こんな俺にも、人生で1週間だけ、モテ期があった。

早いもので、2022年のスタートから1ヶ月半。そして今日は、バレンタインデーですね。55歳のおっさんはドキドキすることもなく、何もなかったように一日が過ぎるのだろうが、まっ、それはそれとして、本日も古い思い出話を。

恋ってやつには、奥手だった。中学でも高校でも、誰と誰がつきあっているなんてハナシには疎いというか鈍感だったもので。何十年ぶりかの同窓会で、「アイツとアノコが...」と聞かされ、「えぇ〜っ、そうなんや!?」って驚くと、「えっ!知らんかったん?」と逆に驚かれる有様。かと言って、女子と話せない訳じゃなく。フツーに話していたし、仲の良い女子もいた。好きになる女子もいっぱいいたけれど、「好きです」が言えない。そもそも“つきあう”って何するの?な少年だった。「好き」が言えないだけじゃなく、「好き」と言われても、どう答えて、何を始めればよいのか...「???」で、「イエス」も「ノー」も言わないまま、ただただ時間だけが過ぎていく。そりゃ、恋愛になんて発展しない。あれは、中二のバレンタイン。さぁ部活(軟式庭球部)へ!と下駄箱を開けると...チョコが!!!しかも、カードに書いてある名前は、クラスで1〜2位を争うカワイイ女子!!!えっ!?なんで!?!?なんで、あのコが!?!?!?もちろん、悪い気はしない。って言うか、浮かれた。だけど、すぐに奥手モードが発動。「つきあおう!」や「ごめんなさい...」が言えないだけじゃなく、「ありがとう!」とお礼さえ言えなかった。いま考えると、どーしようもないオトコ。始めるのも、終わってしまうのも、ただただ怖かったんだと思う。煮え切らないどころか、煮えるそぶりさえ見せないものだから、気がつくと彼女は私の親友とつきあっていた。いくら疎くて鈍感な私でも、手をつないで一緒に帰るところを見ちゃったら、気づきます。そんなこんなで中学生活はあっという間に終わってしまい。高校3年間も、いろんな女子を好きになったけれど、相変わらず「好き」とは言えず、さらに「好き」とも言われず。誰かとつきあうことなく、過ぎてしまった。脚本を書いた映画が文化祭で金賞をもらったり、アオハルらしいことは多々あったが、恋愛だけは縁遠かった。

さすがに大学生ともなると、フツーに恋をした。生まれて初めて「好きです!」と告白し、人生初の「私も好き!」という回答をもらい、怖くてできなった“つきあう”ってことも経験した。自転車で京都を散策したり(!)、おしゃれなカフェでデートしたり(!!)。ユーミンのコンサートに行ったり(!!!)が、しかし。卒業して程なく「あなたは今まで出会った中で、いちばんやさしい人だけど、私が求めているやさしさとは違いました」と、フラれてしまった。わずか数ヶ月の恋愛だった。そこから、またしばらく恋愛恐怖症(?)になり、それでも相変わらずたくさんの女性を好きになり、だけど「好き」とは言えずの日々が続いた。当然、誰かから「好き」なんてことも言われない日々。

しかし、それは、突然やってきた。20代後半の今頃だった。私は、旅行パンフレット、カタログ、チラシ、会社案内など、ほぼSPだけの広告制作会社を辞め、晴れてマス媒体の広告ができるデザイン事務所でコピーライターとして働いていた。松下電器(現パナソニック)、サッポロビール、ダスキン、近鉄電車などなど。振り返ると、最もコピーが鍛えられた時代だ。プライベートは充実していなかったけど、仕事だけは苦しい中にも楽しみや喜びがあり、やりがいに満ちていた時期だった。しかし、まさか、わずか1週間のうちに、3人の女性から告白されるとは!!!

1人目は、近所のコンビニでバイトしていた女子高生。確かによく顔を合わせてはいたけど、あくまで店員と客として。そんな彼女がバイト終わりだろうか?コンビニの外で私を見つけるなり近づいてきて、「好きになってもいいですか?」とだけ言い、走り去っていった。「えっ、なに?どういうこと!?」2人目は、事務所の近くの定食屋さんでバイトしていた女子大生。バレンタインの翌日、いつものように昼食に行くと、おばちゃんが「これ、バイトの女の子から」と紙袋を渡してくれた。中を覗くとチョコレートと手紙が入っていた。「あなたのことが好きになりました」とあり、名前と電話番号が書かれていた。「えっ、なんで?もしかしてドッキリ!?」と、独り言をつぶやいた。3人目は、友人の結婚式で出会ったOLさん。披露宴・二次会と一緒になり、名刺を渡していた。だからだろう。会社に手紙が来た。「あなたのことが好きです」といった短い告白文と一緒に絵画展のチケットが同封されており、「よろしければ、一緒に行きませんか」ですって。こうなると、もう、ますますドッキリだっと思った。いや、芸人でもタレントでもない私に、ドッキリなんてあり得ないけど。あまりにも短期間に続けて...だったので。

しかし、まぁ、なんで、よりによって俺?と考えてみたら、思い当たるフシがひとつだけあった。コンビニでも、定食屋さんでも、結婚式場でも。そこにいたちびっ子たちとじゃれあっていたことだ。根っからの子ども好きで、こちらからも子どもに近寄るし、子どもたちも(精神年齢の低さから同類と思われるのか?)近寄ってくる。たぶん“子ども好きでやさしそうな人”と見えたのだろう...いや知らんけど。
もう、中学時代とは違うので。「好き」をスルーはしなかった。ただ、当時は広告が、コピーが恋人だと思い込み、自分に言い聞かせていたので。1人目の女性には直接、2人目の女性には電話で、3人目の女性には手紙で、「そう言ってもらえるのはうれしいけど、ごめんなさい。つきあえません」と伝えた。モテない男のクセして何様やねん!?っちゅうハナシやけど。

あれから約25年。いくつかの恋をして、いくつかの失恋をして。結婚不適合者と思っていた自分も、気がつきゃ結婚16年目で一人息子は13歳。妻は、瞬間的ではあるが、夫にもこんなモテ期があったことなんて知らない。そして妻が、私のどこを好きになり、よりによってこんな男を夫に選んだのか、聞いたことはない。怖くて...って訳でもないけど、たぶん死ぬまで聞かんやろうな...いや知らんけど。

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