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BLOG 祖母の手記(写し)|「末ちゃん」・「製糸場回想記」

子供の頃のある日、祖母の山梨日日新聞への投稿がその新聞の読者欄に掲載された。畳に広げられたその新聞をのぞき込んで見たことがある。その時、祖母は嬉しそうにしていた。

祖母の手記の中に、その投稿と同じ内容の小旅行について書かれた随筆があった。「この話だ。」
わたしは、そのストーリーを覚えていた。

大人になってその小品を読んだら、祖母が若かった頃に見た光景が浮かんだ。味わい深い文章だ。
その小品ともう一つの祖母の自伝風小品をこの note に写しました。
ご紹介します。

祖母の手記(写し)|
「末ちゃん」・「製糸場回想記」

末ちゃん

思い起こせば今から三十年前ばかりのこと、いつになっても末ちゃんのことは忘れることが出来ない思い出です。

終戦後のことで、家族は大勢、衣食さえ不自由の時代で物資は不足しており何を手に入れるにも大変だった。

戦前は製糸業を営み、大勢の人が毎日通って来たので家業も忙しく主人はよく信州近くの山村へ繭の仕入れに出掛けた。向こうの村人とも顔見知りになり、ある日、向こうで手伝ってくれた娘さんを大変気に入り、縁あって家へ来て手伝ってもらうことになった。

名前は 「末じさん」だが家では 「末ちゃん」 と呼んでいた。
末ちゃんは明るい性格で働きものだったから家族みんなに好かれた。
「お嫁に行くまでうちにいてね」 とお願いしていた。

ところが折悪く末ちゃんのお母さんが馬に足を蹴られて大怪我をしたとの手紙があり、末ちゃんは看病のため早々実家へ帰った。その後お母さんも快方に向かい、末ちゃんもほっとしたとの知らせとともに私に遊びにくるようにとの便りがあった。

私は末ちゃんのお母さんが機織りをしているということを前から聞いていたので、せめてもの手土産にと残り糸をリュックサックにいっぱい詰めて清里まで出掛けて行った。

清里の駅に着いたら雪が舞っており大変寒かった。
末ちゃんの弟が馬を引いて迎えに来てくれた。私は馬に乗って峠を上り下りして樫山の末ちゃんの家に着いたら末ちゃんのお母さんが家の外に立って待っていてくれた。

離れた裏山の谷川の水を竹筒で引き、そこからぼつぼつと流れ落ちる水を手桶にためて遠くから運びお風呂を沸かし、一番先にそのお風呂に入れてくれるあたたかいおもてなしに思わず目頭の熱くなるのを覚えた。

「さあ、今夜はなにをつくろうか。おばあちゃんの好きな自家製のお蕎麦にしようか」「明日はお餅をつこうか」などと何かと気を使ってくれた。
夜はこたつにあたってよもやま話に時間のたつのも忘れて談笑し、
「はて、今何時ごろだろうね」と私が聞くと、末ちゃんのお母さんは、
「時計を修理に出しているので正確にはわからないけど家の雨戸のところへお月さんがあたる頃が十時ごろ、近ごろは日が短くなって・・・」と言う。

何時もせかせかと時間を気にしながら生活している私どもと違って、くったくないこの話につくづくうらやましい思いがした。

山の中なので、お店があるわけではなし、なにもかも山や畑でとれたものを色々工夫して美味しい御馳走をつくって下さった。

やがて、その末ちゃんは村の人に見込まれてお嫁に行った。
ご主人も実直な人で今は大きな牧場を経営しているとか、末ちゃんの幸せを祈りたい。

製糸場回想記

先日外孫に 「おばあちゃんは長いこと苦労して来たんだからこれからは自分の趣味か何かしたい亊をして過ごしたらどう」 と言われてしまいました。

そんなことを急に言われても別に趣味があるわけでなし、したいことも無いのです。

五六年前に亡くなった夫が生前床に臥せているとき私に同じことを言っていたことを思いだし何だか無性に寂しくなりました。

菓子屋の娘として育った私が二十五歳で製糸業を営む夫に嫁いで以来七人の子供を生み育て稼業の製糸場の仕事も身を粉にして手伝ってきました。

生糸の原料になる繭の買い入れ時には家中総出で年とった父母、主人、男衆三四人が皆次々に運び込まれる繭の引き取りにおおわらわでした。
私は帳場に座って繭の貫々を帳面につけたり清算をしたりお金を払ったりして目が回るほどでした。

