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松山は本当に「ことばのまち」なのか?座談会
松山市をあらわすキーワードに、「文学のまち」「ことばのまち」というものがあります。
正岡子規などの文人が生まれた地であり、夏目漱石の「坊っちゃん」や司馬遼太郎「坂の上の雲」の舞台でもある松山・・・。
歴史的に残っているものは、たしかにある!そして、松山市としても「文化・ことば課」という課を設置するなど、「ことばのまちづくり」に力を入れています。
しか〜しっ!!! 今現在も本当に「ことばのまち」なのか?
本当に、市民にまで「ことばのまち」文化が根付いているのか!?
そのことを検証すべく、「ことば」に携わるお二人をゲストにお迎えし、俳句BARホヤケンさんにて、座談会を開催しました♪
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※この記事は、松山市の魅力を再定義する「松山ローカルエディターズ」の第6弾。テーマ「ことば」の記事としてお届けします♪
今回のゲストは俳人・神野紗希さん、ライター・ハタノエリさん
今回のゲストはこのお二人です!
俳人 神野紗希(こうのさき)さん
松山市出身。若手俳人のトップランナー。高校時代に、放送部の取材で俳句甲子園と出会い、俳句をスタート。第4回俳句甲子園にて、団体優勝・個人最優秀賞(「カンバスの余白八月十五日」)をダブル受賞。以来、俳句の作者として研究者として、活躍。現在は、子育てをしながら東京と松山を行ったり来たり。今春、エッセイ集『もう泣かない電気毛布は裏切らない』が文春文庫にて文庫化。
https://twitter.com/kono_saki
ライター/エディター ハタノエリさん
1978年宮崎県生まれ。新聞記者、専業主婦時代を経て、フリーのコピーライター、エディター、ライターとして活動。2021年、デザイナー井上真季さんとともにことばとデザインの会社・株式会社ERIMAKIを設立。個人から行政まで、ディレクションの力で「真新しい共感」を生み出している。
https://erimaki.org/
この松山ローカルエディターズの活動を委託してくださっている松山市シティプロモーション推進課と、今回のテーマに合わせて文化・ことば課 (こちら、全国唯一、松山独特な課です。さすがことばのまち!!!)、そしてローカルエディターズのメンバーにも同席してもらい、お話はとても盛り上がりました♪
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越智さん、高橋陽子さん(松山ローカルエディターズ)
会場:ホヤケンさんについてはこちらの記事をどうぞ!
https://note.com/preview/n7a5843338153?prev_access_key=ef2af82cd4fcc821fbbbec8e4466ec13
なぜ、松山には俳人が多いのか!?
最初、話題に登ったのは「なぜ、松山からこんなに俳人が出たんだろう」という話でした。
石田 波郷(いしだ はきょう)、河東 碧梧桐(かわひがし へきごとう)、高浜 虚子(たかはま きょし)、正岡 子規(まさおか しき) etc…
※詳しくはこちらをご覧ください。
たくさんの俳人がいますが、その理由は如何に!?
本の轍の越智さんが、
温暖な気候の中に育ってるからじゃないですかね。人にやさしくする“お接待文化”も育っているぐらいだし、受け入れる文化、詠みたくなる文化があるんですかね!?
と発言されていて、みんなで大きく頷きました。
紗希さんいわく、「俳句は、否定ではなく肯定する、受け入れるという本質がある」とのこと。
たとえば、正岡子規は病気になっても、病気の自分を受け入れて、それを句にしました。
ほがらかで、肯定的な雰囲気を持つ俳句。
その本質が、松山市民の本質とリンクしているのかもしれないです。
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松山はことばがやわらかい
ご主人の転勤で、過去10都道府県ほど居住経験があるというエリさんは、
いろんな街に比べて、松山は言葉があたたかいし、迎え入れてくれる感じがある。温暖な気候なこともあって、気持ちに余裕がある。だから17文字に向かうんじゃないかなぁ?
