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【旅行記】サマルカンドの歩き方 - 時代の変わり目をウズベキスタンで迎えてみた(その6)

2019年のゴールデンウィーク、平成と令和の変わり目に最近注目のシルクロードの国、ウズベキスタンを訪ねた旅行記です。
シルクロードと芸能人気分に浸れる街、「イスラーム世界の宝石」サマルカンド。

■ 旅程

4/26 成田→韓国→北京
4/27 北京→アルマトイ→★タシケント→★サマルカンド 
4/27 サマルカンド→★ブハラ ←今ここ
4/28 ブハラ
4/29 ブハラ→夜行列車でウルゲンチ
4/30 ウルゲンチ→★ヒヴァ
5/1  ★ヒヴァ→タシケント
5/2  タシケント→アルマトイ→北京
5/3  北京→仁川→成田
(★:主要都市)

■ 悠久の響きサマルカンド

ウズベキスタンがどこにあるかわかっていない人でも、
「サマルカンド」という街の名前を聞いたことがあるのではないだろうか。

サマルカンドはかつてマラカンダと呼ばれ、紀元前10世紀ごろから栄えてきたオアシス都市。紀元前4世紀に当地を遠征したアレクサンドロス大王がこの地の美しさを称えたもいわれる。

13世紀にモンゴル帝国の侵略を受けて破壊されるも、英雄ティムールの治世にさらなる発展を遂げ、現在にも往時の栄光を伝える。2001年に「サマルカンド‐文化交差路」として世界遺産に登録された、中央アジアを代表するシルクロードの遺産である。

「イスラーム世界の宝石」とも呼ばれるこの土地では、文化交差路の名にふさわしくいろいろな景色や人との出会いがあった。

■ 青の都の深奥:シャーヒズィンダ廟群

サマルカンドは都市部こそ広いが、大きな見どころは街の東側にまとまっている。街の東端にアフラシャブの丘という小高い丘があり、そこに位置するのがサマルカンド随一の名所、シャーヒズィンダ廟群だ。

11世紀から19世紀まで、建造時期のバラバラな20ほどの霊廟が列をなして並ぶ。狭い通路の両側に、サマルカンド・ブルーと称される鮮やかな青色のタイルが織りなす景色に圧倒される。

廟の内部。壁や天井の装飾が美しい

■ プロジェクションマッピングに酔いしれる:レギスタン広場

同じく街の主要な見どころが、シャーヒズィンダ廟群の南西、街の中心部に近いエリアに位置するレギスタン広場。シャーヒズィンダ廟群から主要街路のタシケント通りをまっすぐ進んでいくと徒歩15分ほどで到着する。

レギスタン広場に着いた人はまず、広場を取り囲む建物の偉容に圧倒されるだろう。抜けるように青いタイルに彩られた、玉ねぎ状の屋根が特徴的なメドレセ(神学校)が3つ、大通り以外の広場の辺に面している。

3つのメドレセは似ているようでそれぞれ異なるモチーフが描かれていて、とにかく予想以上に大きく、内部も広い。

広場を構成するメドレセ

決して見逃してはいけないのが、夜行われるイルミネーション・ショーだ。
広大な広場を贅沢に使って音と映像(プロジェクションマッピング)によるストーリー仕立てのショーが行われる。

中央アジアという非日常に、圧倒的迫力の映像美の素晴らしさは筆舌に尽くしがたい。満員の人垣ができてしまうので、早めにスケジュールを確認して良い場所を確保しよう。

ライトアップとショーの様子

■ グーリ・アミール廟その他の見どころ

街の中央部には当地の英雄アミール・ティムールやその一族が眠るグーリ・アミール廟がある。他の史跡と同様青が美しい壮麗な建物だが、墓所ということもあってなんとなく厳かな雰囲気が漂う。

ちなみにティムールはサマルカンド郊外のシャフリサーブス出身で、同地の史跡も世界遺産に登録されている(今回は行く機会がなかった)。

ティムール肖像画

そのほか、巨大な市場(バザール)「シヨブ・バザール」や中央アジア最大級のモスク「ビビハニム・モスク」などもシャーヒズィンダ廟群とレギスタン広場の間にあり、コンパクトに見どころを楽しめる。

シヨブ・バザール

ビビハニム・モスク(両替前だったので入れなかった)

■ いたるところ日本人

最近日本人の間でウズベキスタン人気が高まっているという話は以前書いたが、前評判通りどの都市に行っても日本人旅行客が多かった。

サマルカンドの宿では、なんと宿泊者全員が日本人で、朝食の席で日本語で情報交換が活発に交わされた。そのうちの一人とは、その後ブハラで再会した。

印象論だが、ウズベキスタンを訪れる人たちは30代以上の男性が多いように思った。イスラム圏ということもあり警戒感から女性の旅行者は少ないのかもしれないが、なんとなく、エキゾチックな中央アジアの旅に、空気に、積極的に没入していく働き盛りの男性が多いのかなと、勝手に思っている。

宿の看板。3人1部屋で50ドル。

また宿の近くの土産物屋で、タシケント空港で出会ったマレーシア人のソロ旅行者に再会し、さらに別の日本人ソロ旅行者とも合流して夕飯に出かけたりもした。

ハワイなどでは日本人が多いうえに現地人も日本人話者が多いため、コミュニケーションだけ取れば日本みたいな雰囲気だというが、ウズベキスタンでもそんな気分が味わえるとは思わなかった。その点では旅のハードルがかなり下がっているように思う。

■ プチ芸能人気分

サマルカンド観光の日は日曜日だったため、レギスタン広場からシャーヒズィンダ廟群に向かう道すがらは人でいっぱい。海外からの観光客ももちろんだが、現地の学生がとにかく多い。

そしてその学生たちは、やたら日本人と写真を撮りたがる。最初声かけられたときは友好的なそぶりを見せて気を惹いている間に財布とかスられるんじゃないか、と警戒して貴重品の入っているポーチをガードしていたのだが、どうやら彼らは日本人と写真を撮りたくて仕方ないらしい。

外国人が珍しいため外国人なら誰でもいいのか?と思っていたが、比較的目立つ欧米人には声をかけている様子がない。あくまで日本人狙いらしい。ウズベキスタン人と日本人は顔立ちがかなり似ているので、写真撮る意味あるのか?

結局その日つごう10回以上は写真撮ろうぜ、とウズベキスタンの若者たちが代わる代わるセルフィーをせがまれたと思う。原宿を歩く芸能人はきっとこんな気分なんだろうな、と貧困な発想をし、「おいおい困るなあ」とか
口々に言い合いながらもまんざらではない、そんなサマルカンドのプチ芸能人気分なのであった。

ちなみに次に行ったブハラでは、心の準備をしていたのに1回もセルフィ―チャンスがなかった。サマルカンドに独自の現象なのか…?謎は尽きない。

それにしても日本人が好き、というのはウズベキスタンのいいところだ。

サマルカンドではバスに乗ろうと新市街をフラフラしていたら日本語を喋れる若者に案内してもらったりしたし、泊まった宿のオーナーのおじさん連中に、部屋に連れ込まれてウォッカ飲まされまくったりもした。

人懐っこく親切な現地の人々と片言、時には身振り手振りと適当なロシア語(年配者にはロシア語話者が多い)でコミュニケーションを取っているだけで、なんとなく満たされた気分になっていく。

今回はここまで。お読みくださりありがとうございました!


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