身辺雑記:岩手県立高田高等学校のみなさんへ
岩手県立高田高等学校さんから、私のnoteに対して「スキ」をしていただいて驚いています。まったくの予想外だったからです。
ありがとうございます。すごく嬉しかったです。
急遽、返礼の投稿をしようと思ったのですが、介護疲れで頭がうまく廻りません。
ごめんなさい。
お返し
返礼として、先月(6月)、同じ高校生宛に書いた原稿を、少し手直して掲載したいと思います
元原稿は、母校(熊本県立人吉高校)の100周年記念誌(2年後の2024年発行、在校生に配布)へ寄稿したものです。
高校の同窓会から突然手紙が来て、記念誌への寄稿を依頼されたのです。内容は、高校時代の思い出と高校生へのエールでした。
以下、少しだけアレンジして転載します。
求めよ、さらば與えられん
はじめに
高校時代の3年間は、卒業した後から振り返ると、本当にあっという間です。しかし、勉強がうまくいっていないと、先の見えない、暗くて長いトンネルの中をトボトボと歩むようなものですよね。私がそうでした。
高校の1年から2年の終わりまで、出口の見えない暗闇の中でもがいていました。偏差値35が、私の上限でした。それ以上の偏差値を取ったことがなかったのです。
学業面で完全に落ちこぼれていました。
とにかくしんどかったです。
毎日何とかしなきゃと思いつつ、何もできない自分にイライラしていました。悶々としていました。
そんな私が、早稲田大学の政経学部で学ぶことができ、幸運にも大学教授としての人生を送ることができたのは、先輩との偶然の出会いによってでした。
なぜ落ちこぼれたのか
高校の部活動は、剣道をしていました。
剣道は小学校5年生から始め、中学校でもレギュラーで試合に出場し、副将であり、副キャプテンでした。
高校でも同じように剣道部に入りました。強豪校でした。予想以上に練習がハードでした。
県大会では常に上位に進出し、県大会でベスト・フォーになった時には九州大会にも出場しました。1年生からレギュラーで出場し、2年生の後半からは、中学校時代と同じく副将であり副キャプテンでした。
練習が大変でした。いつも疲れていました。授業中は寝てばかりいました。起きている授業でも先生が話していることがまったく頭に入って来ず、授業についていけなくなっていました。
闇の中
学校の中間・期末テストだけでなく、大学入試に備えた全国模試でも、試験はいつも5分で終わっていました。名前を書いたら、その後は何もやることがないのです。真っ暗闇の中にいました。
何とかしなきゃともがき苦しんでいましたが、光はまったく見えませんでした。
転機
そんな私に、転機は、突然にやってきました。
高校2年生の、秋の文化祭の季節でした。
高校の英語部が主催(?)の英語祭に誘われたのです。そこに3学年上の、大学生の先輩が、後輩のためにわざわざ東京から帰省されていて、顔をだされていました。その先輩を囲んでみんなが話をしていました。私もその輪に加わり、最後は先輩と二人だけになりました。精一杯の背伸びをして、いろんな話をしました。
先輩とは、もちろんその時が、初対面です。
学業面で落ちこぼれ、そのことで悩んでいた私は、英語部の友だちに先輩の住所を聞き、先輩に相談の手紙を書きました。メールやラインなどのSNSが何もなかった時代の話です。いろんな悩みや勉強の仕方についての相談など便箋で20枚以上書きました。
先輩からはすぐに返事が来ました。
正月にまた帰省するから、その時に直接会って話そうということでした。
冬休みにご厚意に甘えて先輩の実家に伺い、長時間に亘っていろいろと教えてもらいました。
浪人時代
結局、現役での受験には失敗し、東京で浪人生活を送りました。そこでも先輩にいろいろとお世話になりました。
アルバイト先を紹介してもらったり、アパートが決まるまで長いこと泊めてもらいました。
当時(1970年のことですが)、予備校に入学するのにも試験がありました。その予備校にも落ちたのです。すっかり凹んでいました。あまり悄気げていたので、そんな私の様子を見かねてか、「大学のランク表を見せろ」と言われ、先輩に渡しました。
その頃、私立の社会科学系のトップは、早稲田の政経でした。
その早稲田に行け、と先輩に言われたのです。
早稲田なんて、私にとっては、まったく雲の上の存在で、それまでまったく考えたこともありませんでした。
本当に、えっ、ですよね。
予備校の入学試験にさえ落ちたのに、なんで早稲田?
先輩は、私にとって神でした。絶対的な存在でした。
だから、先輩のアドバイスに素直に従うことにしました。
浪人中は、落ち込むと先輩のところに遊びに行きました。
勉強を続ける元気をもらうためです。
先輩はいつも歓迎してくれました。私のために高校の先輩方を呼んでくれ、鍋を囲みました。東工大や一橋、慶応などの錚々たる方々のお喋りに耳を傾けているだけで、自然と頭が良くなるような気がしました。
終わりに:エール
すでに制限字数をオーバーしていますので、大急ぎでまとめに入ります。
私の黒歴史、高校時代の恥ずかしい思い出を書いた、この拙い文章を読んでくれているあなたに伝えたかったのは、次のことです。
挫折し煮詰まった時には、自分ひとりで抱え込むな、ということです。
ひとりで悩むな、ひとりで頑張りすぎるな、他人に頼れ、ということです。
私は人見知りで、社交性はほぼゼロの人間です。研究者の道を選択した理由は、そこにあります。本を相手にしていれば良いと思ったからです。
社交性ゼロの私でも、自分ひとりの力ではどうしようもないなぁと思った時には、いつでも本当に遠慮なく他人に頼りました。だからこそ、私のような非力非才の人間でも何とか人生の荒波を乗り切ることが出来たのです。
他人に相談すること、頼ること、上手に甘えることは、とても勇気のいることであり、決して容易なことだとは思いません。
でもそこが人生の分かれ道になると思います。
勇気を振り絞って門を叩きましょう、そうすると、人生の扉は開くはずです。
頑張ってください。応援しています。(了)
付記
先輩を頼り、先輩のアドバイス通りに勉強することで、偏差値を40上げ、無事に早稲田の政経に合格することができました。
受験勉強のテクニカルな話は、もちろん50年以上も前の話なので、みなさんの役に立つかどうかは分かりません。しかし、いつかこの周辺雑記で書きたいと思っています。
岩手県立高田高等学校の生徒のみなさんへ
noteやHPを見させていただきましたが、生徒さん同士も、そして、先生とも仲が良く、楽しく高校生活を送っておられる様子が見れて嬉しいです。
震災後、大変なことが多かったと思うのに、本当に頑張っておられますね。
日本の未来はあなた方若い力にかかっています。
期待しています。
本日も最後までつきあっていただき、ありがとうございました。
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