この文献での考察では、印象評価から、数量化三類で構成する三つの要因としては「安定性」、「活動性」、「力量性」で定義できることが明らかとなり、印相それぞれが持つ本来の宗教的意味である「安定」、「説法」、「救済力」と合致することが考察されたそうです。
仏教に関する専門的な宗教的な知識を持たない千葉大学の学生(男女計 20人、平均年齢 23 歳)には、「定印」を見たときには、より安定性が感じられ、「説法印」を見たときには、より活動性の強さが感じられたそうです。また「来迎印」の下品下生印相に対しては、より強力な力量性が感じられたとのこと。
霊験あらたかパワーが、仏さまから千葉大学生に伝わったのでしょうか。
また、構造解析より求められた重心位置と応力分布及び印相形態(手指の配置)との比較検討より、重心位置が「安定性」および「安定」に対して影響を与えていることが考察されたそうです。
以上、ちょっと解説してみました。
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施無畏印(せむいいん)を結んだ立像としては、日本には観音像のほうが仏像より多い気がする。
この写真の観音さま(平和観音、韮崎市|日本の三大観音のひとつとされます。)は、中指と親指で輪を作って施無畏印(せむいいん)を結んでいらっしゃる。中生の施無畏印です。
左手は、衣を掴んでいますね。これも印相の一種なのかな。
印相を少し知り始めると、メッセージ性が伝わってきて面白い。
下品中生に対して、広く救済の慈悲をあたえようとしながら、
「衆生よ、恐れなくてよい」
とおっしゃっていらっしゃる。神々しい。
Facebook 山梨日日新聞から 「韮崎平和観音、誰が作った?」
地球の歩き方|特派員ブログ > 白く美しい観音様~関東三観音に数えられる韮崎の「平和観音」 日本国内/北杜・山梨特派員ブログ | 地球の歩き方 https://tokuhain.arukikata.co.jp/hokuto/2020/02/post_68.html#RrHAkD4.twitter_tweet_count_no_m
観音さまは、観音菩薩(かんのん ぼさつ、梵: Avalokiteśvara)のことで、観世音菩薩(かんぜおんぼさつ)または観自在菩薩(かんじざいぼさつ)とも言います。
サンスクリットのアヴァローキテーシュヴァラ(Avalokiteśvara)に相当し、日本での呼び方は、サンスクリット語の意味を翻訳したものです。
インド土着の女神が仏教に取り入れられた可能性が示唆されています。
エローラ石窟群、サールナートなどインドの仏教遺跡においても観音菩薩像と思しき仏像が発掘されていて、ゾロアスター教においての最高神アフラ・マズダーの娘とされる女神アナーヒターやスプンタ・アールマティとの関連も指摘されているそうです。
また、チベット仏教においては、ダライ・ラマが、観音菩薩の化身であるとされています。
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SNSプラットフォーム Twitter に第14代ダライ・ラマ法王のアカウントがあるので、今の時代、Twitterにログインできるひとは、プラットフォームの機能を使ってフォローできるというありがたい時代になりました。
アカウント @DalaiLama https://twitter.com/DalaiLama
https://twitter.com/DalaiLama/status/1230801905976131584
わたしも、フォローしていますが、不思議なことに、まるで、わたしがその日に抱えている課題をご存知で、その課題の解決につながるお言葉をツイートされるので、やはり、観音さまの化身であるという伝承は、あながち間違ってはいない、かもしれない。
特定の宗教教育を、わたしは受けてきてはいない。
けれど、幼少時の遊び場には、平和観音の姿に化身をした観音さまがいつもいた。今、韮崎市の平和観音の周辺がどうなっているかはよくわからないけれど、私が幼少の頃は、平和観音像の大きな足の指の上までは、小さな子供でもよじ登ることができた。
わたしは、観音さまの足の指の上に座って遊んでいた。そこは、眺めがいい「いつものわたしの遊び場」だった。
そういうこともあって、気にかけてくださっているのだと思う。(思うことは、私の勝手ですが、本当に感謝したい。ありがたい。)