子供も中学ヘニ人、小学校が三人、チョロチョロ歩きが一人、 一番小さいのがまだ赤んぼで私の乳が出ないのでスリ湯や牛乳を飲ませて毎日を過ごすわけで一番手のかかる頃でした。

この大家族の食事を作り、衣類の洗濯もしなければならず、毎日洗濯板でゴシゴシ洗って干し、夕方になるともう体がクタ久タになる有様でした。

一番小さい赤んぼは夫の三尺でゆわえて柱につなぎ補乳瓶をあてがえばそれを独りでロ元に持っていって飲みながらスヤスヤ眠ってしまうのです。
この姿を見て世間の親達はだっこしておっぱいを飲ませるのにと思うと不憫でなりませんでした。

繭の買い入れが一段落すると直ぐ繭の乾燥が始まります。

夜になると繭の乾燥場で働く人夫に出す夜食を作りお茶を出し、昼間は三十人からの食事を用意するのです。

手が空いたときには買い付けた繭を大きなポテにいっぱい入れて背中に担ぎ乾燥場へ運びました。今振り返ってみますと私だけでなく昔の人はよく働きました。

子供達も自分の布団の上げ下げや食事の後、茶碗や皿を流しに運んで洗ったり、家の中の拭き掃除などは言い付けなくても必ずしたものです。

亡くなった夫は若い頃は川柳や謡いが趣味でよく会合に出掛けましたが商売が忙しくなり疎遠になりました。私も子育てと商売に毎日を追われるように過ごして五十余年の年月が経ったのですが、今になって短歌とか俳句とか何か趣味をもっていればよかったなと思うこともありますが、これから勉強するのも大変です。

最近は昔の童謡や古い流行歌の歌詞を思い出しながらノートに書いて独りで歌ったりしている此の頃です。

- 完 -

祖母の手記(写し)|「末ちゃん」・「製糸場回想記」

このコンテンツの制作者| 滝沢幸穂
更新日:2020/02/26

祖母との思い出|

わたしはピアノは弾けなかったので、家にあったピアノは親類の集まりのときに従妹が来ていてショパンやラフマニノフなどを上手に弾いたりするときにだけ蓋を開けられるような状態でしたが、たまに祖母が、独りきりで人差し指一本で何かの童謡のメロディをポロポロと弾いていたのを思い出します。

ちなみに、従妹の感動的なピアノの名演の後、「つぎは幸穂ちゃんがバイオリンを弾いて」などと言われしかたなく楽器を取り出すと、親戚一同がさりげなくその場からフェードアウトしていった風景が、子供の頃の記憶に残っています。

音楽的な才能というものは、万人に等しく振り分けられるものではないことを、その日知った気がします。

※閑話休題

小さな書き物を書き貯めては山梨日日新聞の読者欄に投稿することが、祖母のひそかな趣味でした。まだ小学校低学年だった私にはわかっていないことでしたし、大人になってから祖母の書き残したものをまとめた私的な小冊子を読んで、「あぁ、そうだったのか。」と知ったのですが、私の小さかった頃、一度だけ、祖母の書き物が山梨日日新聞の読者欄に「見事、採用され」小さな活字で読者欄の小さな一角に掲載され居間の畳に広げられた新聞を、私も横から覗き込んで読んだ記憶があります。

それは、祖母にとってはビッグニュースで余程うれしかったのでしょう。

その内容が、戦前に生糸の製糸工場を営んでいた実家に奉公にやって来ていた若い女性との思い出の話でした。

(新聞に掲載されたのは多分全文ではなく抜粋だったのでしょうけれど)全文を大人になってから読んだのですが、その娘さんは気立てが良く、ずっといてほしかったけれど事情があって清里の実家に帰り、娘さんの家のことが落ち着いたころ、お世話になったということで祖母を清里の家に招待してくれた時の思い出話。

今思うと終戦直後のまさに開拓前夜の清里が舞台です。
(私の限られた想像力でいうと)テレビドラマ「大草原の小さな家」の世界のような広大な大自然の中で、楽しいおもてなしを受けた一夜の思い出話でした。

祖母が、日々どれだけ忙しく仕事をこなしていて、その束の間の休息で、清里の家族が見せてくれた暖かで大らかなゆっくりとした時間が流れる空間と時間を、その時どれほど心に留めたかわかる気がします。

