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神様はサバイバーの私に許しの猶予を与えたのか?

私は家族と仲が良くない。
おそらく外野の人たちは気付かないだろうが、私は自分の家族が苦手なのだ。

まず一つ、私の母ははっきりとしたASDで幼少期から意思疎通がうまく取れなかった。
母子の愛着関係を形成できなかった影響は今に至るまで色濃く残っている。

そして私は兄弟サバイバーである。
幼少期、自分より上の兄弟から包丁を突きつけられたり、突き飛ばされて頭から血が出たり、寝ている時に寝室のドアの横に立ってカチカチカチっとカッターの刃を動かす音で起きたこともあった。
正直幼稚園の頃にはすでに死にたいと思うことがあった。

そして父はと言うと仕事で日中はおらず、機嫌にかなり左右されるタイプの人で、兄弟とは頗る相性が悪かった。帰ってきたと思ったら思春期の兄弟とつかみ合いの喧嘩をして調味料が宙を舞うわ私の大切にしたいた筆箱に血が飛んでくるわで散々だった。

そんな家族の中で育てられた私は自分の本心を抑えて周りの機嫌を伺い人を頼らないように育った。


そんな私が家族を持って子育てを始めて、実父母と子供達のやり取りを見ることで自分の嫌な思い出を追体験し、家族のことで蓋をしていた感情が吹き出してしまった。

なんだかんだと私がすることに口を出してくることに腹立たしくなり、母とは疎遠になりたいと思うようになっていたのだが、そんな時に母が難病を発症してしまった。

家族の厄介なところは、完全に嫌いになるには相当な決意と覚悟が伴うと言うことだ。

私が嫌だと思う気持ちを優先して子供達から母(祖母)を、母から子供達(孫)を奪っていいものだろうか。

そんな思いがあるから、時々は実家に顔を出したりテレビ電話していたのだが、毎度嫌な気持ちになって帰ってくることばかりで正直しんどかった。

だがそこで知らされた余命数年という容赦ない数字は私を戸惑わせた。根治には移植しか方法はないが本人は望まないと言う。

私は母を許すことのないままお別れするのだろうかと思うとそれはそれで気が重くなり、ずっと私の足に錘を付けられているような憂鬱さがあった。


だが先月状況がかわった。

それは新薬を試すことになったと言うのだ。
余命数年の間に新薬ができるかどうかわからなかったところから、試すというところまで話が進んだらしい。

これでもし根治すれば、私が母との折り合いをつけるまでまだ時間ができるだろう。

私は神が与えた猶予を、ありがたく受け止めたいと今は思う。




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