とのこと。
街にある注意書きとかも、他県では「◯◯せよ!」という風に命令口調なところ、松山では「◯○したらいけんよ〜」といった風に、ことばがやわらかい。日常の言葉がやさしいと言われていました。
エリさんファミリーは転勤で松山に来られ、3年間過ごしたのちに他県に転勤が決まって移住。しばらく他県で過ごしていましたが、お子さんの「愛媛に戻りたい」という要望をくんで、愛媛に戻ってきたのだそうです。
私も子どもたちも、松山の方が“言葉があたたかい”と感じたんです。
と言われていました。いろんな地域で過ごしてきたからこそ見えてきた、松山のよさ。それは「ことばのやわらかさ」にあるのかもしれないです。
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ニュアンスを楽しむ文化
松山は“無駄”を楽しむ文化がありますよね。坊っちゃんもそうですけど、最後に「ぞなもし」っていらないですよね(笑)
「温泉行ってきたぞなもし」って。「ぞなもし」なくても伝わるんだけど、付けちゃう。それってニュアンスを大事にしていることで、無駄に見えることも大事にしているってことですよね。
俳句って、詠んでも「お金になる」とか「お腹がふくれる」とかではないですよね。でも、あると生きていくのがちょっと眩しくなるというか・・・それを喜べる余裕があるのが、松山なんじゃないかな?
と、紗希さん。
あぁ〜なるほどって思いました。
方言もそうですよね。愛媛の方言で、「行ってこうわい」というのがありますが、これは、「行ってきます」という意味です。「帰ってこうわい」は、「帰ります」です。「わい」ってなに(笑)!?「帰る」だけなのに、またやってくるような雰囲気。この曖昧さが「愛媛らしさ 松山らしさ」なのかもしれません。
「ことばづかい」って「気遣い」ですよね。
俳句って“見えているもの”に、いかに気づけるかだと思うんです。それって目の前のことを見ようとする心の余裕が必要じゃないですか。松山は温暖な気候で、食べものにも恵まれた地域だからこそ、じっくり物事と向き合う日々の余白がある。
もしかしたら、言葉を熟成させるのに適した土地柄なのかもしれませんね。
と、エリさん。
なるほど、なるほど。確かに、それはあるかも。
いい意味でも、悪い意味でも、「ゆるい」とか「ぬるい」とか言われちゃう松山市・・・。これって、もしかしたら、このあたたかな風土でのんびり暮らしているからなのかもしれません。
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論じるのが好きな松山人
松山の俳人さんの句って、「言ってることが愛媛っぽいな〜」って感じるんです。寡黙にもくもくとつくる俳人もいますけど、松山出身の俳人は自分のスローガンとかガンガン出しちゃうんですよね。
と、紗希さん。スローガンを出しちゃう句??それってどんな俳句なんでしょうか。
正岡子規は、「写生主義」という「見たままを写実的に写し取る」俳句の方法論を提唱していました。それを受け継いで、高浜虚子が「客観写生」や「花鳥風詠」という方法論をつくったんですよね。こちらは、「四季の移り変わりによる自然界や人間界のあらゆる現象を客観的に詠うべきである」という理論。中村草田男や石田波郷は、自己の内面を生活のうちに詠もうとする「人間探求派」と呼ばれていますし、松山の人は自分のスタイルを打ち出すのが得意だったのかな?って。
それぞれの方法論を「正典」のように言う人もいるけど、私が思うに、子規たちが句を詠み始めたのはまだ10〜20代。若者ノリのようなところがあったんじゃないかなと思います。
松山の人って、大阪の人の「ノリのよさ」とはまた違うけれど、「チョットおもしろいこと言ってやろう」みたいな雰囲気あるじゃないですか。
おもしろいことを、キュッと短くまとめる能力があると思うんですよね。
は〜!なるほど。そういう部分ありそうです。たとえば、「松山の人って、おもしろいこと言うよね〜」って感じる句はありますか?