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日本では、観世音菩薩は女性として観音像に表されていますが、本来は男性だったと言われ、梵名のアヴァローキテーシュヴァラが男性名詞であること、華厳経に「勇猛なる男子(丈夫)、観世音菩薩」と書かれていることから、本来男性であったと述べている文献もあります。
今では、特に性別はないと考えられるようになってきました。
『般若心経』の冒頭に登場する菩薩で、般若の智慧の象徴となっています。
般若心経(はんにゃしんぎょう)の正式名称は『般若波羅蜜多心経』(はんにゃはらみったしんぎょう、प्रज्ञापारमिताहृदय、Prajñā-pāramitā-hṛdaya、 プラジュニャーパーラミター・フリダヤ)で、大乗仏教の空・般若思想を説いた経典で、般若経の1つともされています。
僅か300字足らずの本文に大乗仏教の心髄が説かれているとされ、複数の宗派において読誦経典の一つとして広く用いられています。
般若心経の冒頭に書いてある言葉の意味は、以下のようなことらしいです。
(花山勝友 訳)
観自在菩薩(かんじざいぼさつ)
翻訳:観音菩薩が、
行深般若波羅蜜多時(ぎょうじんはんにゃはらみったじ)
翻訳:深遠な知恵を完成するための実践をされている時、
照見五蘊皆空(しょうけんごうんかいくう)
翻訳:人間の心身を構成している五つの要素がいずれも本質的なものではないと見極めて、
度一切苦厄(どいっさいくやく)
翻訳:すべての苦しみを取り除かれた。
舎利子(しゃりし)
翻訳:そして舎利子(Śāriputra|シャーリプトラ:仏教の開祖釈迦仏の十大弟子の一人)に向かい、次のように述べた。舎利子よ、
以下、観音様の教えが続くという内容らしいです。
ようするに、般若心経は、観音様の教えのアブストラクト(概要)であり、大乗仏教の心髄が説かれている教典の一種らしい。
普通、文字で書いてあっても読めないので、YouTube から動画を。。。
読経、chorus:薬師寺寛邦 / http://kanho.info
音楽:Ramesh Sathiah / https://songzu.com
【MV】般若心経 (cho ver.) [Ramesh Sathiah mix.] /薬師寺寛邦 キッサコ @2018.12 Asia tour via @YouTube 歌う僧侶 薬師寺寛邦 キッサコ
https://youtu.be/3Q8yuCFAklg
般若心経 托鉢 short ver (heartsutra takuhatsu ver.) live act / 薬師寺寛邦(キッサコ) via YouTube 歌う僧侶 薬師寺寛邦 キッサコ
https://youtu.be/msLDcoqQcyk
現存する最古のサンスクリット本(梵本)は東京国立博物館所蔵(法隆寺献納宝物)の貝葉本(東京国立博物館によれば後グプタ時代・7~8世紀の写本)であり、これを法隆寺本(もしくは法隆寺貝葉心経)と称します。
観音菩薩は、浄土教では『観無量寿経』の説くところにより阿弥陀如来の脇侍として勢至菩薩と共に安置されることも多い。阿弥陀三尊(あみださんぞん)で阿弥陀如来を中尊とし、その左に、左脇侍(きょうじ)の観音菩薩として安置されていることが多いです。
仏さま、阿弥陀如来もそうですが、遥かインドから渡ってきた宗教を反映していて、古代では、ペルシャ神話までつながっているのが興味深いし、歴史ロマンです。
韮崎市の平和観音像の碑文には、下記の記録があるそうです。
平和観音 銘文|
昭和33年彼岸、七里岩南端に慈愛にみちた観音さまの御姿を夢見る恵の兆しを同志にはかり、観音像の建立を思い立った発案者が、市民の平和と無限の発展を祈り次代を背負う子供達の強く正しい成長、また皇太子殿下のご成婚を記念してこの地をえらび着工した。
2年と2ヶ月を要し、昭和36年10月13日落成開眼。
製作は秋山源太郎氏が担当し、多くの市民の浄財と協力により完成韮崎市に寄附採納された。
身長 16.6メートル(台座を加えると18.3メートル)
お顔 2.6メートル
右手施無畏印 2メートル
体重 305トン
昭和62年3月 韮崎市
幼少時、わたしがよじ登って座って遊んでいた、その観音さまの足の大きさも、2メートルくらいはあったのでしょう。
