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私とスポーツ①

ただただ、自分のことを話します。オチはありません。


小さな頃から体を動かすことが大好きで運動神経も良いほうでした。

家の目の前にある大きな公園で様々な遊びをして、野生児のように育ちました。その公園にあるアスレチックやチューブスライダーでよく遊んだし、木登りして木の実も食べたし、秘密基地も作ったし、本当に色んな遊びができたけど、やっぱりボール遊びが好きでした。週末はよくお父さんとキャッチボールをして、1人でも壁当てをしまくりました。とある日、地域の野球少年団が活動している広場のとなりのスペースでお父さんがキャッチャー、私がピッチャーで、ガンガンにボールを投げていました。その姿を見た少年団のコーチがわざわざこちらに来て、私のことをスカウトしてきたことがありました。野球は好きだけど、男の子の中に1人は嫌だと断った記憶があります。

小3の時、新しく赴任してきた担任がミニバスのコーチでした。体育で私が男の子とバチバチにドッジボールをするのを見て、そこから1週間ずっと放課後に呼び出され、入団交渉をされました。ミニバスに入ったら、髪を短く切らなきゃいけないから嫌だと断りました。当時私は髪の毛がとんでもなく長く、お母さんにそんな長いとうんちがついちゃうよと言われていたほど。髪の毛が長いことにこだわっていたのではなくて、髪を切ることによる自分の変化が怖かったんだと思います。髪を切ったらみんなに馬鹿にされると思っていて、別に髪を切らなくても良いよと言われたけど、それはそれで今度はみんなと違うから目立ってしまう。バスケは決して嫌いじゃないし、そのコーチのしつこさから本気度が伝わったし、どうやら私は才能があるらしかった(笑)が、髪の毛問題でとにかく断ってしまった。謎の理由すぎて先生はとても悲しそうだったのを覚えています。

スポーツはなんでもできたけど、1人で遊んだり、友達と遊んだりするので十分でした。ただなんとなくサッカーは1番好きだった気がします。もちろん公園やマンションで壁当てしまくったし、うるさいとよく近所の人に怒られました。そんな私を見て、小学校5年生の頃にお母さんがなでしこJAPANの試合に連れていってくれました。チャイニーズタイペイかベトナム相手に10-0くらいで勝った試合を見て、私もこんな風になりたいと思ったけれど、サッカーをやるには男の子の中に1人で入らなきゃいけないのが死ぬほど嫌でした。少年団は上手い子がたくさんいたし、いじめっ子もいたし、そんなとこに入ったら絶対バカにされちゃうから。そこから女子のクラブチームや女子サッカー部がある中学校を探したけど、探し方も悪くて見つからず。ある日お父さんがたまたま読んでいた地元の新聞に社会人女子サッカーチームの紹介があって、それをネットで検索して、掲示板で代表者とやり取りをして、その後見学に行きました。中学生から社会人対象のチームで、中学生からしか試合に出れないと言われたけど、どうせすぐには試合に出れないし、練習だけでも十分だったから、小学5年生で受け入れてもらいました。それが小学5年生の10月、私とサッカーの出会いでございます。

中学生になって、部活をどうするか悩んでいました。サッカーはその時確か金夜と土日のどちらかの週2の活動しかなかったから、それだけだと物足りない。本当はサッカー部に入るのがいいんだろうけど、男の中に1人はやっぱり嫌でした。最初ソフトボール部に入ろうと思っていて、体験にも行ってめちゃめちゃ楽しかったけど、試合や大会が毎週土日に入ってくるから両立が難しい。サッカーは絶対休めないし、そんなスタンスだと仲間にも迷惑をかけてしまいそうだったから、諦めました。結局あまり乗り気じゃない陸上部に。陸上なら体力つきそうだし、個人競技だし、大会もたまの土日しか入ってこないからという理由で。後日談だけど、ソフトボール部の顧問が、あの子が入っていたら強くなってたのになと嘆いていたらしい。どうやら今まで色んな指導者をがっかりさせているような感じでした。

そんな理由で入った陸上部だから最初はめちゃくちゃつまらなかった。運動神経には自信があったけど、ボールやラケットなど物を扱うのが得意なだけで、身体能力が高いわけではないし、足は全然速くなかったし、ただ走るだけは苦痛でした。陸上の何が楽しいんだろうといつも疑問だったけど、夏らへんにやっと陸上はただ走るだけじゃない種目があることに気づきました。その中でも幅跳びがめちゃくちゃ楽しいことに気づいて、好きな先輩もいたし、同学年の仲良し2人も一緒だったし、そのおかげもあって部活が一気につまらないものから楽しいものに変わりました。サッカー行くのが嫌になる時もあったほど。比較的自由な部活だったから、幅跳び以外にも色んな競技をやりました。高跳びもおもしろかったし、四種競技に出たこともあるけど、200mはまじできつかった。ハードルは今でも上手に出来ない。砲丸投げは全然飛ばない。(笑)仲間がいれば、冬のきつい走り込みも楽しいと思えたから、結局スポーツやどんなことも誰とやるかなのかもしれないと思います。

充実した陸上部での日々に比べて、サッカーは暗黒の時期でした。なんでだったのか全部は思い出せないけれど、とにかく本気で辞めようと思っていました。好きで始めたサッカーなのに、なんで嫌な思いをするために練習に行っているんだろうと思ったことだけは鮮明に覚えています。監督がとにかく怒る人で、キレたらマーカーやコーンやボールを蹴る人でした。よくビンタもされました。私は1番年下だし、1番下手だったから、とにかく怒られないようにプレーをすることに必死でした。怒られるきっかけを作りたくないから、そもそもボールをもらえないような動きをしたり、ボールをもらってから相手に奪われたら怒られるから、そもそもコントロールミスでボールを失うようにしたり、今思うと笑っちゃう謎プレーを連発していました。そんなんだからリフティングやドリブルなどのテクニック練習をひたすらやることには心が落ち着いたのは覚えています。それで怒られることはないし、自分の世界に入り、自分の思い通りにボールを操れることは楽しかった。あと仲間にはすごく恵まれてました。大人や高校生はかわいがってくれたし、中学生も何人かいたけどみんな良い子達だったから、それだけが支えでした。


結構長くなりそうなので、今回はここまでにしておきます。

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