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【青年海外協力隊ベトナム日記 2006〜08】 第2話 1ヶ月が過ぎて


私は以前、長旅の途中でベトナムに来たことがあった。

もちろん良い思い出や楽しかったこともたくさんあるにはあるのだが、その時のベトナムは「すぐボってくる」という印象が強すぎた。

周辺諸国のタイ、ラオス、カンボジア、中国、さらには悪名高いインドでさえ、一般の店や食堂などでボられることはまず無かった。
けれどもベトナムでは、食堂に入れば現地人の倍以上の金額を請求されたり、ちょっとお菓子を買いに行っても日によって値段が違ったり、公共バスに乗っても不当に高額な値段を提示してきたり…そんな日々だった。

もう二度とこの国に来ることは無いだろうなと思った。

その旅で、ベトナムを抜けて隣国ラオスに入国したときの安堵感は今でも覚えている。

そんなベトナムにまた来てしまった。

しかも今回は気ままな旅ではなく、仕事をしながら2年間も住むことになってしまった。
やっていけるのだろうか。
毎日怒りの日々になるのではないだろうか。
ストレスが溜まっておかしくなってしまうのではないだろうか。
首都ハノイの空港に到着した途端に以前のベトナムでの旅の日々を思い出し、不安が頭の中を駆け巡った。

さて、任地での新生活が始まって早1ヶ月。

不思議なことになぜだかとても快適に暮らしている。
現地の人達の親切に毎日助けられながら生活している。
ボられるどころかタダでいろいろもらったりしている。
なぜだ。この国は金金金…と呪文のように唱える人々が住む国だったではないか。

ちょっと買い物に行こうとすると何が欲しいのですかといっていろいろ連れて行ってくれる学生たち。
こんな場合自分の知っている店に連れて行って高額商品を買わせマージンを受け取るのが常なのだがどうもそのような気配は無い。
それどころかいくつも店を回って少しでも良い品を安く買える店を一生懸命探してくれたりする。

家の管理人のおばさんは、困ったことがあったら何でも言いなさいと言ってくれる。

家の近くの食堂のおじさんは、言葉もよく通じない変な客でしかない私を家に呼んで食事をご馳走してくれる。
同僚の先生は、ベトナム語がまだ良くわからない私のために時間を割いて発音の練習をしてくれる。
上司の先生は何かにつけて食事に連れて行ってくれる。
しかも、なぜ私の誕生日に朝から花束とプレゼントを皆で持って来てくれたりするのだ。
そもそもなぜ私の誕生日を知っているのだ。不覚にも感動してしまったではないか。

今のところ協力活動どころかこちらが一方的に助けられているだけの日々を送っている。
いやむしろ私は迷惑すらかけているだろう。
しかしそんな私に対して彼らは皆ただひたすら優しく接してくれる。

私はここに何をしに来たのだろう。
そして、私はこれから彼らのために何ができるのだろう。


続く 

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