昭和33年に駅前通りで菓商を営む故・秋山源太郎氏が「韮崎市に観光的施設がないことと、平和な明るい町をつくるために、何か一つのシンボルを市内のどこからでも眺められる場所につくりたい」との思いをもったことから建設が始まったそうです。
建設途中に、伊勢湾台風の豪雨と暴風の被害にあい、築いた土台と櫓が壊されるなど、工事が中断しました。しかしながら、災害から被害を受けた死者の霊を弔うことや、災害がもう起こらないで欲しいという願いから、観音像建立の声が高まり、工事は昭和35年に再開され、工事着工から3年の歳月を要し、昭和34年4月の皇太子殿下ご成婚を記念するとともに、市民の平和と登山者の安全無事を祈願し、七里岩南端の市内を一望できる場所に、霊峰富士に向かう立像として昭和36年に建立されたという由来があるそうです。
(YBS Radio http://www.ybs.jp/radio/y-index/2013/05/24130000.html )
巨大台風による被害を受けながら、復興の祈りをもって、いったん破壊された土台を再構築し、「市民の平和と無限の発展を祈り次代を背負う子供達の強く正しい成長」を祈念して建立されたというその沿革には、今の、地震や気候変動による被害にあいながらも、懸命に生きていこうとする日本の一般の市民の強く美しい気持ちが重なります。
上記の山梨日日新聞の記事「韮崎平和観音、だれがつくった?」に建立中の平和観音前に立つ菓商、秋田源太郎さんの写真が掲載されていました。
出典:上記(山梨日日新聞 記事より)
余談ですが、東京タワーが設立されたのは、1957年(昭和32年)で、その高さは333メートル。
そして、東京オリンピックが開催されたのは、1964年(昭和39年)でした。そんな時代背景がある。
そして、私には、東京オリンピックの記憶がある。
えぇ~( ゚Д゚)、という人は多いと思う。
私には、東京オリンピックの記憶がある。
あの日、私は、小さな日の丸の旗を右手に持って、パタパタと振っていた。
周りには、大きな大人の2本の足がにょきにょきと、びっしりと、視界のすべての方位に生えていて、私は、小さな日の丸の旗を右手に持って、パタパタと振りながら、首をうつむけて、自分の足元の靴のつま先のあたりにあるコンクリートの地面を見ていた。
パタパタと、パタパタと、右手に持った日の丸の小さな旗を振っていた。
それは、どこだったのだろうか。
いや、そこに疑問はない。そのコンクリートの地面は、私の記憶のなかに確かにある。
それは、家の隣の瀟洒なアパルトメントの、背の高いビルのその屋上のコンクリートの地面に間違いはない。
家の隣にあるアパルトメントの屋上は、幼稚園から小学生の時代の間、ずっと私の遊び場だった。
そんなことを言うと、まるで渋谷で生まれて育った子供みたいだけれど、その、甲州街道に沿った通りに面した、1階が当時最先端のスーパーマーケットで、2階以上が瀟洒なアパルトメントだった、背の高いビルの屋上は、確かに、小さな子供でしかない私が住む家の隣にあって、子供時代の長い間、私の遊び場だった。
2階以上のアパルトメントのそれぞれの住居の前にある廊下は、外廊下ではなくて、天井と窓のあるビルディングの中にあって、リノリウムのような美しい光沢のある床が、窓から入る光に鈍く光っていて、その廊下でさえも私や近所の友人たちの走り回る遊び場だった。
私は、何のために、あの日、日の丸の旗をパタパタと振っていたのだろうか。
それは、もう、わからないけれど、そのアパルトメントが面した甲州街道を何が通っていったのか私には知る由もないけれど、周りににょきにょきと生えていた多くの大人の二本の足の集合体の中で、私は、なにか、熱のある心持ちで、小さな日の丸を握りしめ、コンクリートの地面を見つめながらパタパタと日の丸の旗を振っていた。
今年、2020年(令和2年)、東京オリンピックが開催される。
どれだけの人が、こんな曖昧な記憶を抱えながら、信じられないような、本当なのかどうか幻影なのか、東京オリンピックが開催されるという、ニュースを聴くのだろうか。
そういえば、山梨県の商人気質を表す言葉が、朝日新聞に掲載されていました。
朝日新聞 折々のことば 鷲田清一
人の心はポイントカードのデータや全国平均では測れません
山梨の「スーパーやまと」の元社長 小林久さんの言葉
RT @oriori_kotoba on Twitter
