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コロナ禍転じて福となす社会へ。「自粛・密避け」とは1人1人の「体を尊重」し「心でつながる」時代へのトレーニング【Part1】


 誰が決めたのか【コロナ禍(か)】という呼び方が公に使われ始めた時、絶妙な言葉センスだと感心したものだ。偶然かもしれないが、コロナに続く言葉が「流行」「被害」「厄災(やくさい)」などではなかったことには意義深いものがある。なぜなら「禍」の字というのは、古くから「禍(わざわい)転じて福となす」ということわざに使われてきたものだから。
 ただし、世界中に50万人を数える犠牲者と、今なお生死をさまよう入院患者がおられ、緊急事態宣言は解除されたものの「もっと厳しいかもしれない第2波」の予測が出ている現時点では、まだ「福」という言葉を持ち出すのは、不謹慎で時期尚早かもしれない。

 とはいえ、新型コロナウイルス(COVID-19)が世界共通の話題に躍り出た今年1月後半からのわずか4カ月ほどの間に、この世界に起こった変化をつぶさに見ていくと、少なからぬ貴い人命と、経済的な痛みと引きかえではあるけれど、すでに「福音(ふくいん)=良い知らせ」と言える現象が、社会のあらゆるレベルで起こり始めている。まさに「福禍は、あざなえる縄のごとし」と言うように。

 その福音と言える現象の中身については、4月初めの記事『新型コロナウイルスをキッカケに人類の「行動修正」と「価値観の正常化」が始まりつつある!』にも詳しく書いたように、「コロナ感染対策」を理由として、個人生活と社会環境の両方が、「人が本来そうあるべき、自然で健康的な方向」へと、急スピードで「軌道修正」させられる結果となっているのだ。

 確かにコロナ禍そのものは、人命や経済に対して被害をもたらしている。けれども、コロナウイルスに対して世界中が取った「感染対策」が、当初の目的以外の様々な〝成果〟をもたらし続けていることもまた、動かせない事実なのだ。

 そこで今回は、次の3つのポイントについてお伝えしたい。

①様々な活動の「自粛」をはじめとする「コロナ感染対策」が社会にもたらした【8つの成果】。

②実は現在の「コロナ禍」が、過去2千年余り続いた人類全体の価値観と生き方の「弊害」を清算し、より快適に生きられる方向への進化を促す「自浄作用」として起こっていること。

③その結果、すでに始まりつつある【アフターコロナ】の時代はどんな価値観が主流になるのかというビジョン。

 まずは、①の【8つの成果】について、経済・健康・価値観の変容という3つの分野にわたって指摘していこう。

【成果1】世界中の「無戦争状態」の実現

 そもそも現代人は「目に見えないものへの対応」が苦手である。新型ウイルスという、人が移動するだけで知らぬ間に散り広がっていく得体の知れないものへの対応に追われて、世界中の権力者が戦争どころではなくなり、あらゆる紛争が棚上げ状態となった。

 それでも「これは、ウイルスとの戦争だ」という好戦的なたとえを使ったのは米国の首脳たちだが、そのたとえを借りるなら、「兵士」である国民たちに課せられた任務は「自宅で健康的に過ごすこと」という、この上なく「平和的」な行為にすり替わったわけだ。
 これまでの兵士たちが、家族と引き離されて遠方へ送り出され、自分自身が凶器となり殺し合いをせねばならなかった歴史とは、何という真逆の違いだろう。

【成果2】個人の身を守ることが全体の利益となる社会へ

 上記の逆転現象には、歴史的に大きな意味がある。これまでの世界では、国家や企業など、所属する集団の利益のために、個人の命や健康が犠牲になることが少なくなかった。

 言うまでもなく戦争はその最たるものだし、戦争に直接参加しない平和状態が続いていた日本でも、企業の飽くなき利益追求のために、従業員が私生活を犠牲にして働かざるを得ない「ブラック企業」が全体の7割近くを占めていたといわれる。(2016年労働基準監督署に寄せられた相談件数からの推計)
 たとえ体調が悪くても、ノルマを終えられなければ「周りに迷惑をかけられない」と、風邪薬や痛み止めを飲んで出勤するのは当たり前で、その果てにあるのが痛ましい「過労死」だった。

 ところがコロナ禍が始まってからというもの、感染を広げないためには「まず自分が感染しないこと」が強く求められるようになった。つまり、「自分の健康を守ること」が、所属している集団全体の利益と矛盾なく一致することになったというわけ。これは、世の中の価値観の逆転とも言える大きな変化なのだ。

