吉川ばんびさんの記事から考える日本の福祉ガチャ

Googleのニュースで曲がりなりにも福祉出身者としては気になる見出しがあったので見てみた。

83円を引き出し残高はゼロに…生活保護を2度断られた男は、そしてクリニックに火を放った 社会から孤立した生活困窮者たちはどこに行くのか(プレジデントオンライン)

この記事に対して、違和感というか、何とも言えない感情になったため、今回はかなり長くなったが、日本の福祉(貧困)の問題について考えてみた。
↑の記事に登場する内容で考えているため、日本の貧困に対する問題を全てカバーしたものではないことを最初に伝えておきたい。
むしろそんなところを見るのか…というところを書いている。
全くもってメインテーマではない。

行政の担当者ガチャ


よく行政の担当者の対応が悪かったと問題にされるが、行政の担当者も一般人とそう変わらない。
というのも、公務員には異動があり、3年ほどで色々な部署を回る。
3月まで工事の担当をしていた人が、4月から福祉の担当になるなんてこともあり得る。
全員が福祉のプロフェッショナルという訳ではないのだ。
募集人員に占める福祉専門職の割合もそう高くない。

この状況の打開には、
①福祉専門職を確保する
②誰が福祉に行っても大丈夫なようにする
(社会全員に対する福祉教育)
が考えられるだろう。

そして、行政の担当者の対応について批判されることがあるが、これについては、ほとんど意味がないように思う。
というのも、担当者は手足に過ぎないからだ。
公務員は、法律や規則、上司の意見にがんじがらめになっている。公務員は法律に則った行動しかできない。
よく、お役所仕事だとか、言われたことしかできないのかと批判されるが、それが仕事なのである。
一社員が会社の規則に逆らえないのと同じで、一公務員が規則に逆らうことはできないのである。
それが嫌だというのなら、公務員制度の改革に心血を注いでいただきたい。
窓口の職員は立場的にも裁量なんてほとんどないだろう。規則で決められたとおりに仕事をしている一労働者なのだ。その仕事がおかしいというのなら、規則や法律がおかしいということだ。
一公務員の対応を問題視したところで、それはトカゲのしっぽ切りと同じで全くもって意味をなさない。大本の法律や規則、制度、政治について問題視した方がいいだろう。

福祉の担当者ガチャ


福祉の専門職として社会福祉士がいる。
社会福祉士は国家資格で、1ヶ月近い実習等を終えて、19科目にまたがる試験に合格して、晴れて登録することができる。
しかし、社会福祉士は医師や看護師等の業務独占資格と異なり、「名称独占」なのだ。社会福祉士以外が社会福祉士と名乗ってはいけないが、社会福祉士と名乗らなければ、同じような業務を行うことができる。
そのため、ソーシャルワーカーや相談員として、非社会福祉士が働いている。
資格保持者でもその質はピンキリだろうが、非資格保持者でも同じようにピンキリ、十分な知識もなく偏見すら抱いている場合もある。
この問題を簡単に解決しようとすれば、社会福祉士を業務独占にすればいいのだろうが、社会福祉士の業務は「相談支援」であり、この業務が独占されると、身近な相談すらできなくなってしまう。また、何を相談支援とするかも難しいだろう。
この福祉担当者ガチャに対しても、現実的な解決ラインは、誰が担当になってもいいような全体へと教育が有用であると考えるし、社会福祉士の待遇改善も重要だと考える。
誰が新卒手取り20万を超えないような国家資格のために貴重すぎる大学の4年間を福祉に捧げるだろうか。
もちろん資格はサービスを受ける人のためにあるのだが、このままでは社会福祉士の仕事が、滑り止めになってしまうだろう。

医師ガチャ


記事中に医師の対応が悪かったという部分があるのだが、そんなもんだろうなと思った。
個人的な経験からの感覚なのだが、彼らの仕事は「数値に異常が出たら対応する」ことなのだと感じている。彼らに優しさを求めるほうが間違っていたのだと思ったこともある。
当たり前だが、彼らの専門は医学であって、福祉ではない。
母校のシラバスを見てみたが、福祉の科目は10単位もないだろう。
だからこそ、人間的な部分に対応するために社会福祉士等がいると思うのだが、前述のとおり福祉職員もガチャ状態であるし、ソーシャルワーカーの主たる役目が診療報酬のためのベッドコントロールになっている状況があるのではないだろうか。
果たして病院の中に、病気ではなく「その人」に向き合える人はいるのだろうか。
加えて、医師への入口も純粋に人を助けたいという思いだけではない。先日と東大の傷害事件でもその傾向が見て取れる。
医学生のうちはヘコヘコしていた人が医者になってふんぞり返っている…なんてこともあり得る。
医師の人間的な部分での問題に福祉の知識不足が絡み、受診者がさらに傷ついてしまう状況が出来上がっていると考える。

結論


これらの問題は教育に行き着くと考える。一般向けの教育と専門職への教育。両者ともに不十分であったり、不適切であったりするのだと思う。

その昔、生活困窮に対する福祉は、懲罰的な意味合いがあったため、それが教育によって時代を超えて受け継がれてきた今、簡単に捉え方を変えるのは難しいだろう。

しかし、AI等による雇用の変化が訪れるのは時間の問題である。
福祉やそれに関する価値観に関する教育について、今一度改めることが急務である。

ガチャなんてやっている暇はない。