スーパーやまと、記憶では、50年前から、このスーパーはあります。
店頭での、八百屋のおじさんの「ハワイ仕込み」パイナップル飾り切りパフォーマンスが記憶に残ってる。
パイナップルを初めて見たのは、この頃だった。
スーパーは小さなころの私の遊び場の一部だったから、今でも、地方の個人商店的な古いスーパーマーケットは大好きです。
3時間くらいはうろうろしていられます。
今は、こういうご時世で、長くいると怪しまれるし、茨城県牛久市中央の今住んでいる自宅の近所では、バケモノみたいな不審者の悪質なつけまわしがあるので、なんにも特徴のないような「スーパーマーケット」でそそくさと必要なものだけ買って急いで出ていきます。
古いスーパーマーケットは、長い時間軸のあるレガシーが詰まった智慧のある品ぞろえが楽しい、
まさに「食のアミューズメントパーク」です。生活に密着した楽しい買い物の体験の思い出があるスーパーマーケット。
久しぶりに訪れたら、潰れて消えていたりして寂しい。
もう、あの商品は買えないんだ。古くて小さいスーパーこそ、地域の豊かさを支える宝です。文化遺産的なレガシーです。「人間」と血の通ったコミュニティのためのお店が有利に残っていく政策になってほしいものです。
本当の豊かさを見直す時期に来ていると思う。令和はそういう時代になりうるのでしょうか。
小さな古いスーパーマーケットが、お互いの知恵を出し合って、政治家を動かして、地域のために生き残っていってほしいです。そんな、全国ネットワークがあって、力をもって、総力戦でいってほしい。そんな風に思います。
※閑話休題
__________
祈りの言葉さえ知らないわたしです。
しかし、好奇心さえあれば、そこに観音さまの教えに由来する言霊が、不思議と手に届くところにある。
故説、般若波羅蜜多呪(こせつはんにゃはらみつたしゅ)
翻訳:そこで最後に、知恵の完成の真言を述べよう。
即説呪曰(そくせつしゅわつ)
翻訳:すなわち次のような真言である。
羯帝羯帝波羅羯帝(ぎゃていぎゃていはらぎゃてい)
翻訳:往き往きて、彼岸に往き、
波羅僧羯帝(はらそうぎゃてい)
翻訳:完全に彼岸に到達した者こそ、
菩提(ぼうじ)
翻訳:悟りそのものである。
僧莎訶 (そわか)
翻訳:めでたし。
般若心経(はんにゃしんぎょう)
(花山勝友 訳)
即説呪日
(そくせつしゅわつ)
羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦
(ぎゃてい ぎゃてい はらぎゃてい はらそうぎゃてい)
菩提薩婆訶 般若心経
(ぼうじそわか はんにゃしんぎょう)
菩提(ぼだい)とは、サンスクリット語・パーリ語のボーディ(bodhi)の音写です。
サンスクリット語 बोधि; bodhi、パーリー語 bodhi
菩提は、ゴータマ・ブッダの別名ボーディー (Bhodhi)から来ています。
それで、仏教の開祖であるゴータマ・ブッダがその木の根元に座って悟りを得た木を、菩提樹といいます。サンスクリットでは菩提樹は pippala や aśvattha と呼ばれます。これは、インド原産のクワ科イチジク属の常緑高木インドボダイジュのことで、中国原産の落葉高木のシナノキ科の植物ではないです。中国原産ののシナノキの菩提樹は、科高さは10mほど。花期は6-7月頃で淡黄色の花を咲かせる。日本へは、臨済宗の開祖栄西が中国から持ち帰ったと伝えられ、日本では各地の仏教寺院によく植えられています。
フランツ・シューベルトの歌曲集『冬の旅』の5曲目の菩提樹(ドイツ語: Der Lindenbaum)は、落葉高木のシナノキ科のほうですけど、なにか因縁を感じます。
恋に破れた若者が旅立つ時に、以前は町の門の前にある菩提樹の木陰で甘い夢を見ていたことをなつかしむ歌。
菩提樹 歌曲集『冬の旅』
町をめぐらす城壁の入り口の前の泉に
一本の菩提樹が立っている。
その木陰で私は見た、
沢山の甘い夢を。
私はその幹に
沢山の愛の言葉を刻んだ。
楽しい時も、苦しい時も、私は思い出す
そのことをさらに強く。
近藤朔風訳詞|
泉にそいて 繁る菩提樹
慕いゆきては うまし夢見つ
幹には彫(え)りぬ ゆかし言葉
うれし悲しに 訪(と)いしそのかげ
今日も過(よぎ)りぬ 暗き小夜中(さよなか)
真闇(まやみ)に立ちて 眼とずれば
枝はそよぎて 語るごとし
「来よいとし侶(とも) ここに幸あり」
面(おも)をかすめて 吹く風さむく
