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子供の頃思っていた「大人は平気で嘘をつく」

誰かが娘の相手をしてくれている時に、会話の中でふと「あ、嘘をついてる」と思うことがある。

もちろんそんな大きな嘘ではない。

娘が寝かしつけ前に(口に入れてしまう可能性がある小さな)おもちゃを私の引き出しから出してきて今から遊ぶ!というのに対し、夫が「また明日ね」と言っていた。

もちろん危険なものに変わりないから明日になっても渡すつもりはないだろう。

叔父が遊びに来た時も、スマホを見て「チューリップ!」とYouTubeの動画を見せてほしいと言っていた。これは以前に叔父が娘にYouTubeをかけて見せたことがあるから、娘は見せてもらおうと思ったのだろうが「また今度ね」と言っていた。

私は動画などをどうしても仕方なく見せる時があるからこそ、遊んであげられる時はなるべくYouTubeなどを使わないでと頼んでいる。

どちらも時が経てば娘は忘れているだろうと思ってその場しのぎの小さな嘘をついている。

でもそれは、私が小さい頃に思っていた「大人は嘘をつく」という思いを、娘にも芽生えさせる言葉だと思った。

「また今度ね」​を書き留めるノート

このことを思い出したのは少し前だ。

私が小学生の低学年からだろうか、書いたノートが出てきて表紙を見てびっくりしたのだ。

〝またこんどちょう〟

なんだこれはと思ったら、「また今度帳」という意味だったらしい。

そして中にはイベントごとと、私と母のサインを書く欄があった。「クッキーを焼く」というのが日付とともにイベント欄に書いてあった。

そのノートを母に見せると母も覚えていて、「私がまた今度ねっていったらそれに書き留めて、適当に流されないようにしてた」という。

我ながらなかなかやるなと思った。

大人は忘れるだろうからまた今度やろうねと言うが、それが一時凌ぎであることを何度か経験するうちに学んでいたのだ。

大人が思っているほど子どもは幼くない

確かに小さいうちは時間が経てば忘れるかもしれない。でも、それは忘れるから嘘をついてもいいと言うことにはならない。

子供にはなぜ今ダメなのかちゃんと説明して、一時凌ぎではなく次の約束をきちんとすべきだ。

私は娘に小さな嘘をつかないように、ダメな時はダメな理由を、約束ははっきりとするようにしている。

大人は信頼できないと思わせないために、この先もずっと続けようと思う。

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