 万一感染したら、他の人達へ広げないために「みだりに出歩かないこと」が肝心だが、何しろ潜伏期間が長い上に、検査体制が手薄なため、なかなか感染の有無を特定するのが難しい。そのため、少しでも体調が悪ければ、念のために「会社を休んで静養しろ」と命じられるようになった。そのお蔭で会社員たちにとっては、コロナとは無関係の体調不良の時にも、遠慮なく休みを取れる空気に変わったのだ。

 これは特に、女性にとって福音だと言える。なぜなら、およそ半数の女性がふだんから月経痛の症状を抱えているのに対して、企業が定めている「生理休暇」を実際に取得する女性は、わずか1%にも満たないというのだから。(2017年厚生労働省調べ)

 あっても取得しないのには、ほぼ共通の理由がある。生理休暇が有給扱いになる企業が少ないことや、会社の人に生理だと知られたくないから、どうしても辛い時は普通の有給で休むという人もいる一方で、実はかなり辛くても休まない人が普通かもしれない。
 なぜなら、病気でもないのに休むのは気が引けるし、何より「仕事におくれを取りたくない」。だから、痛み止めを飲んで苦痛を紛らわしながら、休まず会社へ行く女性が多かったのだ。

 より効率よく、多くの仕事をさばいて利益を上げることが求められる社会では、毎月の生理や数ヵ月に及ぶ妊娠出産など「体を休めた方がいい時期」が度々訪れる女性にとっては、それらが男性におくれを取る「ハンデ」だと思えてしまっていた。
 それが今は、体調が良くなければ「無理せず休む」ことが奨励されるようになったのだから、心身共にラクになった女性は多いはずだ。女性の体にとって優しい社会になれば、男性の体にとっても無理がなく、健康的であることは間違いない。

 どうやら私たちの住む社会は、コロナ感染対策を通じて「企業の利益追求より、個人の命と健康が優先される社会」へと切り替わったのだと言える。これはつまり、17世紀の産業革命の頃から何百年も続いてきた、文明国の「経済効率至上主義」が終息しつつあることを意味している。
それは同時に、集団の利益のために自分を犠牲にすることが美徳とされた「滅私奉公の時代」の終息でもある。

 私たちはこれまで、つい自分の体をおろそかに扱いがちではなかったろうか?
 なぜなら、所属する集団(職場や地域社会、サークルなど)の都合に合わせて、自分を後回しにするクセがつけられてきたから。
 日本人の死亡原因の第1位は「ガン」となって久しいけれど、この病にかかるメンタルな要因として、「言いたい事をガマンして、無理を重ねた人」が発症しやすいと言われている。
 その意味では、「個人の健康優先」という現在の変化が定着すれば、日本人のガン発症率も改善されていくのではないかと期待している。

【成果3】経済活動の自粛により、世界中で自然環境が回復

 都市封鎖(ロックダウン)などの外出制限や自粛(ステイホーム)が実行された世界中の都市で、長年汚れていた「水」と「空気」が見違えるようにキレイになるという変化がくっきり現れた。

 例えば、イタリアはヴェネツィアの街を縦横に走る運河の濁りきった水が、ロックダウン開始後わずか1ヵ月で見事に透明になり、魚の群れや白鳥が泳ぐようになったという報告画像は鮮烈だった。

202004ヴェネツィア魚の群れ

 同じように、日本はもちろん世界各地で、都会に野生の動物がひょっこり姿を見せるようになった目撃情報のほか、海の水が美しくなった、空気が澄んで星がよく見えるようになったなどの変化に多くの人が気づいたはずだ。
 つまりは「人類が経済活動を自粛すれば、自然環境が回復する」という関係性が、あまりにもわかりやすく証明されたことになる。

 また、石油や石炭などの地下を穴だらけにする化石燃料は、これまでのペースで大量に掘っても余ることが明らかになったため、OPEC(石油輸出国機構)は史上初めて、全ての加盟国が足並み揃えて石油の1割減産を取り決めてくれた。何しろ、世界的な金もうけの代名詞だった石油でさえ、自粛期間中の相場価格が、史上まれにみる「マイナス」にまで一時的に大暴落する珍事が起こったのだから。つまり、石油は「もう要らないもの」というメッセージが、市場に一瞬でも発信されたのだと言える。

 さらにアメリカでは、自粛効果で石炭による火力発電量が激減した結果、今年の全発電量の中で、初めて太陽光や風力などの再生エネルギーの量が2割を超えて、石炭を上回る見通しとなったそうな。

 いやはや、あんなに20世紀から「このままでは自然破壊は食い止められず、手遅れになる!」と多くの科学者に警告されても、人類は自然界の自浄機能をはるかに超えた経済活動の拡大を、自ら止めることができなかったというのに。それが新型コロナという「未知の病への恐怖」を動機として、世界中が一斉にブレーキを踏むことができた。
 「やれば、できるじゃないか!」とは、このことだ。