笠は飛べども 棄てて急ぎぬ
はるか離(さか)りて 佇まえば
なおも聞こゆる 「ここに幸あり」
はるか離(さか)りて 佇まえば
なおも聞こゆる 「ここに幸あり」
「ここに幸あり」
ドイツ語の歌詞|
Am Brunnen vor dem Tore,
da steht ein Lindenbaum:
Ich träumt in seinem Schatten
so manchen süßen Traum.
Ich schnitt in seine Rinde
so manches liebe Wort;
es zog in Freud’ und Leide
zu ihm mich immer fort.
Ich mußt’ auch heute wandern
vorbei in tiefer Nacht,
da hab’ ich noch im Dunkel
die Augen zugemacht.
Und seine Zweige rauschten,
als riefen sie mir zu:
Komm her zu mir, Geselle,
hier find’st du deine Ruh’!
Die kalten Winde bliesen
mir grad ins Angesicht;
der Hut flog mir vom Kopfe,
ich wendete mich nicht.
Nun bin ich manche Stunde
entfernt von jenem Ort,
und immer hör’ ich’s rauschen:
Du fändest Ruhe dort!
英語|
By the well at the town gate
there stands a linden tree;
in its shadow I have dreamed
full many a sweet dream.
On its bark I have carved
full many a loving word.
In joy and sorrow it drew
me to it again and again.
Just now my journey took me
past it at dead of night,
and even in the darkness
I had to close my eyes.
And its branches rustled
as if they were calling to me:
“Come here to me, lad,
here you will find your rest”!
The chill winds blew
straight in my face:
my hat flew off my head.
I did not turn back.
Now I am many hours
distant from that place;
yet still I hear the rustling:
“There you would have found rest”.
Source: Jonas Kaufmann 'Der Lindenbaum' Winterreise
via @YouTube SheetMusicVideo
https://youtu.be/NKC2Q2ZEnVE
即説呪日
(そくせつしゅわつ)
羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦
(ぎゃてい ぎゃてい はらぎゃてい はらそうぎゃてい)
菩提薩婆訶 般若心経
(ぼうじそわか はんにゃしんぎょう)
すっきり。
でも、ゴーギャンの絵画(Paul Gauguin - D'ou venons-nous (1897))の中に描かれた仏さまの種類と立像の印相が気になる。。
______
Queen - Made In Heaven (Deluxe Edition 2011 Remaster) YouTube Playlist
https://www.youtube.com/playlist?list=OLAK5uy_n1v_5xOclmy_b6VESeHI6bOv3O5cImllo
via @YouTube Queen Official
そして、最後の曲は...