「明易や花鳥風詠南無阿弥陀」っていう高浜虚子の句があるんですけど、明易っていうのは夏の夜明けが早いことをいう夏の季語なんですね。そこに「花鳥風詠」っていう自分が提唱しているテーゼをぽんと入れて、仏教の大事なお経「南無阿弥陀仏」と並べちゃう。並べることで、自分のテーゼは南無阿弥陀仏と同じぐらい大事になんだよというのをリズムにのせて詠んじゃってるんです。大胆ですよね・・・(笑)
なるほど〜これはユーモアな句ですね。ただ、これ、ただ詠んだだけじゃここまでの理解はできないですね(汗)。紗希さんの解説があったから、「おもしろい」と思えた気がします。
平和通りに句碑が並んでますよね。あそこの俳句自体は知っている人いると思うんですけど、こうやって紗希さんがしてくれたように「現代の目」で詠める人はなかなかいないと思います。やっぱり、解説って大事ですよね。
と、エリさん。
そうなんですよね。解説ないと、おもしろいと思うのが難しいし、頭に入ってこない(笑)
そうですね。解説が必要ですよね。例えると、「解凍しないとファイルが開かない」感じはあるかもしれないです。読者によっては、解凍ソフトがない場合もありますから。そうなると、俳句っておもしろく感じられないんですよね。
それぞれの解凍ソフトを使って開けたファイルを楽しむのが句会。それを楽しめる文化が松山にはあると思うんです。
と、紗希さん。
本の轍越智さんが、
句をつくるというより、論じるのが好きなのかもしれないですね。松山の人は。普段はおとなしいのに(笑)。
と言われてましたが、それ、一理あるな〜と思いました。
俳句があるからしゃべりやすいんですよね。「あなたの人生の哲学を教えてください」って言われてもしゃべりづらいけど。「この句、どう思いますか?」って聞いていくうちに、その人の考え方や生き方が出てきたりするから。俳句があるからみんな話せるんですよね。普段は話せないことも。大事なことも、言葉を経由することで逆に表現できる。
句会で一緒の人って、普段どんな暮らしをしているとか、どんな家族でどんな仕事をしているのか知らない人ばっかりなんですけど。不思議とその人が、“人生において大事にしていること”を教えてもらっている感覚になるんです。
紗希さんのことばに、すごく納得。
シャイな一面もある松山の人。だけど、本当は論じたい!!だから、俳句を通して自分が大事にしていることを再確認していくのが、楽しいのかもしれないです。
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松山を「ことばのまち」にしていくために
多くの俳人が出たという意味で「松山は俳句のまち」っていうのは納得ができるんですが、「ことばのまち」にするには、もっと他に何か必要だと思うんですよね。松山では、学校で俳句をつくることはしていますが、大人になってからは俳句との接点がなくなっちゃうじゃないですか。それって勿体無いですよね。
た!たしかに!!!
松山では、学校の宿題として「俳句」が出されることで有名ですが。大人にはとくにないですもんね。「ことばのまち」と言うからには、大人も半強制的にことばに関わる必要があるのでは!?
出生届と一緒に俳号も考えて出すとか!
成人式のときにみんなで詠むとか!