 この成果の意味するところは、限りなく大きい。というのは、これまでの社会では、「人間の快適な暮らし」の追求のために、自然環境が破壊され続けるという苦々しい実態があった。
 つまり、人類と自然界は長い間「敵対関係」に陥っていたのである。
 ところがコロナ禍によって、それこそ何百年ぶりかで「人間の暮らしを守ること」が「自然環境を守ること」と一致する結果となった。これは人類の歴史にとって、重要な転換点であることに気づかねばならない。

 それなのに、せっかく回復した自然環境の美化レベルが、自粛が解除されたら逆戻りになるのでは、あまりにもったいない。ここでさらに気づかなければならないのは、経済活動の数字だけを見て「減ったから、回復させなくては」とする考え方が、すでに古い時代のものだということ。
 コロナ以前に戻そうとするのではなく、むしろ自粛期間中に縮小された状態の経済規模を「これからのスタンダード」にしてもいいぐらいに、意識を切り替える時が来ているのではないだろうか?

 長い間、文明国では、GNP(国民総生産)などの経済規模の数字を「右肩上がりに増やし続けなければならない」という思い込みに縛られていた。けれども、「増える」の一方向しか許されない活動というのは、命あるものにとっては不自然だということにお気づきだろうか? なぜなら、私たちの体も、自然界も、「足りないものは増やし、余っているものは減らす」という両方向の自己調節作用によって、快適な状態が保たれているのだから。

 ただし、増やし続けねばならない方向に追い込まれる背景として考慮したいのが、「現代のお金の仕組みの欠陥」。つまり、お金の貸し借りに必ず利子が発生して、実質の価値とは無関係に金額が増え続けるということ。それが無茶な利益追求と自然破壊につながってきたのだから、今後は数字の帳尻合わせは放棄してでも、お金の仕組みを「価値の交換手段」という原点に戻し、大胆に設計し直す必要があるのではないか。

 そこには、政府が国民全員一律の「10万円給付金」の支給を決めた時にも話題になった、それを毎月継続する「ベイシック・インカム」制度の導入も含めるといいだろう。期限内に使わなければリセットされる、つまり「その時に必要なかった分は無効になる」というルールを組み込んで。
「そのお金は、どこから出るんだ?」という反論もよく聞くが、実はこれを電子マネーで支給するなら財源は要らないのだと語る専門家もいる。

 経済活動に「増やし過ぎたら、減らす」という動きを加えることによって初めて、人にとっても、自然界にとっても、「快適レベル」を維持することが可能になるのだ。
 そして、自粛開始以来のこの4ヵ月間に、多くの人が「減らすことによって、快適になる」という状態を、色々な場面で体験しているのではないかと思う。

【成果4】公共のあらゆる場面での「大混雑」の解消

 何より「減らすことによって、快適になった」例の筆頭と言えるのが、「人が集まる密度」を減らしたことによる、快適空間の出現だろう。
 つまり、厚生労働省が示した、感染防止のために避けるべき「三つの密=密閉・密集・密接」の一つ、「多数が集まる密集場所」を作らないよう、あらゆる組織が努力を始めたからだ。そしてこれもまた、社会の価値観の大逆転と言える現象なのだ。

 これまで私たちの世界では、人が「頭数」「物量」として扱われる時代が、はるか昔から長く続いてきた。
 それはひと言でいえば「人間も、金品も、より多くの数を集めること」が至上命令だった時代だと言える。
 特にこの傾向は、20世紀に、より大規模な経済成長を叶える「大量生産・大量消費」のシステムが確立してから加速度を増し、さらに21世紀に入って「グローバル経済政策」が推し進められるようになったことで、いっそう拍車がかかっていた。

 2010年代が進むにつれて、テーマパークなどの娯楽施設をはじめ、ファッションビルや飲食店街、都会の駅や空港はもちろん、全国のそんなにメジャーではない観光地に至るまで、どこへ出かけても混雑しているのが当たり前のような状況に、“なんでこんなに大勢の人が集まってるんだ?!”──と不思議に感じていた人は多いはずだ。

 実のところ、これまでの社会の価値観では、商業施設やイベントの運営者にとって、「どれだけの人数を集めたか」が、その活動の成否を測る第1の物差しだったと言える。
 つまり、より効率よく、多くの利益を上げるためには、限られた空間に、極限まで大勢の人を詰め込むことも、決して「悪いこと」ではなかったのだ。だから、乗車率200%超えの超満員でも電車は乗客を運び、フロアが超満席となる娯楽施設は、それが「人気の証」として誇らしげでさえあった。

 頭数の1人と化したお客たちは、本当は感じているはずの「不快」を噛み殺して、「みんなもガマンしているのだから仕方がないこと」と思ってあきらめていた。
 ところがその、人が密集している状態こそが「ウイルス感染の原因」と特定されたお蔭で、まず大規模イベントから自粛が始まり、あらゆる商業施設が「人を集め過ぎないこと」を求められるようになった。