娘さんの兄弟が馬を引いて清里駅まで迎えに来てくれて、駅から馬で峠道を上り下りして娘さんの家まで行ったそうです。

娘さんはその後村の人に気に入られてお嫁に行き、祖母がその思い出話を投稿した(1970年代の)頃には、嫁入り先のご主人は大きな牧場を経営するようになっていたそうです。

祖母が書いた暖かなおもてなしの思い出の地、清里の冬の空気を思い出します。

___________

あとがき|

大昔の話、栃木県の足利地方で銀行を起こした銀行家の息子が、家を出て独立し韮崎市にIターンして移住したのだそうです。

そして、天秤棒を担いで養蚕農家を回って繭を買い集め、繭問屋の商いを始めた。
その話を聞いたのは、だいぶ年を取ってからでしたが聴いたその瞬間、

「えぇっ😍わたしってお金💰のにおいがする?」


ってドキッとしたのでした。
が、その直後に遺伝子的にその銀行家の息子とつながっていないことが判明して、どうでもいいことなのですが、

「やっぱり、わたしってお金のにおいがしない🤣」


って、一瞬の凄く素早い静かな展開で悟ったのでした。

わたしの祖父が(幼かったころ、彼の母である)曽祖母に連れられて、(彼の母の再婚先の)養子として迎え入れられた家で、わたしの(遺伝的にはつながっていないけれど、銀行家の息子で韮崎で商売を始めたという)曽祖父が商いに使っていた天秤棒、何かの取引に使う道具なんでしょう。

使い方はわからないけれど。天秤⚖ってそういう取引に使う正確で公正な道具という意味があります。

化合物を正確に天秤で計るやり方は学校で習って、仕事でもやったことがあるんだけれど、天秤棒の担ぎ方はよくわからない。

今、インターネットのエンタープライズや新技術を使った新たな金融の仕組みが隆興し始めています。
混乱はあると思いますが、それらの新たな仕組みを志のある商売の専門家たちがその矜持をもってスタンダライズしていって、かつてにぎわった街道沿いの宿場町のようなインクルーシブなコミュニティが再び新たなインクルーシブな形で再構築され出来上がるといいなと(ことお金との巡り会わせに関してはペシミスティックなわたしではありますが)なんとなく期待しています。

幼い頃の私の記憶では、実家の曽祖父母の白黒写真が居間の仏壇の近くに飾られていた。その写真でくらいしか知らないけれど、新天地で繭問屋として新事業を始め、その商売を安定軌道に乗せて頑張った人だったんだろうと思う。
遺伝子的には繋がっていないけれど、どうか、
わたしに金運を…。
(半分本気・・・)

実家の(遺伝的に繋がっている)祖父は製糸工場を建てて絹糸の製糸業を自分で始めた人ですが、今でいうとベンチャー?
明治、大正という時代がそうさせたのかもしれないけれど、ベンチャーが多いんです。よくわからないけれど、なんとなく詳しくないなりに。

やっぱ、自分、適性は科学テクノロジー系ベンチャーかなとも思う。
いまさらですが。
ちなみに薬学博士(薬物動態)で製薬企業でのR&D部門での開発プロジェクトがメインのキャリアでしたが、適性はあったのかな。結局。
何の適性が無かったのだろうか。謎は深まるなー。

__________

私が生まれたころには、祖父は工場をたたんでいた。
製糸工場のあった跡地に祖父が建てた(近所の大工さんが建てたのだけれど)古い二階建ての木造住宅で、わたしは育った。
その家の庭を小さなオモチャのシャベルで掘ると、いつも簡単に赤レンガのかけらが出てきた。そんなこともあって私は今でも赤レンガが好きだ。

公園に行きたいとき幼い私は近道をした。正面の玄関の門から道路に出ると、少し回り道になることに気づいていた。
休日公園に行くとき、私は家のドアから出るといつもまっすぐ右手のほうを向いて庭を横切り、庭の突き当りにある小さな工場の裏口の引き戸をそっと開けた。

休日なので、工場の中は明かりが消されて真っ暗だった。日の光の当たる眩しい庭から入ると工場の中にあるものは何も見えなかった。
その室内にはびっしりと黒いプラッテが並んでいて、それぞれのプラッテの上に布カバーをかけた機械らしき塊が設置されていた。