Queen - A Winter's Tale (Official Video) @YouTube Queen Official
https://youtu.be/CjWQZBmJf6M
測量船|
三好達治
春の岬
春の岬旅のをはりの鴎どり
浮きつつ遠くなりにけるかも
出典:青空文庫 測量船 三好達治
https://www.aozora.gr.jp/cards/001749/files/55797_55505.html
下村観山の作品「鵜(う)」を東京国立博物館公式ツイッターが紹介しているツイートRT
下村観山の作品「鵜」
38歳の若さで他界した学友の菱田春草(ひしだしゅんそう)に対する観山の悲痛なる哀悼の辞が込められている。
左の屏風には、滑空しながら、左手の遥か遠くへと遠ざかって飛んでいく鳥が描かれています。
そして、右側の屏風に描かれた、岬の崖に佇む鳥の表情をアップで見てください。羽を少し広げて目を見開いた少しくちばしを開けた姿。
もの凄い悲壮感と悲しみが伝わってきます。
ツイートの絵をクリックすると、結構細部まで屏風絵を見て取ることができます。
ほぼ同じ時期に、瀧廉太郎が結核による死の4か月前に作曲したピアノ曲「憾」、NHK-Eテレ「ららら♪クラシック」で初めて聴きました。
生命の輝きをここまで見せた人たちがいた。医療の発展は今を生きる若者からこの悲劇をなくした。
君たちはどう生きるか。
https://twitter.com/Mats_blnt_pharm/status/1163014355350241280
Queen - Made in Heaven: Deluxe Edition Island via @amazonJP
https://www.amazon.co.jp/dp/B005EK4CEQ/ref=cm_sw_r_tw_dp_U_x_GoHuEbG4DSDX0
最近、わたしの、「フレディ・マーキュリー好き」が重症化してきていて、テレビの番組の合間、自動車のコマーシャルの中で Queen の曲が一瞬流れただけでほっこりします。
「わぁ。Queen だ。」って。
新型インプレッサ:WEB movie「人生を輝かせるクルマ」篇
@YouTube via SUBARU On-Tube
|
この動画、SUBARU の公式ホームページ中動画コンテンツウェブページ「Channel Subaru」で再生ランキング1位👑になっていました。
(2020.03.07 現在)
フレディ & Queen に教えてあげたい。
インプレッサのCM、ウケてるって。
・・・渋すぎる。
Source: https://www.subaru.jp/channel/
因みに、ワタシ、もはやクラッシックカーの雰囲気を醸し出しつつある年代物の生産量限定特別仕様のインプレッサに、いまだに乗ってるんだよー⤴
インプレッサの製造元とフレディつながりで趣味が合うって、
素敵だな(*ノωノ)。
運転席の座面にはホットシート機能がついていて、スイッチを押すとお尻がじんわり温かくなるの。デフォルトで寒冷地仕様だから。
車屋さんが言ってたんだけど、日本では、SUBARUのインプレッサとかレガシーって、そんなに見ないけれど、スイスでは普通にたくさん走ってるって。
そういう設計戦略なのね。高低差が大きい坂道が多い寒冷地を、地味だけどへこたれずにがんがん走る、それなりに機能性にこだわりがある🚘。
ワタシは自動車には何のこだわりも関心もないのだけれど、もともとR&D 魂があるので、ギーク(geek)のいう事は素直に聞くほうなの。
SUBARU の自動車の設計思想には、車屋さんのハナシだと、会社の沿革が大きくかかわっているのね。
株式会社SUBARU 沿革 1917年~2018年
https://www.subaru.co.jp/ir/library/pdf/fact/2018/enkaku.pdf
1917年に創設された中島飛行機っていう飛行機研究所がおおもとで、その後、第二次世界大戦が始まったあとは、戦闘機を作っていたの。日本が敗戦する直前の1945年の戦時中には特殊攻撃機も作っていた。特攻隊が乗って飛んでいくやつでしょう。たぶん。
その戦争が終わった1945年に中島飛行機㈱を富士産業株式会社と改称、定款を改定し平和産業への転換を図り、国産自動車を作る会社になった。
車屋さんのハナシだと、ほかの自動車製造業の会社は、(乗り心地や車体のデザインなどの色々な優先事項があって)自動車の中心の低い部分に重心を持ってくることを今では設計の中でやっていないんだけど、SUBARUの自動車だけは、重心を真ん中(中央)の低い位置に持ってくる設計にこだわっている。
自動車屋さん曰く、
「羽根を付けたら、飛べるんじゃないか?」って。
飛行機野郎ロマンですねー。
運転席、めっちゃ狭いです。。ほぼ、飛行機のパイロットになった気分を味わえます。
でも、カーブを曲がるときの軌道の描き方とか、ほかの車と違って、ジェット機が優雅に曲がっていくような軌道を描くんですよー。
クーゥッ!!!
