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自己満足の親子関係

先日、連休を使って両親をそれぞれ外へ連れ出した。
別に彼らは引きこもりをしているわけではないのだが、
ひとりっ子の私が一人暮らしをするということは
必然的に実家における登場人物は両親だけになる。
毎日朝から晩まで、同じ1人と顔も体も頭も突き合わせて暮らしていれば
誰だって嫌になる。それが幸せなのは付き合って3年目の恋人たちだけだ。

まず、父をちょっと遠くへ連れ出した。
そもそも、私と父は割と性格が似ていて仲が良い。
思春期特有の異性親への反抗期は小4の頃、早めに終えた。
1人でも、ふらーっとどこかへ出かけるのが好きな私は、当日突然思いついて遠出をすることもままある。
そんなとき、急に電話で誘ってもかなりの高打率で応じてくるのが父だ。
その延長で、50キロほど離れた県内の商業施設と魚屋をめぐって中華料理を食べて帰ってきた。
山並みを眺めるのが好きな父は、家の前から見えるのと50キロも離れたところから間近で見る山並みのあまりの違いに終始驚いて、観察を続けていた。
その合間にも、運転する私の話を聞いたり思い出した雑談をしたり、時たま訪れる静寂を穏やかに隣で過ごしたりしていた。
結論、長距離運転は疲れたが、初めての場所や味への感想を思い思いに語ったことで、疲労を上回る充実感が得られ、楽しかったのだ。

その翌日。母をそこそこ近場の商業施設へ連れ出した。
父や私と真逆すぎる性格の母は、まず時間にルーズ。そして思いやりが不足。自分語りが長い。話し手聞き手がテンポよく入れ替わる会話が苦手。
昨日と同じく(しかし前日の疲労を背負って)運転する私の横で、まあ自分語りが長い。私の絶妙な相槌能力はどんどんスキルアップ。
そして、商業施設へ到着。
今日の目標は【催促しないこと】
せっかちな父や、そこまでとはいかずとも私からも「そろそろ……」といつも催促されて「ゆっくり見れない!!!!」とこぼしまくっていたので、今回ばかりは向こうが満足するまでとくと時間を過ごしてもらうつもりだった。
結果、目標は修行となり、達成された。
先に会計を済ませて、1度も母を催促することなく店内で回遊していた私は、自らのタイミングで切り上げて会計を済ませた母のところへ、ちょうどよく辿りついた。「もう終わったの?」
たくさん買い込んだ母の荷物を持つよ、と全て手に取ったら「持つの?」
いやそこはさ、「ゆっくりさせてくれてありがとう」「あらー、持ってくれるの、ありがとう!」
「ありがとう」と何が何でも言ってほしいわけじゃない、けどさ、言ってくれたら長い時間待ったり、決して軽くない荷物を持ったりしたことも、報われるってもんじゃないですか。
でも、そこで新たな境地に至る。これは、自己満足であることを自覚するための修行だ。よく考えたら、連れて行ってくれと懇願されたわけじゃない。ともすれば、無理やり連れだされて、付き合ってくれただけかもしれない。そんな相手にお礼を求めるのは、筋違いってもんである。
私がやりたいから、母を連れ出した。
勝手に思い込んで、催促しなかった。
良かれと思って、重たい荷物を持った。
ぜーんぶ、自己満足のためで、自分が勝手にやったんです。

普段、それを汲み取ってお礼を言ってくれる人たちの中でぬくぬくと生きているので、たまにそうじゃない相手と長時間過ごすと、大海の広さを思い知る。しかも、その相手が実の親とな。
そういうことが、よく分かったら、この方向の自己満足は満たさない方が良いということで。エネルギーがすり減るだけで。

ちなみに、このことを酔っぱらいながら井の中の仲間(母と同世代)に愚痴ったら、専業主婦ゆえの理由付けをなされた上に、子供を産まない若者世代の気持ちが分からない論争にもつれこんだので、この続きは、また。

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