真っ暗な室内で、私は、自分の頭の高さの位置まであるプラッテの間の細い通路越しに、公園へと向かう道路に面した工場の表玄関のドアを探した。

正面扉の上のほうにある曇りガラスの窓からは一筋の太陽光が差し込んでいた。真っ暗闇の中、そこだけが明るかった。

幼い私は、その光の方向に最短距離で走っていくにはどういったルートをとればいいか一瞬考え、そして全速力で、その正面玄関に向かって走っていく。玄関ドアは鍵がかかっていなくて、私でも開けられた。

ドアを開けると顔に太陽の光がさぁっと当たって眩しい。私は、高らかに笑い声をあげ、その近道から公園へと意気揚々と向かったのだ。

遠くのほうで「コラーッ!!」っと、どこかのおじさんの声がした。休日、工場の留守番をしている人だったのだろうと思う。わたしは、その人の姿を一度も見たことがなかった。

庭から裏口の引き戸をそぉっと開け、全速力で玄関まで走って玄関から出るころ、いつも「コラーッ!!」という声がする。
それさえも、私にとっては冒険のスリルのスパイスでしかなかった。

社会人になって仕事の中でルートを探っているとき、私はまったく同じイメージを最初に持つことに気づいた。たった一人で、暗闇の中、遠くはるか向こうのドアの窓越しに見える光をみつけて、そこに向かって最短距離で全力で駆け抜けるイメージ。それは、幼い時のサクセスストーリーの再現だった。

「必ず、成功する。」


誰も取ったことのないルートを私は、自分がたった一人でしかいないことを自覚しながら、まっすぐ躊躇なく走り始める。

まだ若い頃の、全速力でアクセル全開で走っていたころの話。

誰の個性でもない私の個性だと思っていたけれど、きっと、曽祖父母が8人くらい中枢神経系に発現しているからだって、40代後半に思うようになりました。
__________

そして、

なんだか、中島みゆきだけ聴いてる暗いひとみたいになってるけど、フレディ・マーキュリーを聴いているだけ。

だから、まあいい。

Freddie Mercury - Living On My Own (Lyric Video)
via @YouTube Freddie Mercury Solo
https://youtu.be/lgeJWnZnzcQ

Google ( freddie mercury living on my own lyrics 🔍)

アルバム「The ‘Never Boring’ box set」から
1985年のアルバム「Mr. Bad Guy」の9番目の曲ですが、フレディの死後の1993年、「リヴィング・オン・マイ・オウン」のリミックス・ヴァージョンがシングルとして発表され、全英1位を獲得した。フレディのソロナンバーではじめてチャート1位に達した曲。

出典:リヴィング・オン・マイ・オウン 出典: フリー百科事典ウィキペディア Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%BB%E3%82%AA%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%82%A4%E3%83%BB%E3%82%AA%E3%82%A6%E3%83%B3

先進的で前衛的な作曲家が亡くなった後、すごい勢いで再評価が巻き起こるパターン。
コンサートの舞台でのミュージシャン、俳優、パフォーマーとしての印象が劇的で極上だから、それが、100%だと思ってしまうひとが多いと思うけれど、歌詞やメロディの深さがすごく心に沁みる。

今日も、フレディ・マーキュリーの曲を聴いてる…。(爆)

フレディの場合、彼の目の表情に特徴があると思っているのだけれど、サングラスをかけると誰だかわからなくなる。

「フレディ、ねぇ。
サングラスかけてると、
誰かわからない。」(妄想)

(*ノωノ)

Freddie Mercury - Living On My Own (Official Video Remastered)
@YouTube Freddie Mercury Solo
REMASTERED IN 4K!
https://youtu.be/DedaEVIbTkY

動画の冒頭のスカートのシーンはマリリンモンローの主演映画「七年目の浮気(The Seven Year Itch)」(1955年)の有名なシーンをコラージュしたものですね。

Source: 七年目の浮気 フリー百科事典ウィキペディア(Wikipedia)
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Monroe%27s_skirt_blows_up_in_The_Seven_Year_Itch_trailer_1.jpg

マリリン・モンローへのオマージュとも受け取れる。面白いメタファーです。ミュージカル風の群像劇とその群像の倒錯したパッショネートをプロットとした映像のコンセプトは、歌詞にある通りの「孤独」を際立たせるためにのみそこにある。
その孤独とは、フレディ・マーキュリー自身であり彼がオマージュしているマリリン・モンローに象徴されるメタファーにおけるシンボリックな孤独。
役回りのその運命における必然たる孤独のことですが、オーディエンスが聴く時はもっと拡張したイメージを持つ。
そう、群衆の中にいるとき誰もが感じる孤独をテーマとした楽曲なのね。

そして、繰り返し使われるこのフレーズ。

"I don't have no time for no monkey business."