十字路で曲がるたびに、周りの車に向かって
「フフン」て目をやります(*ノωノ)。
買ったばかりの頃は、大きなビルの鏡面の正面窓とかに車が映ると、カーブを曲がるときの自分のインプレッサの、まるでCMのような軌道の描き方に見惚れて「笑いが止まりませんでした。」
クラシックカーの風貌は出てきていますが、今でも現役バリバリの、運転手の技能がイマイチなだけに見掛け倒しのスポーティーデザインのお洒落な🚘として(徒歩でも行ける範囲で)私のお供をしている忠実な愛車です。
そういえば、この車を買ったばかりの頃、会社へは自家用車通勤をしていたので、周りの人たちが、結構この車にウケてくれて、同僚(後輩男子)の何人かが、やたらさりげなく助手席に乗って試乗したがっていたのが可笑しかった。
そんな平和な時代が長く続いてほしかったけれど。
私が勤めていた製薬企業ではその頃比較的大きなプロジェクトが始まっていて、わたしはそのプロジェクトの遂行のミッションの一部でまだ頑張っていて、そしてそのプロジェクトが成果を上げて無事終わって、私は上司から別のプロジェクトへの移行を指示されて、40歳を過ぎてもまだキャリアの総仕上げのような勢いで全力で走っていた。そんな時代だった。
Google で検索したら、この車の試乗記事があった。コレ👇
カーセンサー>旬ネタ>スバル インプレッサ BEAMS EDITION(ビームス エディション) 【ちょい乗り試乗】 https://www.carsensor.net/contents/editor/category_849/_3661.html
試乗レポートの最後のレポーターの言葉が面白かった。
「しなやかさの次元がもう少し上がったというか、欧州車っぽいんです。
特に高速道路など、ちょっと車速が上がるとさらにシュルッと走る。
ステアリングに対する車の反応もSTIほどではないけど、十二分にシャープで楽しい。
ちょうどこの1週間前にVWゴルフの1.4Lツインチャージャー版に乗ったのですが、乗り心地はあれに近いかな。
でもゴルフよりは明らかにボディが軽く感じられ、ドライブ感が軽快。
いいもの見つけちゃった!という感じです。
優男ですました顔してるけど、話してみると実はとってもいいヤツだった。そんな感じ。見た目だけでなく魅力的な車ですね。」
Source: https://www.carsensor.net/contents/article_images/_3661/beams_edition_front.jpg
Hi! フレディ!✋(妄想)
それで、フレディ・マーキュリーに助手席に乗ってもらって、カーオーディオで、
"Queen - I Was Born To Love You - 2004" をかけて、
比較的運転が易しい道を走ってあげたいッ!!(妄想)
Source: https://www.carsensor.net/contents/article_images/_3661/beams_edition_seat1.jpg
あぁ、フレディがインプレッサのCMを…。
それも Queen バージョンのアレンジだ。
Source: https://www.carsensor.net/contents/article_images/_3661/beams_edition_meter.jpg
ほっこり( ^ω^)・・・。
やっぱり、キレキレで素敵。
そして…
シツコイヨウダケド。。。
貴重だ( ^ω^)・・・
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