と、越智さん。これ、ナイスアイディア(笑)。母子手帳も、俳句が詠めるようになっているとか。いいかもしれない。
俳句って人生がうまくいっているときは、そうは思わないけれど、「ちょっと辛いかも」っていうときに効くんですよね。立ち止まったときに、「あ、俳句もあった」って。辛いことや悲しいことも、俳句になれば「悪いことだけじゃない」って思える。人生の、お守りみたいなものなんですよね。大人にこそ、俳句のお守りが発動されるように、もっと暮らしに散りばめられたらいいですよね。
俳句には「季語」があるので、「MY季語」みたいなものを持っておくのもいいかも。歳時記をめくって好きなのを選ぶ。
と、紗希さん。
すごくいいアイディア!俳句って、「日常の風景をちゃんと見る」ことじゃないですか。それを大人がすることって大事だと思うんですよね。今、松山の大好きな場所がどんどんなくなっていて。その代わりに全国チェーン店がどんどんできてきていて。松山の風景がなくなってきていると思うんです。「俳句を詠みたくなるまち」であってほしい。だからこそ、大人が俳句に関わっていくことってすごく大事だと思うんです。
エリさんの意見に、深く頷いてしまいました。
松山市の取り組みとして、「俳都松山俳句ポスト(旧松山市観光俳句ポスト)」という仕組みがあります。昭和43年からスタートしたもので、主要観光地や道後温泉のホテル・旅館、路面電車や四国八十八ケ所霊場のお寺など、80箇所以上に設置されていて、自由に投句をすることができます。
※平成22年からは、県外や海外でゆかりがある地にも設置
3ヶ月に1回開函して、特選・入選者には記念品を贈呈するようになっています。
ちなみに今、数が伸びているのは鷹子町の淡路ヶ峠(あわじがとう)。松山の景色が一望できる場所で、地元の人たちが散歩で登ってきて投句しているのではとのことでした。
俳句ポストは利用年齢層が高く、50代以上がほとんどなのだとか。市民と俳句をつなぐのは俳句ポストなのかもしれない。ただ投句をするのではなく、句会のようにレスポンスを感じられるような仕組みにするとか、デザインをおしゃれにするとか。たくさん新しいアイディアも出てきました。
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属性を超えて、心のまるままのところを
「俳句ってたいせつだよね」という気持ちが高まってきたところで・・・せっかくなので、私たちも俳句を詠むことにしました。
お題(季語)は「春が好き」。
なかには「え〜!!!詠むのやだ〜!」という声もありましたが(笑)、
俳句ってもともと、二次会の余興だったんですよ!
俳句の前にあったのが、室町時代に流行した連歌(れんが)。短歌の上の句(5・7・5)と、下の句(7・7)を数人で交互に読み続ける文芸のことなんですけど、それの庶民性を高めたものが俳句なんです。
「は〜、連歌詠むのも疲れたね〜。次は気楽にお酒を飲みながら、下ネタ入れてやろうか〜」っていうのが、俳句だったんです。
今って、俳句は文化人が詠むみたいなリッチな感じに思われてますが、ビールを飲みながら、ふざけてやる方が王道なんです。
酔ってからが本番なんですよ〜♡
と、紗希さん。
なんだか、敷居が下がった感じがしました。
みんなで句を詠んだあとは、名前は明かさずに並べて、みんなで感想をシェア。
・春が好き少し甘めのたまごやき
・春が好きでサンバも好きでシースルー
・春がすき花見弁当あわい空
などなど、すてきな俳句が出揃いました。
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人は、いろんな属性で生きていますよね。女とか、母とか、役職とか。でも俳句だと、17音だけで語り合えるんです。もっと心のまるままのところを。
句を出すのは結構怖いことだと思います。「引かれたらやだな〜」とか「通じなかったらどうしよう」って。そういうときは、信頼できる人たちとやるのがいいと思います。
そして何より、「みんながいい」と思うことよりも、「みんながそう思うかどうか分からないけれど、私はこれが好き」っていう心も大事だと思うんですよね。
と、紗希さん。
とってもいいな、と思いました。
松山の気候のあたたかさは、人のあたたかさ、言葉のあたたかさにつながり、17音に向かう気持ちを作り出す。
この文化は、途切れさせてはいけないですね。
俳句を詠みたくなるまちで、あり続けてほしい。
だからこそ、今、目の前の風景を愛し、大事にしていくこと。
季節を感じていくこと。
俳句を詠んでいくことが大事だと思いました。
この記事を読んだみなさま、ぜひすぐにでも一句詠んでみてください♪
そして、俳句ポストに投函を!
句会に参加するのもおすすめです。
県外のみなさまも、ぜひ松山に来られたら、一句詠んでくださいね〜。
今回の書き手:大木春菜
大洲市出身、松山市在住。松山ローカルエディターズ編集長。株式会社せいかつ編集室 編集者・ライター。地元も好きだけど、旅も好き。レトロなものやマニアックなカルチャーが好み。手帳のYouTubeも発信中。
Instagram▶︎ooki_haruna
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※記載している店舗やサービスについての詳細は、各ホームページからご確認ください。
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