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チビのカバンはランドセルキャリー問題と同じだった話

しばらく前にランドセルキャリーのニュースが世間を賑わせたことをご存じですか?


ランドセルがキャリーになる付属品を開発した小学生たちが一部の人たちから猛批判を受けた話です。


小学生らの見事な返答が話題にもなりましだか、そもそもなぜランドセルを背負わないことに反発してしまう大人がいるのでしょうか。


ここ最近、チビを幼稚園に送って行こうとすると必ず私に向かってこう言ってきます。


「はい。これ持って」


お弁当が入った幼稚園のカバンと水筒。
(そのくらい自分で持って〜)

と、内心思いつつも、よーく考えてみると…。

これ、冒頭のランドセルキャリー問題と同じことではないかと気がつきました。


カバンは自分で背負うもの。



無意識のうちにそう考えてしまっていました。自分ではそんなこと思ってもいなかったのに実は私もキャリーに反発してしまう側の人間だったんです。


キャリーと父が持つ。この本質にいったいどんな違いがあるというのでしょうか。


楽になりたい思い…。
どっちもいっしょじゃないか…。


なぜ、カバンは本人がもって欲しいと思うのか…。


よーく考えてみましたが、そこには子は親の背を見て育つという思いが背景にあることに気がつきました。


つまり「カバンを背負わずに通った記憶」が子供に定着すれば、その子供(私から見て孫の代)も背負わなくなる予感です。


行動が受け継がれてしまうかもしれない…。
(いや、考えすぎだろ)

そこに自身の相対する背負っていた記憶がぶつかり反発する…。
(いやいや、やっぱり考えすぎだろ…)


原因はここにあるのではないかと思いました。


いったいどうしてこんな風に思ってしまうのかを考えると、脈々と受け継がれる遺伝子レベルでの生存本能、そんなところなのかもしれません。行動が変わることで種が絶える恐怖みたいな…。
(話、大げさになってきたぞ!)


我に戻ります。


この問題に対してどう考えるのが望ましいのでしょうか。


子育てて親ができること、

  1. 本人の意思を信じて上げること

  2. 公序良俗に反しない道徳心を持たせること

  3. 誠実さと敬愛の心を持てる人間に育てること

この3つが私なりの考えです。
(いやいや、我に戻っとらんがな!話が飛躍しすぎだ!)


つまり、チビのカバンを私が持って登園することを上の3つに当てはめて考えてみると…

  1. 本人がそうして欲しい。お、お、お、おう。そうしようじゃないか~~

  2. 別に公序良俗になんて反していない…。

  3. それが人にものを頼む態度か!?

これだ、3だ。この3に問題があるってことだ!


甘やかしに注意って話だ!!自分よ!!
人にものを頼む態度、もっと言い方あるだろ…。



今さらですが、ランドセルのキャリー問題と園児のカバンを一緒にしてしまうこと自体がおかしな話だと思うんですが、なぜかここを繋げてしまい、その結果、甘やかしに注意ってことに辿り着きました。


うちのちび4歳ですからね、まだ相手の気持ちを汲み取るところまでは成長していません。言い方だってまだまだこれからです。


もうすぐ年長さん。うちもまもなくランドセル商戦に突入します。
一体うちのチビはどんなランドセルを欲しがるでしょうか。

楽しみではありますが、ランドセル持ってと言われたら、ほんとどうしよう…。

親がランドセルを背負う姿…。


おわり。


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