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【青年海外協力隊ベトナム日記 2006〜08】 第35話(最終話) 帰国

いよいよ帰国の日があと数日後に迫った。

任地を離れる日の朝、美術科主任の先生からカフェの誘いを受けた。
本当は会議があったが中抜けしてきたようだった。
2人で学校近くのいつものカフェへ行く。

席に座るもしばし無言。

フィルターから滴り落ちるコーヒーのしずくを視界の中に確認しつつも、私たちはその先にある言葉を互いに探していた。

フィルターから最後のしずくが落ちる頃、先生は静かに口を開いた。

「ベトナムの美術教育にはまだ自由が無い。日本の美術教育にも、アメリカの美術教育にも、ヨーロッパの美術教育にも自由がある。だが、ベトナムの美術教育にはまだ自由が無い。学生たちの作品にも自由は無い。なぜならここが師範大学だから。ベトナムで教員になるためにやらなければならないことがある。自由に作品を制作させたいが、ここでは昔ながらのベトナム式の指導方法を学ぶことに多くの時間を費やさなければならない。けれども、今ベトナムは外国に学ぼうとしている。いつの日かきっとベトナムでも自由に美術を教えられる日が来るだろう。」

私は外からやってきて、もっと自由に、もっと個性を、と今まで言ってきたが、それらは先生だって心の中では当然思っていたことだったのだろう。
けれども社会主義国の師範大学の教員という立場上、現在の国の指導方針とズレがあるようなことを公に口にすることはできなかったのだろう。
その制約の中で教えなければならないことを教えていたのだ。

そこには葛藤もあったはずだ。
その思いを最後に私に直接伝えてくれた。
そして未来のことを口にしてくれた。
私はそれがうれしかった。

「今までありがとう」

先生はやさしく笑いながらそう言ってくれた。
私はその言葉に返事をすることができなかった。
何かを声に出そうとしても言葉にならなかった。
ただただ何度もうなずきなら込み上げてくるものを堪えるので精一杯だった。

けれど、その言葉にならなかった私の思いは最後に固く握り合った手を通してしっかりと伝えることができた。
私はそう信じている。


先生と別れてから、一人で学校の近くの海へ行った。

私はこの町の海が好きだった。
昼間は誰もいない海。
風と波の音しか聞こえない。
南国の照りつける日差しの中、空は青く澄み、海も同様に深く青い。

一人きりで誰もいない砂浜に座り、目の前の海を眺めながら2年間暮らしたここベトナムのことを、そして、この青い海の先にあるもうすぐ帰る2年ぶりの日本のことを思った。

本当の豊かさとは何だろう。
本当の幸せとは何だろう。

その答えは、まだ見つからない。




16年後の後日談 ↓

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