見出し画像

Call me by your name

2023.02.12.Sun/daytime

淡く、美しい映画だった。
エンドロールを終えた途端、涙が止まらなくなった。
溢れ出ていく涙の感覚。心が重たくなる。

同棲愛の脱犯罪化が進む国もある中、エイズが「ゲイの疫病」と表現されたり、同性愛への様々な思想が渦めいて世界が動くようになる1983年代のイタリア北部が舞台。イタリアではまだまだ厳しい目が向けられていた時代だったのだろう。

エリオとオリヴァーの美しく淡い夏の思い出が
イタリアの美しい自然や街並みと共に刻まれていく様子が
ごく自然な映像で展開されていく。

台詞にフォーカスさせすぎない
印象に残るシーンが沢山あって、
エリオの表情や行動を舐めるように見ながら
心をくみ取りたいと思うシーンが数多くあった。

そのようなエリオのシーンで
ハエが飛び交ったり、手にする楽譜にハエが這いずるのが
特に印象的だった。最後の暖炉で涙を流すシーンではエリオの右肩にハエが飛び回る。
ただそのハエをエリオは決して追い払わない。

あくまで田舎の別荘での自然なひと時であるということを
忘れさせない演出だと、鑑賞中も鑑賞後もなんとなく思っていたけれど、
他の人の視点が気になり調べてみると色々な解釈があった。

ハエがベルゼブブを意味しているというのはわりと一貫していたが、
「エイズを連想させる」「ラストシーンでハエがエリオの周りを飛ぶのはエリオの成熟を意味する」(香りのあるもの=成熟したものにハエは寄るから)など様々だった。

でも私が一番しっくりきたのは、
エリオの内面のメタファーとしての役割も持っているのではという視点。
時代ゆえの同性愛への背徳感と悪霊ベルゼブブのイメージであるハエを結びつける。エリオがハエを追い払わない(気づいていない)のもオリヴァーとの出会いより生まれはじめたエリオ自身の「愛」という感情そのものを示そうとしているのではと個人的に思った。

ただ、私はそういうダークな結びつきだけはなく、悪霊ベルゼブブが【嵐と慈雨の神バアルの尊称の一つだったことや、雨を降らせる豊穣の神であること。一説によるとバアルの崇拝者は当時オリエント世界で広く行われていた、豊穣を祈る性的な儀式を行ったともいわれていること】(Wikipedia参照)という内容を読んで、
自身の愛への気づきは嵐のように突然。慈雨は照り続きの時に降る雨・恵みの雨であり、‘‘同性愛は自身を恵む‘‘という肯定的な意味でも捉えたいと思った。性的な儀式も結びついているような。

二人が解放されたキスシーンにもハエは飛び交い、飛びまわる音が響いていたのも印象に残る。こうやって観た後に映画に込められたものを少し遠くなってから感じて、余韻に浸れる。この映画の素晴らしいところの一つ。


映画を鑑賞した後に歴史的背景を調べたり、映画監督の込められた想いを考察するこも好きだけれど、
こうやって映画により生まれる映画ならではの表現を自分なりに心地よく
解釈できる映画という娯楽がとても好き。絶対的に共通する映像を通して、様々な視点や捉え方が許され、自分以外の想像力を覗けるのも好き。ご都合主義万歳。

私の中では程よい沈黙のある中での
エリオの欲望と愛が顕在化するシーンが印象的だった。
アプリコットのシーン、色気ある野蛮さが魅惑的だったよね。

核心をつかないまま、台詞からはくみ取りきれないような
奥深さのある台詞と役者さんが生む空気感と表現。
そして、ラストにかけての父と子のシーンでの言葉選びの美しさ。
エリオの父親の台詞があまりに美しく、忘れたくなかったので残すことにする。

人は狡猾な方法で人の弱さを見つける

人は早く立ち直ろうと自分の心を削り取り
30歳までにすり減ってしまう
新たな相手に与えるものが失われる

たが何も感じないこと
感情を無視することは
あまりに惜しい

お前の人生はお前のものだが
忘れるな
心も体も一度しか手にできない
知らぬうちに心は衰える
肉体については
誰も見つめてくれず近づきもしなくなる

今はまだ只管悲しく
苦しいだろう

痛みを葬るな

感じた喜びも忘れずに


視覚的に美しいエリオとオリヴァーの夏の思い出があったからこそ、父親の台詞の美しさと重みがより感じられる。思わず見返してしまう心に深く残るシーン。言葉により感じ取ることよりも、ひとつ残らずこぼしたくないとみてしまう登場人物たちの視覚情報の豊かさがあってのエンドロールの深み。エリオの目から涙がこぼれてあの音楽がかかった瞬間に二人のひと夏の美しい想い出が走馬灯のように去来する。涙が止まらないの!

電話でお互いの名前で名前を呼ぶシーン、想いを馳せるエリオと覚悟を決めたオリヴァーの心が一瞬にして広がって、胸が苦しくて儚かった。ただ名前を呼んだだけなのに。好きだった。

直接的な言葉を伴う挙措を避けて、視聴者側がじんわりと感じていくようなそんな映画。

個性が強い作品というより、何気ないありがちなシチュエーションでの同性愛をテーマにした物語だけれど、明示されない人間の感情を補うかのように、演技とは思えない主演ふたりの素朴な表情と空気感があってからこそ、こんなにも自然に自分の心にスッと入ってきたのかなぁと。偶発的ではないシチュエーションだからこそ良かったのかもしれない。

ゆったりと時間が流れるイタリアに恍惚したよ。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?