歌詞に出てくる "Monkey Business" は、日本語では、いたずら、わるふざけ、詐欺等の意味を持ちます。
もしかしたら、フレディは、1952年のアメリカ映画(マリリン・モンローが出演している。)である "Monkey Business" を意識したメタファーとして使っているのかもしれない。

見たことのない映画ですが、概要を述べると、医薬品の開発研究がストーリーの主題になっていました。

歌詞が、沁みる。

私のつたない英文法の能力では、ワンセンテンスで否定形が3回続くと翻訳はもう不可能です。私のPCにアドインで入っている Grammarly が、フレディ・マーキュリーの歌詞を直したがっているー。 

でも、沁みる。

Monkey Business (1952 film)
From Wikipedia, the free encyclopedia
https://en.wikipedia.org/wiki/Monkey_Business_(1952_film)

フレディ・マーキュリーは、この Living On My Own の詩(poem)の中で、製薬企業における医薬品開発プロジェクトのプロジェクトマネージャーの孤独を歌っている。(のかもしれない。)

(一々、解説しなくてもわかる?とは思うけど。)

フレディが、彼のもつイメージの中のヒーローのあるべき姿を演じているのはわかる。
オーディエンスに勇気を与えたり、共感して元気になってもらいたくて彼は演じている。
そして、彼の音楽を聴いて勇気づけられるひとは、1991年から遥か時代が過ぎた今でも多くいる。

彼の目論見は大当たりしている。

その彼の音楽を初めて聴きながら、
少しその音楽がわかってきて聴きながら、

「気丈なひとだわ」とも思う。

Freddie Mercury - Living On My Own (1993 Remix Remastered)
via @YouTube Freddie Mercury Solo
Remastered in HD!
https://youtu.be/HTdd8QxifbY

でも、できたら、映像の中でのフレディ・マーキュリー以外の群像には、適度なエフェクトがかかっていたほうがいいね。そのままの映像だと高解像度がきつい。そして本来の意図よりもノイズが上回り意図が伝わりにくい。
ものを見るにはわたしは比較的機能が高い目をしているから「コントロールされていない映像」を見ると視覚と中枢の高次機能を繋ぐ神経に負荷がかかりすぎる。視力が悪くなる。

__________

歌詞が沁みる。。

フレディがブレークスルーを画策しながら、コンセントレーションを高めているところとか、すごく想像する。彼も、そうだったんだろうな、と。
ボトルネックを突破しようとするときの集中の仕方とか。

遠くの窓の向こうに光っているたった一筋の光に向かって最短距離をとりながら、独りで(自分の周りに同じベクトルをもって走っている人が誰もいないことに気づきながら)、それでも全速力でまっすぐ走っていくような、その誰からも理解されないけれどすごく爽快な駆けっこ。その疾走感。
想像する。

He is running lonely,
feeling the sprinting
that only a person with a bird's eye view can do.
Alone.
__________

Living on My Own の録音は色々なバージョンがある。楽しい。
via @YouTube Freddie Mercury Solo
https://www.youtube.com/channel/UCxbkO0haK5H6zhsa_lRcn0A

どれが好き?

Living on My Own (Single Edit)
https://music.youtube.com/watch?v=eTL2G7xyKcw&si=3AVR-eLuUWovXyCK

Living On My Own (No More Brothers Radio Mix)
https://music.youtube.com/watch?v=YgI1hvN9ABc&si=szp-Tl8MQREd3JVt

Living On My Own (2011 Remaster)
2018/06/22
https://youtu.be/bJBBXGZNbM4

すごい、いい!
またね、フレディ。

__________

おまけのトリビア|

フレディ・マーキュリーの初のソロ・アルバム "Mr. Bad Guy" (1985)は当初アルバムタイトル "Made in Heaven" でリリースされる予定だったそうです。リリース直前にフレディがアルバムタイトルを変える気になって、最終的なタイトルは "Mr. Bad Guy" になったとか。

