2020年という年
今年はほとんどの記憶がコロナでかき消されてしまいそうなほどコロナに翻弄された1年だったが、私の身の回りのことを思い出してみたい。
夫の転勤
転勤が決まったのは去年の11月頃だっただろうか。娘が1歳の誕生日を迎えてすぐだ。
「他府県に転勤になる。みんなで引っ越すか、単身赴任か、通うか決めなければならない」とのことだった。
まずみんなで引っ越すということについては現実味がなかった。家を買って1年、そして娘がまだ1歳の中周りに頼れる人がいない他府県に急に引っ越すのは厳しかった。
そして単身赴任か通うか。これは一番悩んだ。
当初新幹線通勤は前例がないと言われ、普通電車で通うとなると家から片道2時間半近くかかる。これを毎日となると、とてもじゃないが大変な通勤になるのだ。
そうなると夫的には単身赴任が一番楽なのではないかと思ったが、夫は娘の大事な幼少期に週末しか会えないのは辛いからと、通うことを決めた。
そして幸いにも会社から初めて新幹線通勤の許可がおりたのだ。
これは本当にありがたかった。
1月にかかった気管支炎
滅多に体調を崩さない娘が咳をしているなと思ったら私もうつってしまっていた。
そして何日も咳が続き、咳で眠れなくなり、病院に行くことを決めた。
うっすらとコロナの噂が出始めていたから、病院にも発熱の推移や状態を伝え、一通りの受診が終わって人がいない時に向かうことになった。
結果的に気管支炎との診断だったが、久しぶりの気管支炎は相当キツく、その後も1ヶ月ほど喉の調子が良くなかった。
二人目の不妊治療に向けて
自分の体が次の妊娠に向かえるのかどうか、ホルモンの状態などを見てもらおうと以前から通っていたCLに行った。
まだ娘の授乳をしていたが夜間のみになっていたため、移植は可能ということ、そしてホルモンのバランスも大丈夫とのことで、いつでも治療開始できると言われた。
願わくば卒乳している方がホルモン的にはいいと聞いていたので、卒乳のタイミングを見計らっていた。
コロナが本格化しだす
春になると徐々にコロナの感染者数が増え、自粛ムードが漂ってきた。
我が家にはよく叔父が娘の面倒を見がてら遊びに来てくれていたのだが、高齢なのと、来るのに公共交通機関を使わないといけないことからしばらくやめておこうと判断し、家族でも行き来するのは断り日中一人で娘を見ていた。
近くの散歩ですらマスクをしないと白い目で見られているような気がして、スーパーも回数を減らしたり朝一番の人が少ない時間帯を狙って行くようにした。
コロナが本格化したことで、不妊治療を一旦停止してくれというニュースが出た。
それに伴い私の二人目の治療も一旦ストップすることとなった。
娘の1歳半と同時に卒乳
GWは夫が長期休暇なので、このタイミングを使って卒乳をしようということになった。
夫と話し合った結果、私が目の前にいるとどうしてもおっぱいが欲しくなるだろうからという理由で、5日間は夫が抱っこでの寝かしつけをすることになった。
1日目、それはそれは泣いて30分ぐらい泣き声が聞こえていたが、泣き疲れたのか寝てくれた。
2日目、15分くらいこの日も泣いたが抱っこで寝てくれたらしい。
3日目、6,7分経ったらずっと寝てくれておっぱいなしの状況にも慣れてきたようだった。
4,5日目、ぐずぐず寝たり起きたりはしたものの、抱っこで眠ってくれた。
そして6日目には私が戻ってきて一緒に寝たのだが、おっぱいを求めることなく抱っこで寝てくれて成長を感じた。
ただ一つこれは課題だったかなと思うのは、夜に私がいなくなるのが不安だったようで、卒乳後の数ヶ月は夜トイレに行こうとするだけで泣いてしまうようになって、申し訳ないことをしたなぁと反省した。
1週間足らずで娘の卒乳は無事に完了し、2人目の不妊治療前に済ませなければならないことは全て済んだ。
不妊治療再開、9月に移植
8月末頃に生理が来たので、そこから移植に向けてホルモン補充を開始した。
そして9月に移植。ありがたいことに着床してくれて、心拍を確認し、無事にCLを卒業できた。
初期の頃は何度も少量の出血を繰り返し、時には鮮血が生理のように出て慌てて受診したりもしたが、赤ちゃんに影響はなく子宮内に溜まった血を出すガス抜きのようなものだったことがわかり、その度安堵した。
10月11月はつわりがひどく、妊娠前よりも体重が3.6kg減って驚いた。娘の時は痩せても2kg止まりだったから、病院に相談しようか悩んだ。
食べ悪阻、吐き悪阻、明るいのも眩しくて船酔いのようになり、匂い悪阻が特にきつかった。食べ物のコマーシャルや写真を見るだけで気持ち悪くなるので、娘のご飯の時間は毎回かなりハードで、ビニール袋を片手に持ちながら上げることもあった。
今は安定期に入り、18wになって体重も妊娠前の1kg減なので、だいぶ体力も回復した。
安定期だからといって安心はできないが(娘の時安定期に入って早々破水して入院した)娘と2人きりの時間を大切にして過ごしたい。
娘の2歳の誕生日
11月生まれの娘。今年は悪阻がひどくてご飯も作れていなかったので、食べ物でお祝いはできなかった。
本当はケーキも作ってあげたかったし、部屋も飾ってたくさん写真に残したかったのに私の体調は追い付かなかったが、夫が会社帰りに部屋の飾り付けと、娘に塗り絵と魚釣りのおもちゃを買ってきてくれて、娘は大喜びだった。
誕生日プレゼントはカメラにしようと思っていたのだが、まだ実物を見にいけずこのタイミングには間に合わなかった。
せっかくの記念日なので手形足形を取ることにした。前にとったときより手足がずいぶん大きくなり、紙に両手両足が入らなくなってて嬉しかった。
絵を描くことが何より好きで、最近は丸に目や眉毛や口がついている。私が小さい頃はこんなに上手に描けなかったなと感心するばかりだ。
歌とダンスはテレビから知らぬ間に覚えていき、大好きな隣のトトロのセリフや動きも真似が上手にできるようになった。夫と一緒の時はタンスを運んでこけかけるお父さん役をさせて一緒に楽しんでいる。
物をもらった時は自分から「あぃゃとぅ!」「あーとぉましゅ!(ありがとうございます)」や、声をかけられた時に「こーちは!」と挨拶もできるようになった娘。
人見知りの私の幼少期とは比べ物にならないほどお姉さんだ。
これからもどうか、たくさんの人の愛情を受けて心豊かに幸せな毎日を積み重ねてほしいと願っている。
2020年という年
今年は行きたいところにも簡単には行けず、会いたい人にも会えず、経験したことのないことだらけの年だった。
しかしそんな中でも娘は着実に成長し、毎日笑わせてくれて本当に感謝している。
遠方勤務になった夫も、仕事でコロナの影響を受けて残業が多くなったり休みが減ったりしたけれど、つわりの酷い私をしっかりサポートしてくれて何とか乗り切ることができた。
来年はいよいよ出産だが、ワクチンが広まりコロナの収束「目処がついていることを願っている。
来年はみんなが会いたい人に会えますように。
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