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繊細な子どもたちが感じる気配って

療育の集団活動中のこと。
ある5歳の男の子が私に小声で言った。

「◯◯くんの気配がする。あっちへ行きたい」

この時、◯◯くんは納得がいかないことがありイライラしていた。彼はその子から離れたいと訴えたのだ。

彼と出会って3年。
その成長に驚いていた。
私は発達の特性に凸凹がある子どもたちの発達支援の仕事をしている。

自分の心の状態に気づいたこと
言語化できたこと
小声で言えたこと

これらは以前の彼にはとても難しいことだった。

彼は入園当初、衝動的な動きや言動があり、他害やモノに当たることも多く、彼への対応を日々話し合っていた。

「◯◯くんの気配がする」とは、その子の「気」に影響を受けることと私は理解している。彼は他者の感情を自分のもののように感じ、悲しくなったり怒りが湧き上がったりすることが多々あった。ただ、全般的ではなく、一部の人に強くこだわるところが彼の生きづらさでもあった。

家庭では大丈夫だが、集団に入ると落ち着きがなくなってしまう理由の一つはここにあると私は感じている。

他者に同調することが悪いことではないが、ネガティブな感情をもらったまま手放すことができないなら辛すぎる。

彼はそのような時、どうしていいかわからず、大声を出したり、手を出してしまったり、走り回ったりしていた。そして最後は自分がした行為に落ち込んでしまうのだ。

そんな彼が「あっちへ行きたい」と静かに伝えてくれた。

自分の心の状態を感知し、事前に対処しようと行動に移したのだ。
しかも言葉で。

これはすごいこと。
生きやすい場所を自ら作る第一歩だ。

椅子を抱える彼に「この辺りはどうかな?」と聞くと「ここはまだ気配がする」と答えたので、部屋の隅へと移動した。

「お口で言ってくれてありがとうね」

彼は頷き、椅子とお尻の間に手を挟んで座った。衝動性に抗いながら、感情をコントロールしているようにも見えた。

彼はいつ「気配」という言葉を覚えたのだろうか。言葉の使い方はどうであれ、彼が感じたもの、恐れたものは、まさに「気配」だったのだろう。

言葉だけではない。
子どもたちは全身で困り感を伝えようとしてくれている。時に問題行動として外側に表現したり、外界をシャットアウトして内側にこもったり。

子どもたちと療育という場で出会い、その成長を感じられることは本当に嬉しい。
だけど、正直に言うと、子どもにとっていいことなのか、大人にとって都合のいいことなのか、わからなくなる時がある。

ただ、彼のように自ら対処や防御ができるようになること、これは療育の大切な要素だといえる。

子どもたちが少しでも穏やかな気持ちでいられるように、私もフラットな人間でありたい。

めちゃ感情が波打つし、カッコつけちゃうし、善人ぶったりもしちゃうし、起伏だらけなんだけどね。

私の「気配」が世界の誰かに影響を与えるかもしれないから。笑

2023年の終わり
そんなことを思ってみる。

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