Made in Heaven は、アルバム "Mr. Bad Guy" の2番目の曲。
Freddie Mercury - Made In Heaven (Official Video Remastered)
via @YouTube Freddie Mercury Solo
Remastered in 4K!  in The ‘Never Boring’ box set
https://youtu.be/vBCTasRgFqo

Google ( freddie mercury made in heaven lyrics 🔍)

このイギリス限定でピクチャーディスクとしてリリースされた映像は、David Malletが監督を務め、ロンドン北部の倉庫で撮影され、この撮影専用に、ロイヤルオペラハウスのレプリカが建てられたとのこと。

そしてこの曲はその10年後、1995年、クイーンのアルバム "Made in Heaven" のアルバムタイトルとなる。

Source: Mr.バッド・ガイ フリー百科事典ウィキペディア(Wikipedia) https://ja.wikipedia.org/wiki/Mr.%E3%83%90%E3%83%83%E3%83%89%E3%83%BB%E3%82%AC%E3%82%A4

Made in heaven ってどういう意味?

Google で検索すると
Google ( made in heaven meaning 🔍)
共起表現のフレーズが出てきました。

共起表現:a match (or marriage) made in heaven

意味:a relationship or pairing where each member perfectly complements the other.
翻訳:各メンバーが他のメンバーを完全に補完する関係またはペアリング。

まさにそれは Queen のことかもしれないし、フレディはそれも含めて、彼にだけ見えていたイデアに向かって真っすぐに進む彼の道程の道筋のそこここに存在するすべての因縁に対して、彼の信念の中でフラットに向き合っていたのかもしれないな、と思います。
そしてその工程の中で彼のレガシーが全てオーディエンスを勇気付けハッピーにさせるギフトとなっていることに彼への神様からのギフトを感じます。

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a match made in heaven
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フレディって、意外と
ジャニーズの滝沢秀明くん?
的な側面がある。

(いや、違うかも( ;∀;)、フレディ、ロックンローラーだから。
言ってみたかっただけ…。
今、イギリス全土を敵に回していないか?
だいじょぶ?)

ちなみに、滝沢秀明くん(タッキー)は、現ジャニーズ事務所副社長(2019年9月27日就任)で、傘下のジャニーズアイランド社長を兼任しているらしい。

優しげで儚げ、繊細でナイーブそう、大雑把で一本気、
セクシーなシンガーで演技派俳優、
センターにいるのが相応しい。華があるね。
そして?

ふぅーん、プロデュースもできる。
結構芯が強い人なんだね。チームの指揮をとれる。

へぇー。引退して、裏方に回るんだ。
若いのにもったいない。37歳?地味な仕事なんてしたいの?

大手芸能事務所の「副社長就任」?
子会社の社長も兼任?

地味じゃないねー。

事務所に所属するタレントが事務所をやめるって?
「はぁ~(*´Д`)」大変だろう。

コーポレートガバナンスにおける人事って、こうした側面があって、
タッキーの優しげで儚げ、繊細でナイーブそうなところ、そして生真面目にチームのモラールの高揚を統率できる才能を、事務所の経営陣や人事が、マイナスのプロフィールとしてではなく、コーポレートガバナンスに適性があるコンピテンシーの一部として見ているんだよね。

メディアでパブリックになっている数少ない経営戦略。
こうしたことが垣間見えることが日本にとって救いだと思う。
慈悲深さとモラルは統治に必要不可欠なコンピテンシーです。

滝沢秀明くんのそばで彼のパフォーマンスを維持できる経営スタッフがいて彼を守ってくれることを願ってる。
まぁ、芸能事務所は(関心がないし)、日本のガバナンスにはそんなに関連しない気はするけれど。

「ガオー」とか怖い顔で吠えて威嚇していれば、マフィアのボスになっていられる。本当にそう思う?
スケープゴートを立てて、見せしめにみんなの前でボコボコにしてやれば、周りの人たちが自分に阿ってついてくる?
忖度が出世の早道?