 同時に多くの企業が、従業員が混雑した電車に乗らずに済むよう、「テレワーク」や「分散出勤」を始めたお蔭で、本当に首都圏でも、あらゆる電車が在来線・新幹線含めて、みんなが座れる居心地よい状況に一変した。これこそが、本来あるべきサービスの姿なのだと感じられた。
 特に「緊急事態宣言」期間中の交通機関では、本当に広々と空間を使えて、たとえるなら「エコノミークラスの料金でファーストクラスに乗るような快適さ」が味わえたと言える。

 つまり、大勢の人が一斉に同じ方向に移動する機会を減らし、外出を自分にとって「必要・緊急」なものに絞り込めば、街はもっと快適な空間になるのだと証明されたことになる。

 ちなみにテレワークも分散出勤も、「都会の通勤ラッシュを解消するための方法」として、すでに20世紀から専門家たちが提案していたものだ。理屈ではわかっていて、それを可能にする技術も今や整っていたのに、いっこうに実行される気配が見えなかったものが、「コロナを理由に」一挙に実現したのだから、ケガの功名と言うほかない。

 さらに言えば、これまで社会問題にもなっていた、病院の外来受診での「2時間待ちが当たり前」といった慢性的な大混雑が解消したのも、良い変化に違いない。これも「病院内でのコロナ感染の危険性」が警告されたために、あまり緊急性が高くない「安心したいための受診」を多くの人が自粛するようになったお蔭だろう。

 その代わりに「オンライン診療」を導入する病院が増え始めたお蔭で、逆に今まで病院に行きづらかった人にとっては敷居が低くなったと言える。
 例えば、これまでは医師の診察を受けて処方してもらわなければ手に入らなかった「緊急避妊薬(モーニングアフターピル。性交後でも72時間以内に飲めば確実に避妊できる)」が、初診でもオンライン診療を受けるだけで自宅に届けてもらえるサービスが始まったのは、特にレイプやDVの被害者にとっては救いになるニュースだった。

【成果5】国民全体の「健康意識」が向上

 新型コロナに効く特効薬はまだ無く、病院にも緊急時以外はかかれない。となると、感染予防はもちろん、たとえ感染しても重症化させないための最善の道として、とにかく「免疫力を上げること」というのが〝国民的合言葉〟となった感がある。
 このため、以前は変わり者に見られがちだった、「なるべく病院や薬に頼らず、多少の風邪や発熱も自分の免疫力で治す」主義の「健康オタク」と呼ばれていたような人たちの健康常識が、またたく間に一般常識として共有されるようになった。

 今や日本人は子供から大人まで「正しい手洗い」を身につけて、外出の度に求められるアルコール消毒をいとわず、飛沫を飛ばさないためのマスク着用と、「密閉空間」を避けるための小まめな換気を心がける、〝衛生対策の優等生〟と化した。
 その影響で、今年のインフルエンザ患者数が、昨年の4割も減ったという〝副次的効果〟については、4月初めの記事でもお伝えした通り。

 優等生になったと言えば、あらゆる店舗の営業時間の短縮傾向は、緊急事態宣言が解除された後も、ゆるやかに続いている。
 1つ極端な例を挙げると、4月の初め頃、東京都内の居酒屋などアルコールを提供する飲食店に対して、〝夜はこれから〟という始まりの時刻である19時に営業終了するなら店を開いてもいい」と都から要請が出たのは、まるで冗談のようだった。
 あたかもウイルスが〝風紀委員〟になったかのようだが、考えてみればバブル以前の日本では、地域の商店街やデパートは19時頃には店を閉めていたことを思い出す。
 それが会社帰りの消費者にとっての便利さと、商売のチャンスを拡大したい販売者のニーズが一致して、街はどんどん宵っぱりになっていった。

 見方を変えればこれは、夜型に偏り過ぎていた現代人の生活リズムを、自然のリズムへ近づけ直すチャンスなのかもしれない。
 その気になれば早寝早起きが実行しやすい環境となり、実際、日用品が品薄だった時期には、スーパーなどの買い物へ朝早く出かける人が増えた。

 その代わりに「運動不足になりがち」「コロナ太りした」という指摘もあるが、その点は個人差が出る部分で、逆にこれまでは忙しくて通えなかったヨガやエクササイズのレッスンがオンラインで提供されるようになったお蔭で「体が引き締まった」と言う人もいる。
 いずれにせよ「自分の健康を自己管理する習慣」が、生きる常識として当たり前のこととなりつつあると言える。

(※続編に続く。この後、話はさらなる核心へ。世界の価値観を塗り替えるコロナ禍の歴史的意義について解き明かします。)


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