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【青年海外協力隊ベトナム日記 2006〜08】 第3話 始まった活動

ここ師範大学の美術科で現地の先生と共に絵画の授業を担当することになった。

参考までに過去の学生作品を見せてもらったところ…
絵のレベルは日本のちょっとうまい中学生レベル。
面白みはなく、日本の小学生の方が魅力的な絵を描くと思ったのが正直な感想だ。

小手先の技術がうまい絵よりも、たとえ技術が下手であっても何かしらの表現や個性を感じる絵の方が作品として魅力があると私は思う。
しかしベトナムの小中学校美術の教科書を見たり、他の隊員たちから聞いたりした話によれば、ベトナムではお手本をマネして絵を写すように描くというやり方が主流のようだ。
どうりでみんな似通った作品になってしまっている。それでは個性は育たない。
もちろん表現や個性を排した様々な職業的美術も数多く存在する。それらを否定する気は全くないし、むしろその方が開発途上国では必要なのかもしれないとさえ思うが、少なくとも私はそのような今までのベトナム式の美術教育を変えていって欲しいという要請でここへ来た。

ここは美術大学ではなく師範大学だ。
学生たちは将来教員になり省の小中学校で美術を生徒たちに教える。
見本をマネしているだけでは中途半端な技術は身に付くかもしれないが心は育たない。それでは学校教育の中で美術という教科を行う意味が無い。
技術はもちろんあるに越したことはない。だがそれよりも大切なものを教えなくてはならいと思うのだがどうもそのような気配は感じられない。

しかしそこでこうも考える。
そもそも本当にこのベトナム式美術教育方法を変える必要があるのだろうか。
ここはベトナムだ。ベトナムにはベトナムのやり方があるのではないか。

要請ではああ言ってはいるが、はたして本当に様々な考え方や個性が育ってしまっていいのだろうか。
美術作品はプロパガンダにもなるが、世界的にはむしろ体制批判としての作品の方が圧倒的に多い。
この国は共産党一党の社会主義体制だ。
むしろ様々な個性や意見があってはいけないのではないだろうか。
それはこの国の体制を揺るがす脅威にさえなってしまうのではないだろうか。

何が目的で要請を出したのかがまだ見えてこない。
国と受け入れ機関と配属先と同僚たちとの考えにそれぞれ温度差がある。
それは私一個人ではどうにも解決できる問題ではないように感じる。
そもそもここは教員養成機関なのだから文科省のような場所を通さずにその教育方法を変えてしまうわけにもいかないだろう。
私はここで何ができて何をするべきなのだろう。

しかし現在まだ私は何も見ていないし何もしていない。
ここで結論を出すのは早すぎる。

現地の先生の講義を見学した。
先生の話を学生たちはひたすらノートに書き写している。
静物画とはこうあるものだ、静物画の描き方はこうである、といった内容の講義が続く。
学生たちは静物画着彩を描くのは今回が初めてだそうだ。
資料も参考作品も用いず果たしてイメージが湧くのだろうか。初めから説明書のように細かい説明をしたらイメージが限定されてしまうのではないかと思っていたが、講義後実技を始めたところ案の定学生たちは皆同じような色や描き方で同じような絵を描きだした。
一年生の時に習っているという絵画の基本的な原則や道具の使い方なども間違っている。
そもそも描いているモチーフが面白くないしモチーフの組み方も良くない。これでいい絵を描くには逆に相当の技量が必要なはずだ。
しかしそのモチーフでさえもすでに年間スケジュールで何を描くのかが決定してしまっている。
どうやら私は今年度はこのスケジュールをなぞりながら進めなければならないようだ。
どうやっても面白くなりそうもない課題をどう面白く、しかも実のあるものにしていくか。
これはやりがいがありそうだ。

そのように私の活動はスタートした。
まだ私はあたりさわりのないような技術指導しかしていない。
しかしいきなり全ては変えられないし変える必要も無い。
美術は結果が見えにくいものだし何かを変えるには時間もかかる。
あせらずにしばらくはじっくり様子を見て彼らに何が必要で何が必要ないのか、自分に何ができて何をするべきなのかといったことを見極めていきたい。

先が見えてこない不安も大きいが今はその不安を楽しもうと思う。


続く

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