日本には、「美丈夫」っていう言葉があります。
美しさって、立派さとか強さとかと混然一体の概念なのです。

タッキーのプロフィールに詳しいわけではないけれど、たぶん、彼は、日本の言葉で言うと「美丈夫」。
例えると日本刀かな。美しさとしなやかさと強さが機能的に統合されてデザインされている。
そういう人をみつけて、守って、一番上に置くんです。
それが、日本にとって人々へ最大の恵みをもたらす最適な仕組みだからです。美しい日本を百鬼夜行の国にしてはいけない。

"Made in Heaven"

経営陣に不満を持つ(?)有名タレントがジャニーズ事務所を「退所」するらしい。芸能事務所の経営側・プロデューサー専任の立場に立ったら、つらいことや悩むことが多くて大変だろうと思う。

統治者の要件のひとつであるコンピテンシーとしての慈悲深さとモラルが、表面上の表現型では見かけの様子や仕草として「優しげで儚げ、繊細でナイーブで大雑把で一本気、かつセクシー」に見えることは、よくあること。

人間を観察することが趣味になるほど好きなひとだったら違いが判る程度で、その違いがよくわからない人は多い。

大抵の人は、歯をむき出して顔を威嚇的にゆがめて「ガオー」って言えば、「へへぇー、仰せの通りー。その代わり…」って、首を垂れて手を伸ばすしぐさを反射的に取る。
そうやって生き残り戦略をとるべきレイヤーの人たちは、そうすればいい。

役回りと運命は、あるから。自分で理解できていればいい。
みんな違って、みんな、いい。

「タッキー、頑張ってね!応援してる♡」

着実なキャリアを歩んでいる。健康で元気なのが一番ですね。
(実はアイドルってよくわかりません。)

ブリティッシュロック界の、
タッキー。
(まだ、言っている。。)

__________

ていうか、Made in Heaven の映像でのフレディ、たぶん阿修羅(असुर、asura|ヴェーダ文献においてアスラの長ヴァルナとミトラ、ゾロアスター教のアフラ・マズダーとミスラに対応)に近い概念を映像化したデザインの扮装をしているのだろうけれど、まるで、

地蔵菩薩みたいだな。

地蔵十王図 静嘉堂文庫(高麗時代) パブリックドメイン

画像1

Source: https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Ksitigarbha_with_the_Ten_Kings_of_Hell_(Seikado_Bunko_Art_Museum).jpg

地蔵菩薩(じぞうぼさつ)は、仏教の信仰対象である菩薩の一尊。
サンスクリット語ではクシティガルバ(क्षितिघर्भ [Kṣitigarbha])

クシティは「大地」、ガルバは「胎内」「子宮」の意味で、意訳して「地蔵」としている。

釈迦の入滅後、5億7600万年後か56億7000万年後に弥勒菩薩が出現するまでの間、現世に仏が不在となってしまう為、その間、六道すべての世界(地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅道・人道・天道)に現れて衆生を救う菩薩であるとされる (六道能化|ろくどうのうげ)。

Source: 地蔵菩薩 フリー百科事典ウィキペディア Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%B0%E8%94%B5%E8%8F%A9%E8%96%A9

地蔵菩薩、定期的な見回りの際に、血の池地獄の地獄池のふちにいらっしゃって、「みなさん、(湯加減は)いかが?」って、多少、地獄池の中のもがいている人たちのことを気にしてくださる、あの菩薩様です。六道絵に描かれている。

__________

蜘蛛の糸

芥川龍之介|青空文庫

(…中略...)

後にはただ極楽の蜘蛛の糸が、きらきらと細く光りながら、月も星もない空の中途に、短く垂れているばかりでございます。

御釈迦様(おしゃかさま)は極楽の蓮池(はすいけ)のふちに立って、この一部始終(しじゅう)をじっと見ていらっしゃいましたが、やがて、カンダタが血の池の底へ石のように沈んでしまいますと、悲しそうな御顔をなさりながら、またぶらぶら御歩きになり始めました。

自分ばかり地獄からぬけ出そうとする、カンダタの無慈悲な心が、そうしてその心相当な罰をうけて、元の地獄へ落ちてしまったのが、御釈迦様の御目から見ると、浅間しく思召されたのでございましょう。

しかし極楽の蓮池の蓮は、少しもそんな事には頓着(とんじゃく)致しません。

その玉のような白い花は、御釈迦様の御足(おみあし)のまわりに、ゆらゆら萼(うてな)を動かして、

そのまん中にある金色の蕊(ずい)からは、何とも云えない好(よ)い匂が、

絶間(たえま)なくあたりへ溢(あふ)れて居ります。

極楽ももう午(ひる)に近くなったのでございましょう。


Source: 蜘蛛の糸 芥川龍之介|青空文庫
https://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/92_14545.html

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